ヴァルプルギスの夜‐魔女たちの宴
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もうすぐGW、日本では祝祭日が続く大型連休を迎えますが、ドイツでも5月1日は労働者の祭典であるメーデーとして祝日となっています。しかしこのメーデー、その起源は、春の到来を祝う(夏の到来を祝うという説もあり)ヨーロッパの伝統的なお祭り「五月祭」にあります。そしてその前夜には、魔女たちの宴と云われる祝祭「ヴァルプルギスの夜」(Walpurgisnacht)」が北欧や中央ヨーロッパで行われています。今回はこの魔女の宴・ヴァルプルギスの夜についてお届けします。
ヴァルプルギスの夜とは?魔女たちの宴
元来、ヴァルプルギスの夜というは、4月30日の日没から5月1日の未明にかけて行われる魔女たちの集会(サバト)を指す伝承で、ドイツ国内では古くからハルツ地方のブロッケン山に魔女が集まると云われてきました。この祝祭の起源は、キリスト教伝来以前から伝わる古代ケルトに遡り、春を迎える祝祭とされていました。この日は、冥界と現世の境界が曖昧になり、死者の魂が現世に戻るともいわれているため、かがり火が焚かれる習わしが今日でも残っています。
現代では、各地でイベント化されており、特に、ブロッケン山近隣であるハルツ地方の町々、中でも世界遺産の町ゴスラーや、ブロッケン山の麓の町ヴェルニゲローデでは、今日でも魔女伝説が色濃く残っており、魔女の仮装行列やコンサート、ショーなどで盛大に祝われています。
ちなみに「ヴァルプルギス」(Walpurgis)というのは、中世イングランド・ウェセックス王国出身、ドイツ・ハイデンハイムにて、カトリックの尼僧となった聖女ワルプルガ(710-779)にちなんでおり、彼女の聖遺物(聖人の遺骸、遺品のこと)が、ローマ教区であるバイエルン州のアイヒシュテッテに納められたのが5月1日なので、ヴァルプルギスという名に転じたと伝えられています。あまり関連性がないような気がしますが、古い伝統であるが故、様々な要素が入り混じっているということでしょうか?
理不尽で残酷な魔女狩りの歴史
今日では、魔女の仮装をして楽しげに「ヴァルプルギスの夜」を祝う市民たちではありますが、中世ヨーロッパでは理不尽で残酷な魔女狩り(独:Hexenverfolgung)の史実も存在します。15世紀から18世紀にかけて盛んであった魔女狩りは、キリスト教の教えに背く異端者への異端審問が原点となっています。この時代の魔女とは「悪魔と結託し、邪悪で不可思議な、害悪のある行為を行うもの」と教会側から定義づけられ、ドイツでも16世紀終わりから17世紀にかけては魔女への大迫害があり、魔女として告発されてしまった無実の人々が魔女裁判にかけられ、処刑されていました。
疫病の蔓延や、近世における寒冷気候が及ぼした農作物の不作、凶作などの災厄は、邪悪な魔女の仕業と見なされ、独り身の老婆や、取り立てて特徴のない人々が魔女に仕立てあげられ、教会と民衆たちからのスケープゴートとなってしまった―というのが、今日における魔女狩りへの一般的な解釈となっています。
魔女への残酷な拷問や処刑が行われていた時代は大昔のこと、陽気に魔女の仮装ができることは平和な証拠ともいえるのでしょうね。
参考HP
参考文献
- 森島恒雄 『魔女狩り』 岩波新書 1970
- 牟田和男 『魔女裁判 魔術と民衆のドイツ史』 吉川弘文館 2000
これまで【日本人からみると不思議なドイツ事情】、【ものづくりの国ドイツ】を担当してまいりました、HHです。京都生まれ。ドイツ・フライブルク大学卒。留学中に得た経験をもとに、独自のアンテナを張って様々な側面からみたドイツをお伝えしていきたいと思います!皆さまのドイツ文化に関する興味・関心、ブログの感想もぜひ聞かせて下さいね。
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