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2019.06.05
神田
神田③ 千葉周作の道場 剣術の中心地として
剣術=剣道?
KANDAの3回目は、江戸時代の剣術の一流派「北辰一刀流」の道場跡地にご案内します。
剣術と聞いても、現代では「剣道」を思い浮かべる方が多いと思いますが、剣術は剣道とは異なります。見た目の違いで言えば、剣道では竹刀を一本使い、刀は登場しません。また、一定のルールのもと競技をすることが中心となります。
一方剣術は流儀毎に思想やルールや練習方法に特色があり、竹刀で稽古をすることはありますが刀を使えるようになることが目的です。刀は片手で持っても良いですし、二本使うこともあります。
刀はさまざまである
さらに江戸時代より前に遡れば、剣術となるより前の「刀という武器をどう使か」という非常に分かりやすい技術に行き着きます。江戸時代以前の戦国時代において、「刀」は戦における武器でした。しかし実際に戦において使われたのは槍だと言われています。リーチが長い分、刀より有利だからです。刀は接近戦における最後の手段だったそうです。あまりに接近してしまうと刀の長さはかえって弱点になります。そのため長さや形状も工夫を凝らして様々なものがあり得ました。さらに遡って戦国時代以前の刀/太刀になるとその頃の刀事情はまた異なるのですが、長くなるので別の機会に譲ります。そのように時代によって背景が異なってしまうため、便宜上、今回の「剣術」と「刀」は江戸時代に限定します。
武士の魂と刀
江戸時代に入り、実際の戦が無くなり、武士の所有する刀は幕府によって規格が定められ、一定の長さに決められるなど、「刀の使い方」はとても表面的なものに変わっていきます。一方で、武士は自分たちの代名詞とも言える「刀」を所持することに対する自負と、時代の中のジレンマと、そして新たな武士の意味・刀の意味の模索が始まります。その一つの答えが、精神論と練習のための型と免許状システム(=最終的な剣術の資格を得るまで、等級が分かれている。等級は上達の証で、師範によって許可されないと得られない)を有する「剣術の流儀」でした。
千葉道場の論理的な教授法
そのような流儀の一つに今回、道場跡地を紹介する「北辰一刀流」があります。流儀を作ったのは千葉周作という人物です(1794生まれ)。自分が修行した3つの流派を融合させ、北辰一刀流を作り、神田お玉ヶ池に道場「玄武館」を開きます。時代は江戸時代末期で、有名な坂本龍馬や維新志士たちが多く玄武館で学びました。
流儀の特徴としては、精神論ではなく合理的に技術を教え、免許状システムを簡略にし、練習中心なので上達が早いと人気を集めました。そして江戸の3大道場の一つと言われるまでに発展します。
その論理性と練習中心のあり方が現代の剣道の元になったとも言われています。
「夫れ剣は瞬息」
千葉周作の教えのわかりやすさは、「夫れ剣は瞬息」という一言が物語っています。深い意味があるのですが、そのあたりは剣術を真剣に志さないと分かりませんので、簡単に言ってしまえば、「早いほうが勝つ」という当たり前のことなのです。この当たり前の教え方が当時は画期的でした。「無」になれ、といわれても、高度すぎて分かりませんよね?ですが、この頃はそういった教え方が大半でした。「無」になることを練習するより、「早いほうが勝つ」といわれた方が練習目標も明確です。
剣術に興味のある方は、一度千葉道場跡地を訪れてみてはいかがでしょうか?
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