過去の記事では標準ドイツ語とスイスドイツ語の差異を幾度となくご紹介させていただきましたが、それらは何れも歴史的背景や文化の違いで語源が異なる名詞でしたよね?
「もの」や「名前」は捉え方や発想ひとつで表現や言い回しが変わってくることから、言語間でこういった差異が生じるのも無理はありません。
しかし、決まった動作を表す動詞や特定の状態を指す形容詞に関しては認識のズレが発生しにくいので、言葉にも違いは出ないと考えるのが自然です。
それはドイツとオーストリアのドイツ語に当てはまるものの、スイスドイツ語はやはりそこまで単純ではありません。
この点についてはスイス人である私自身も首を傾げることが多いのですが、動詞においてもなんと標準ドイツ語とスイスドイツ語にかなりの差が存在し、中には同じドイツ語でありながらもドイツ人がそれを理解できないケースまであります。
したがって、今回はドイツでは使用しないスイスだけの動詞についてのお話をさせていただきます。
ドイツとスイスで語尾だけが異なる動詞
まず、ドイツとスイスで違う動詞について最初に言及しておきたいのは語幹が同一で語尾だけ異なるパターンです。
代表的なものを挙げますと「駐車する」がそれに当たります。
「駐車する」は標準ドイツ語で「パーケン」(parken)と言う一方、スイスドイツ語では「パーキーエレン」(parkieren)と表現するのです。
ローマ字表記を確認すると分かりやすいと思いますが、どちらも語幹の「park-」が同じで、語尾だけが「-en」(エン)から「-ieren」(イーレン)に変化しています。
標準ドイツ語では「machen」(=する)や「schlafen」(=寝る)のように大半の動詞に「-en」が定番の語尾として付き、「spazieren」(=散歩する)または「diskutieren」(=議論する)などで「-ieren」もまた頻繁に登場する語尾のひとつです。
したがって、「-ieren」は決してスイスドイツ語特有の語尾ではありません。
また、発音には多少の違いがあるものの、今ご紹介した全ての動詞は標準ドイツ語とスイスドイツ語で完全に一致していて、語幹・語尾ともに差異が一切ないのです。
つまり、他では誤差ひとつないのに、「駐車する」の動詞となると何故か語尾が変わるという事態が起きています。
しかも、これは「駐車する」に限ったことではなく、「バーベキューする」においても同様な現象が見受けられます。
標準ドイツ語には「バーベキュー」を動詞化した「グリレン」(grillen)という言葉が存在し、そのスイスドイツ語バージョンが「グリリーレン」(grillieren)なのです。
ここでも「-en」から「-ieren」への変化が確認できるのですが、どうしてそうなったのかについてははっきり言って不明です。
また、このレベルの差なら相手にもちゃんと伝わるので結局どちらでもいいのではと考えてしまう人が出てきておかしくありません。
しかし、この問題に関してはドイツのみならず、スイスもかなり敏感で、学校の授業でそれぞれの国の正しい表現を使用しないと先生に訂正されるほどです。
同様に、ドイツ人に対して「パーキーエレン」や「グリリーレン」と言ったら、相手はすぐに違和感を抱いて、「それ間違っているよ」との指摘を受けますので、注意する必要があります。
同じ動作に別の単語を当てている動詞
続いて、標準ドイツ語とスイスドイツ語とで異なる動詞の種類として忘れてはいけないのが、同じ動作に対してそもそも違う単語を使用しているケースです。
具体的な例を申し上げると「アイロン掛けする」や「引っ越す」などがそれに該当します。
前者の「アイロン掛けする」は標準ドイツ語で「ビューゲルン」(bügeln)である一方、スイスドイツ語においては「グレッテン」(glätten)という全く別の言葉で表すのが現状です。
もちろん、どちらの表現もアイロンを用いて衣類のしわを取ることを指しますので、意味そのものに差異はございません。
ただし、スイスドイツ語の「グレッテン」は広義に「平滑にする」や「ぺったんこにする」といった意味合いも含まれるため、アイロン掛けに限定されていません。
したがって、標準ドイツ語はアイロンの普及に伴って、新しく作った単語であるのに対して、スイスドイツ語の方はもともと似たような意味を持つ言葉を流用したことによってできたと思われます。
