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2019.06.26
神田
KANDA ④ ボーナスは使い切る?北乗物町と江戸っ子
職人の町、神田の町名は職人の生業に直結する名称であることが多いのですが、トランスユーロの所在地である「北乗物町」、果たしてこの「乗物」はどんな乗り物のことでしょう?一説には「駕籠(=江戸時代、人間が担いで移動する一人用の乗り物。身分が高い人や、裕福な人が乗った)」を指すのだという人もいれば、「神輿(=祭りの際に神様が乗る乗り物で、複数の担ぎ手によって担いで移動した。人間は乗らない)」のことだという人もいます。
人間か?神様か?果たして、どちらための乗物だったのでしょうか?
宵越しの金は持たない
千代田区が建てた町名由来の看板を見ると、北乗物町に住んでいたのは、どうやら「駕籠」を作っていた職人たちのようです。職人さんの江戸っ子気質を表現する言葉として「宵越しの金は持たない(=その日に稼いだお金はその日に使いきる)」という言葉があります。要は、「お金に執着しない」「気前よく使う」「貯金しない」といったことです。
なんて短絡的で無謀な生き方なんだ!と思いますか?かっこいいから自分もそうしてみよう!と思いますか?
そもそも、それで生きて行けたのか?
宵越しの金は持たない職人さんの賃金体系を見てみると、職人さんの多くは一人前になるまでは師匠の家に住み込みでした。最低賃金などない時代で、お給料はほぼもらえませんが、食と住と時に衣も贅沢は言えませんが面倒をみてもらえました。これでは宵越しの金など発生しません。一人前になってからもらえる賃金は多くの場合日払いでしたので、一日働いて使い切っても、また明日働ければよかったのですね。なお、自分の技術で稼げるようになると家を持つこともできましたが、江戸の町で「家」というのは大名や大金持ちでない限り今のような一軒家ではなく「長屋」です。長屋というのは連なった貸家です。お隣さんとは壁一枚を隔てただけの距離でした。長屋の住民はいわば大家族です。助け合いや、食料のおすそ分けは当たり前のことで、中には火事への懸念から台所を一か所にしている長屋もあったようです。個人の持ち物=長屋のみんなの持ち物という意識もあったそうです。これなら万が一風邪を引いて働けなかったくらいなら、誰かが助けてくれますね。
日常がクラウドファンディングな江戸
江戸はその代名詞になるくらい「火事」が有名でした。いくら蓄財しても燃えてしまえば何の意味もありませんね。だからといって、江戸の人たちが刹那的に散財していたわけではありません。長屋の例に書いたように、江戸時代は相互扶助のしくみが発達していたので、生きてさえいれば何とかなる社会だったようです。現代のクラウドファンディングの原型も、すでに機能していました。小規模な共同団体を作り、お金を貯めて、メンバーや地域に特定の事象(慶事・弔事・祭事)が発生した際に使うのです。火事に遭えば失くすものは大きいですが、反面、お金への執着よりも人の輪を大切にして生きていたのが江戸の人々だったようです。
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