国境都市バーゼル
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数年前にサッカー元日本代表の柿谷選手がスイスのFCバーゼルに所属していたことでその名前を聞いたことがある人もいらっしゃると思いますが、ほとんどの方はバーゼルについてあまりご存知ないのではないでしょうか?
したがって、今回はスイス連邦26州の中で最も小さな面積を持ちながらもチューリッヒに次ぐスイス第2の商業都市であるバーゼル・シュタット準州 (Kanton Basel-Stadt)の州都バーゼルの魅力をご紹介いたします。
キリスト教の司教管区でありながらも都市国家として発展
バーゼルはスイスの北西部に位置し、フランスおよびドイツと国境を接するスイスの玄関口のひとつでもあります。
バーゼルの歴史は古く、市内およびその周辺地域で発掘された出土品からは旧石器時代に既に居住地として使用されていたことが窺えます。
しかし、この土地で初めて集落を築き、町づくりを行ったのはケルト民族であると言われています。
ケルト民族は数世紀にわたって現在のバーゼルに当たる地域を開拓しましたが、やがてカエサルによるガリア征伐の際に、バーゼルはローマ帝国の支配下に置かれるようになります。
ローマ帝国崩壊後は隣接する複数の王国の一部とされ、7世紀には司教管区(Bistum)となり、市政が司教によって運営されることになります。
13世紀以降は徐々に騎士や町民によって形成される市議会ならびに市長が市政に参加するようになってきますが、それらは全て司教によって任命される必要があったため、事実上の主権者は引き続き司教でした。
とはいえ、バーゼルは周辺地域の購入によって領土を拡大し、アイトゲノッセンシャフトとも友好関係を保ち、独自の政治で独立した都市国家としての地位を上手く維持していました。
そして、以前からバーゼルを度々征服しようと試みたハプスブルク家に対しての対抗心を示すため、バーゼルは1501年に11番目の州としてアイトゲノッセンシャフトに加盟することになります。
また、同時期に市議会は司教の権限を削減し始め、最終的に長きにわたって続いた司教による支配に終止符を打ちます。その後はスイスの一部として他の州と行動を共にし、近世・近代に入るにつれてチューリッヒと同様に商業都市としての存在感を放つようになります。
歴史を感じさせる旧市街
ライン川の左岸にある旧市街では現在もバーゼルがどのように発展したかを色濃く伝える建物が数多く残っています。
例えば、ミュンスターベルク(Münsterberg)にそびえる1019年建造の大聖堂(Münster)はバーゼルが司教管区であったことを示す一方、1504~1514年に建てられ、現在の州政府および州議会が入っている市庁舎(Rathaus)は司教からの独立を象徴するかのような盛大な建築物です。
また、都市国家として自らを外部の攻撃から守るため、バーゼルは巨大な城郭に囲まれていました。当初の城郭は現在の旧市街に当たる中心部を囲む内郭と郊外を囲む外郭から構成されており、内郭は11世紀、外郭は14世紀に完成したと言われています。
しかし、19世紀後半になると城郭の必要性がなくなったと同時に、人口の増加によって土地が不足した事態を踏まえ、バーゼルは城郭を徐々に撤去し始めます。
そのため、現在も残っているのは城郭の出入口であったシュパーレン門(Spalentor)、サンクト・アルバン門(St. Alban-Tor)、サンクト・ヨハン門(St. Johanns-Tor)、および外郭の一部のみとなっています。そして、旧市街を歩くと建物が密集している場所や狭い路地が非常に多いことに気付き、当時の土地不足が如何に深刻だったかを如実に表しています。
学問と人文主義の都
キリスト教の司教管区として栄えたバーゼルですが、実は古くから学問や自由な思想を積極的に取り入れる姿勢がありました。
その代表例とも言えるのが1460年に設立されたスイス最古の大学であるバーゼル大学(Universität Basel)です。
当大学はレオンハルト・オイラー(Leonhard Euler)やカール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)などをはじめ、学問を問わず数多くの偉人を輩出してきました。
また、パラケルスス(Paracelsus)やダニエル・ベルヌーイ(Daniel Bernoulli)ならびにフリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Nietzsche)やカール・ヤスパース(Karl Jaspers)などのような世界中の教科書にその名を残す数々の人物もバーゼル大学で教員を務め、計9名のノーベル賞受賞者を世に送り出したことでも有名です。
