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2021.09.01
特許翻訳
特許翻訳の落とし穴 エピソード3~特許翻訳にローカライズは御法度?
1. Nicht in die Falle der Patentübersetzung tappen !
今回も、私が経験した失敗や壁にまつわる翻訳エピソードをご紹介したいと思います。今回ご紹介するエピソード3では、ドイツ固有の技術用語について考えてみたいと思います。
2. 特許翻訳にローカライズは御法度?ドイツ語固有の技術用語の存在
これまで(エピソード1)とエピソード2では思い込みが招いた事件を2つご紹介しましたが、こういった思い込みによる翻訳とは別の問題として、前回ご紹介したAusnehmungのように日本語にぴたりと対応する概念が見つからないドイツ語固有の技術用語の存在もドイツ語特許翻訳者に立ちはだかる大きな壁です。。
これについては、以前、当ブログの「ドイツ語特許翻訳の世界(1)&「ドイツ語特許翻訳の世界(2)」(2016年7月29日&8月31日公開)や「会長の翻訳講談シリーズ3」(2020年9月7日公開)において詳しく述べたことがありますが、この問題は、特許庁審査第二部 法規便覧・品質ワーキンググループ(WG)の「ドイツ由来の技術用語の調査活動」により、ようやくスポットを当てられました。この調査活動には、私も微力ながら多くの助言や意見を申し述べ、調査活動の結果に反映させていただきました。(調査活動の詳細は、日本弁理士会の会誌「パテント」2019年12月号第72頁~第77頁に掲載の同WG著「ドイツ語由来の技術用語の翻訳の問題~特許審査の観点からの問題提起~」をご参照ください)
3. 日本に既存の「似て非なる概念」に翻訳する
ドイツ固有の技術用語といえば、代表的なものにFormschlussやStoffschlussなどがありますが、このようなドイツ固有の技術用語に関しては直訳した形で造語した日本語に翻訳する、という対応をしていました。しかし、そうすると、特許庁の審査官には「不明りょう」だと指摘され、拒絶理由を受け取った出願人からは「ドイツでは誰でも知っている用語なので不明りょうなわけがない」と反論され、どちらの側からも「翻訳に問題があるのではないか?」と疑惑の目を向けられて肩身の狭い思いをしていました。
そうかといって、ドイツ固有の概念を、日本に既存の「似て非なる概念」に置き換えて翻訳することは、権利範囲の乖離を生じかねませんので、そういう訳し方は避けてきました。ましてや、特許翻訳では、ゲーム翻訳などで見られるような、その国々や地域の文化に合わせた、いわゆるローカライズ行為は御法度でしょう。しかし、当然、日本に既存の「似て非なる概念」に翻訳したほうが日本語としては断然通りが良いので、不明りょうだと言われる頻度も圧倒的に少なくなります。そうすると、日本語を解さない海外の出願人にとっては、そちらの翻訳のほうが優れているように思われ、逆に我々には不信の目が向けられることになります。これが、外国のお客様が直ちに品質を見抜けない特許翻訳という仕事の大きな落とし穴のような気がします。
それに不思議なことに、日本に既存の「似て非なる概念」に翻訳すると、たいていの場合、権利範囲が狭められるケースがほとんどです。たとえばドイツの結合技術のカテゴリに「Stoffschluss」という概念があります。Stoffschlussの具体的な代表例は溶接です。Stoffschlussに相当する日本語技術用語がないからといってこれを「溶接」と翻訳してしまったら権利範囲が大きく狭められてしまいます。Stoffschlussの概念は「結合要素間に作用する分子力(凝集力、接着力)により結合されること」なので、溶接以外にも接着やろう接なども含まれるからです。たしかに「溶接」と訳せば通りは良いでしょうが、そのまま権利化されたのちに何かの機会に、実は権利範囲が狭められてしまっていたことに出願人が気づいても後の祭りです。
この問題があまり浮き彫りにならないのは、日本では侵害裁判のように明細書の文言が白日の下に晒されて一語一句が綿密に精査される機会が少ないこともその原因の一つかもしれません。
4. 直訳した形で造語した日本語に翻訳する