また、後者の「引っ越す」については標準ドイツ語で「ウムツィーエン」(umziehen)と言い、スイスドイツ語ではそれと似ても似つかない「ツューゲルン」(zügeln)が当てられているのです。
こちらの違いが生じた経緯は分かりませんが、同音異義語であることが原因ではないかと推測されます。
というのも、標準ドイツ語の「ウムツィーエン」は「引っ越す」以外にも「着替える」を意味する動詞であることから、引っ越しすることを表す語としてしっくり来ないと思われたのかもしれません。
しかし、スイスドイツ語の「ツューゲルン」もまた「制御する」というもうひとつの意味を有する同音異義語であるため、理由としては少し不自然です。
したがって、詳細は不明のままですが、同じ動作にそれぞれの言語で言い方が大きく異なる場合もあることに気を付けなくてはなりません。
特に、「引っ越す」に関しては、標準ドイツ語の分離動詞がスイスドイツ語では前綴りのない単純な動詞に変化するので言葉だけでなく、文法上の扱いも変わります。
スイスドイツ語にしか存在しない動詞
これまではドイツとスイスで微妙に違っていたり、表現が変わったりする動詞を中心にご紹介いたしましたが、そもそもスイスドイツ語にしか存在せず、標準ドイツ語にはない動詞があることにも注目しなくてはなりません。
一般的には標準ドイツ語で新たな言葉が辞書に登録されるとスイスドイツ語にも広がることから、前者が基本形で、後者がその変異体みたいなものと見なす人が多いようです。
しかし、両者はそれぞれ独立した言語で、発展の仕方もまた同じでないため、逆にスイスドイツ語で新しい表現が生まれ、それが後に標準ドイツ語に取り入れられるケースもあります。
そして、中には需要が低い、または使用範囲が限定的であるとの理由からドイツ語圏全域に普及せず、最終的にスイスドイツ語のみに留まるものも出てくるのです。
例えば、投票などで「多数を決める」を意味する「アウスメーレン」(ausmehren)という動詞がそれに該当します。
国・州・地自体で投票が頻繁に行われるスイスでは賛成や反対多数を決めることがほぼ日常になっているが故に、専用の動詞を作ってしまうのも納得ですが、他のドイツ語圏ではそれを使う場面が比較的少ないので標準ドイツ語には導入されませんでした。
また、日が暮れて夜になる様を表す「アインナハテン」(einnachten)と、言ったことに対する責任を取らすことを指す「ベハフテン」(behaften)に関しても同様で、ドイツならびにオーストリアにはない、スイスでしか使われない動詞です。
さらに、ルールを無視したり、責任を放棄したりすることをフランス語で「フートル」(foutre)と言い、スイスドイツ語のみそれをドイツ語化した動詞「フティーレン」(foutieren)を用います。
それ以外にも公共の場で宣伝しながら歩き回ることを「ヴァイベルン」(weibeln)、交差点で右折や左折時に専用車線に入って待つことを「アインシュプーレン」(einspuren)と表現する動詞があり、他のドイツ語圏でも需要はありそうなのですが、それらの使用は何故かスイスに限定されています。
今回はドイツとスイスの動詞に着目して様々なパターンの違いを挙げさせていただきましたが、想像していたよりも差異があることに気付かされましたよね?
同じ言葉でも部分的に異なったり、言い回しそのものが変わったり、スイスドイツ語にはあるけど標準ドイツ語には存在しないなど、ネイティブなドイツ語スピーカーでさえ驚くほど両言語にはズレがあります。
特にドイツ人がスイスを訪れた際には、それらを耳にするシチュエーションが度々あって、「ドイツ語なのに言葉の意味が分からない!」という経験をすることも少なくありません。
したがって、ドイツ語ができるからと言って安易な気持ちでスイスドイツ語に挑戦してみようとすると、意外と早く壁にぶつかってしまうことから、それなりの覚悟を要します。
逆に、それぞれの違いが興味深くてどこか面白さを感じられると思って取り掛かった方が挫折せずに成長できますので、皆様もそのような気持ちでスイスドイツ語にチャレンジすることをお勧めします。
では
Bis zum nöchschte mal!
Birewegge
今回の対訳用語集