3つの古城を持つ要塞都市ベッリンツォーナ

 

スイスにイタリア語圏があることについては過去の記事でも触れてきましたが、皆様の中にはスイスとイタリア語が何となくしっくりこないという方もいるのではないでしょうか?

そもそもイタリア語圏はスイスのほんの小さな一部に過ぎませんし、歴史や文化の観点からも他の地域と大きく異なるのですが、スイスを語る上では決して忘れてはならない地方なのです。

むしろ、その独自性からスイス人の間でも非常に人気が高く、別の意味でスイスを代表すると言っても過言ではありません。したがって、今回はイタリア語が唯一の公用語として使用されているティチーノ州(Canton TicinoまたはKanton Tessin)の州都であるベッリンツォーナ(Bellinzona)をご紹介したいと思います。

 

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スイスのカーニバル文化

 

まだまだ寒い日々が続いていますが、節分が近づくと、春がすぐそこまで来ていると感じる方も多いのではないでしょうか?

中国では一足先に春節を迎えて、新たな季節に突入した気分になったものの、日本では豆をまいて邪気を追い払うまでは、春が近づいている気持ちは沸きませんよね?因みに、ドイツ語圏でもこれから各地でカーニバルが開催され、 これらを機に冬から春への移行を実感する方が多いです。

当サイトでは「日本人からみると不思議なドイツ事情」のブログでドイツのカーニバルがご紹介されたことが何度かあり、その中で国と地域によって風習や内容に違いがあることにも言及されていました。

この点に関してはスイスも例外ではないので、今回は冬の終わりを告げる風物詩とも言えるスイスのカーニバル文化についてのお話をさせていただきたいと思います。

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スイス軍隊あるある 兵役編

今までこのブログでスイスに関する様々な内容を採り上げてきましたが、中でも軍隊に関する記事が思った以上に好評のようです。

個人的には皆様に馴染みのあるものが興味を引くのではないかと考えていたら、意外と日本にないものが注目されていたことに少々驚いています。

しかし、皆様に読んでいただけるというのは大変喜ばしいことですし、今後も本ブログを継続していきたいモチベーションにも繋がるため、読者の方々にこの場を借りて改めてお礼を申し上げます。いつも本当にありがとうございます!

既に徴兵制度軍隊の装備で計2回にわたってスイス軍隊に関する話題をご紹介させていただいて、個人的には他の内容が好ましいと思う一方、ブログは読んでくれる人がいてなんぼですので、皆様のご興味やご関心を把握して需要に応えることも大切だと感じました。

したがって、三度目となりますが、今回は「スイス軍隊あるある」の続編として兵役についていろいろとお話させていただきたいと思います。

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アンバサダーの町と呼ばれる都市ソロトゥルン

 

過去に何度かにわたってスイスの名所を採り上げてきましたが、それらは何れもスイスを代表する都市であったことから、皆様も今更新しい話でもないと感じていたことでしょう。
しかし、いきなり観光ガイドにも掲載されていないような秘境から攻めていくと、逆にマニアックすぎると思われることを恐れたため、ある程度メジャーなものから始めてマイナーなものへと進もうと考えた次第です。

数えたところ、名所に関する記事は今回でかれこれ10回目となりますので、そろそろ著名でない場所に触れてもいい頃だと感じました。したがって、今回は個人的にとても好きで、スイスの穴場として是非皆様にも知っていただきたいソロトゥルン州(Kanton Solothurn)の州都であるソロトゥルン市をご紹介いたします。

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Frohi Wiänachte und es guets neus! スイスドイツ語講座その9:年末年始の挨拶

また年末が近づいて参りましたが、皆様はどのような一年をお過ごしになられましたか?もう終わりなのかと思う人もいれば、ここまで来るのが長かったなと感じる方もいるでしょうが、大半は年賀状や大掃除などこれからが大変という悩みを抱えているのではないでしょうか?これは日本だけではなく、スイスにおいても同様です。年末は年度末ということもあって、会社がラストスパートに入りますし、クリスマス飾りやツリーの購入、クッキー作り、さらに大切な人に配るプレゼントなどプライベートでも何かとやることが多い時期です。しかも、そんな中で身の回りの人や一年間お世話になった人に加え、長い間連絡を取らなかった方々にクリスマスカードやメッセージをしたためたり、直接お会いして心温まる年末年始の挨拶までしなくてはなりません。とはいえ、スイスではこの場合、どのような挨拶をするかご存知ですか?そんなシチュエーションに備えて、今回はこの季節にピッタリなスイスドイツ語バージョンの年末年始の挨拶をご紹介することにします。