一方、ドイツ固有の技術用語を直訳した形で造語した日本語に翻訳した場合は、その概念や意味内容を理解してもらうことが難しくなります。これは少々大げさに言えば、ある意味、幕末から明治期に福沢諭吉や夏目漱石などが外国語の翻訳に際して突き当たった問題に似ているかもしれません。最初は造語した言葉だけが先行し、徐々に命が吹き込まれて言葉の概念が「社会」に定着されていく、という地道なプロセスが必要なのかもしれません。
この「社会」(society)という言葉だって、江戸時代まで日本語にはありませんでした。それを福沢諭吉が当初「人間交際」と翻訳し、紆余曲折した後に最終的に「社会」という語に落ち着いたものです(「翻訳語成立事情」柳父章著、岩波新書)。つまり当時日本には「社会」という概念自体が存在していなかったとも云えます。その後の近代化において日本にも実質的に「社会」という概念が生まれたので、このヨーロッパ生まれの言葉も徐々に日本に定着し、その確固たる地位を得たわけです。
特許翻訳についてもこれと同類のプロセスがあり得るのではないでしょうか。すなわち、最初は直訳的な造語となりますが、特許公報などで繰り返し使用されることで、審査官や第三者の間で共通の理解としてその概念や意味内容を把握できるようになっていく、というプロセスを積み重ねていくことです。その意味では、特許庁審査第二部WGの調査活動は、直訳した形で造語した日本語に魂(概念)を吹き込む役割を果たしていただいた点で大変有意義であったと感じており、今後もこの方向でチャレンジを続けることに大いに勇気付けられました。
た。
4. 永久不滅の問題?
ものづくり大国・ドイツ独自の技術用語は、特許庁WGの調査対象となったもの以外にも実はまだまだ多く存在しています。しかも困ったことに、これはなにもドイツ伝統の古い技術用語に限ったわけではないようなのです。たとえば最新の3Dプリンタ技術の付加製造技術(additiv. Fertigung)などにおいてもドイツ固有のカテゴライズが見られます。
せっかくなのでご紹介しておくと、日本では付加製造技術は、ASTM F2792に従い;
- ・「粉末床溶融結合」
- ・「材料押出」
- ・「指向エネルギ堆積」
- ・「結合材噴射」
- ・「材料噴射」
- ・「シート積層」
- ・「液槽光重合」
の7つに分類されます。
一方、ドイツでは;
- ・Pulverbettverfahren(粉末床法)
- ・Freiraumverfahren(自由立体法)
- ・Flüssigmaterialverfahren(液状材料法)
- ・Andere Schichtbauverfahren(別の層形成法)
の4つに分類されます。
したがって、日本とドイツではカテゴライズが対応していませんので、日本へ出願する明細書を翻訳する際は要注意です。この場合もやはり、上に挙げた日本のカテゴリに無理矢理合わせて翻訳すると意味内容が違ってしまいますし、かと言ってそのまま直訳した造語では技術概念が伝わりにくくなります。これは一例に過ぎず、このような事例は今後も増え続けると予想されますので、この問題はいわば半永久的に発生するのではないでしょうか。出願人の利益を考えれば、今後も、特許庁や代理人弁理士さんのご理解のもと、上で述べたような地道なチャレンジを続けていくことが必要でしょう。
5. 日本語→ドイツ語翻訳でも同様の問題!
当然ですが、この問題は、逆翻訳、つまり日本語をドイツ語に翻訳する際にも生じます。たとえばドイツ国内移行する際の日→独翻訳などが考えられます。幾つかの日本語技術用語は、そのままドイツ語に翻訳すると概念(意味内容)が日本語のものとは違ってしまうのです。たとえば上に挙げた3Dプリンタ技術の付加製造技術もそうですが、最も基本的なものづくり用語にも日独で相違が見られます。たとえば日本のものづくり用語の「変形加工」には、塑性変形による加工の他に鋳造や射出成形も含まれますが、ドイツでは鋳造や射出成形は「変形加工」(Umformen)の概念には含まれず、別の概念(Urformen)に分類されています。字面だけで翻訳すると、やはり権利範囲の乖離を招くおそれがあるでしょう。
こういった、外内や内外の翻訳に関して、こういった技術カテゴライズのずれに起因した問題でお悩みの特許事務所様や企業知財部様がいらしたら、いつでも弊社にご相談ください。きっとお力になれると思います。
Fortsetzung folgt
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