 

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日本で功績を残したスイス人

皆様はスイスの有名人と言えばどのような人物を思い浮かべますか?この質問をする場合、多くの方はすぐに答えが出ず、少し考えてから何とか記憶に残っているスイス人または現役のスポーツ選手を挙げられるのではないでしょうか?スイスは人口が少ない上、歴史においても名前より行動で実績を残した人物が多いことから、遠く離れた日本では広く知られているスイス人がさほどいないようです。とはいえ、そんなスイス人の中にはなんと日本で活躍した者も少なからず存在しますし、日本の皆様にはせめてその人物だけでも知っていただきたいと思います。したがって、今回は日本で功績を残したスイス人3名をご紹介いたします。

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スイスの国民的料理「レーシュティ」

すっかり食欲の秋になって参りましたね。とはいえ、歳を重ねる度に新陳代謝が悪くなっていくせいか私にとって秋は体重の増加が少々気になる季節でもあります。
特にその後の年末年始も何かと御馳走が多い時期であるため、最近は未然防止が肝心だと気付き、食べ過ぎないように注意しています。しかし、何を食べても美味しい日本に住んでいる以上、そういった計画もなかなか思うように実行できないのが悩ましいところです。それに対して皆様は食生活と健康維持のバランスを上手く取っておられると考えますので、今回は食欲の秋に相応しい、スイスの国民的料理とも呼ばれている「レーシュティ」(Röschti)をご紹介いたします。

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実はスイス出身だったハプスブルク家

お気付きの方もいると思いますが、本ブログでスイスの名所や歴史的な内容をご紹介した際には必ずと言っていいほど「ハプスブルク家」の名前が登場しただけでなく、「ハプスブルク家」がスイスを征服しようとした因縁の相手のような存在として紹介されていました。

しかし、それは長い歴史の中での一定の期間における傾向であるに過ぎず、中世から現代までの全体的な流れを辿って見ると、むしろスイスとハプスブルク家の関係は思っている以上に複雑であり、単に「宿敵」や「ライバル」という言葉だけでは片付けられません。また、ハプスブルク家は別名「オーストリア家」(Haus Österreich)とも呼ばれていることからオーストリアの貴族というイメージが強いのですが、実は出身がスイスであるという事実をご存知でしたか?

つまり、ハプスブルク家とスイスの衝突は敵対する国同士による紛争というよりも一種の内戦であったと言えます。エリザベート皇后(Elisabeth von Österreich)を始め、個性豊かなキャラクターを多数輩出してきたハプスブルク家は日本でも認知度が高いので、その背景についても詳しく調べられた人も少なくないことかと考えますが、同家が元々スイスと深い関係にある一族であることを知らない方も多いため、今回はハプスブルク家とスイスの繋がりについてのお話しをさせていただきます。

 

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スイス最西端の都市ジュネーヴ

以前、ベルンをご紹介した際にベルンが連邦都市として事実上スイスの首都であることにも触れさせていただきましたが、皆様の中には本ブログの記事を毎回読んでくれている人ばかりではないと思いますので、未だにジュネーヴがスイスの首都であると勘違いされている方もいるのではないでしょうか?

確かに、ジュネーヴはビジネスを始め、国際会議などの目的で年間を通して多くの外国人が訪問しますし、メディアでも度々その名前を見聞きすることがあります。しかも、それらがほぼ政治経済に関するものであることから、スイスに行かれたことがない人はもとより、現地を訪れた観光客でさえ、ジュネーヴが政治の中心であるかのように感じてしまいます。しかし、スイス人からすればそれはとんでもない誤解で、ジュネーヴほどスイスらしくない地域はないと主張するぐらいです。

したがって、今回は実際にどのような場所であるかを知っていただくために、ジュネーヴ州(Canton de GenèveまたはKanton Genf)の州都であるジュネーヴについてご説明させていただきます。

 

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