さらに、チューリッヒでプロテスタンティズムを広めたフルドリッヒ・ツヴィングリ(Huldrych Zwingli)も実はバーゼル大学の卒業生で、マルティン・ルター(Martin Luther)に大きな影響を与えたデジデリウス・エラスムス(Erasmus von Rotterdam)も元教員だった他、亡命先としてバーゼルを選んだジャン・カルヴァン(Jean Calvin)も滞在中に自身の理論を出版したことからプロテスタント各派の思想の多くはなんとバーゼルで生まれたのです。
そして、後にイスラエルの建国にも繋がったシオニスト会議の記念すべき第1回およびその後計9回の開催地となったのもバーゼルだったのです。
このようにバーゼルは数百年もの間、それぞれの時代の常識を覆すような最先端の技術と発想を世界に向けて発信し続けた学問と人文主義の都と言っても過言ではありません。
国境都市としての特色
そして、バーゼルを語る上で忘れてはいけないのは国境都市としての存在です。
島国に住んでいる日本人には全くと言っていいほどイメージが湧かないと思いますが、内陸国であるスイスは陸続で5つの国と国境を接しています。
しかも、バーゼルに関してはドイツとフランスと共に三国国境を形成する極めて珍しい地点となっています。感覚的には日本でも存在する3つの県が合流する県境のようなものに過ぎませんが、バーゼルの最北端のライン川上に位置するドライレンダーエック(Dreiländereck)は言語も文化も異なる三国の国境ですので、とても興味深い場所なのです。
もちろん、バーゼル市民にとっては昔から当たり前であり、国境を超えることも隣町に出かけてくるような感覚でしかないため、不思議でも何でもないのですが、日本人から見れば想像し難いものなのではないでしょうか?
「何の問題もないの?」など少々不安になったりする方もいると思いますが、バーゼルの人々は逆に「今夜は本場フランスでフレンチ料理を食べよう」や「スイスより物価が安いドイツへ買い物に行こう」といった発想を持っており、2カ国に隣接している状況を上手く日常生活に取り入れています。
しかも、三国の交流は市民生活レベルだけでなく、当然ながらビジネスにおいても活かされています。
例えば、バーゼルから僅か6キロしか離れていないフランスのミュルーズにあるユーロエアポート(EuroAirport)はスイス、ドイツ、フランスの3カ国が共同で運営している空港で、その正式名も「バーゼル・ミュルーズ・フライブルク空港」(Flughafen Basel Mulhouse Freiburg)なのです。
さて、バーゼルについて色々なネタをご紹介させていただきましたが、実はそれ以上にまだまだ多くの魅力を持っており、語りだすと切りがないぐらい奥深くてユニークな都市です。
特に、今回取り上げたトピックは日本でまず遭遇することのできないものばかりで、ご自身の目で見て、肌で感じていただきたいです。
また、スイス観光の一環としてバーゼルを訪れるとスイスを別の観点から堪能することもできるし、またドイツのフライブルクをご訪問されるついでに遠足気分でバーゼルに遊びに行くこともできて、旅行にアクセントを付けてくれることは間違いありません。
また、渡し船に乗ったり、クルーザーでライン川下りを楽しんだり、川沿いの浴場で遊泳したりと、水の都ならではの体験も豊富に揃えていますので、是非一度見に行かれては如何でしょう?
では
Bis zum nöchschte mal!
Birewegge
今回の対訳用語集
日本語 | 標準ドイツ語 | スイスドイツ語 |
サッカー | Fußball
(フースバル) |
Schuute
(シューテ) |
玄関 | Eingang
(アインガング) |
Iigang
(イーガング) |
市長 | Bürgermeister
(ビュルガーマイスター) |
Bürgermeischter
(ビュルゲルマイシュテル) |
市庁舎 | Rathaus
(ラートハウス) |
Rathuus
(ラートフース) |
城郭 | Stadtmauer
(シュタットマウアー) |
Schtadtmuur
(シュタットムール) |
学問 | Wissenschaft
(ヴィッセンシャフト) |
Wüsseschaft
(ヴュッセシャフト) |
プロテスタント | Protestanten
(プロテスタンテン) |
Proteschtante
(プロテシュタンテ) |
ライン川 | Der Rhein
(デア・ライン) |
Dä Rhii
(デ・リー) |
フランス | Frankreich
(フランクライヒ) |
Frankriich
(フランクリーヒ) |
ドイツ | Deutschland
(ドイチラント) |
Tüütschland
(テューチュラント) |
参考ホームページ
スイス生まれスイス育ち。チューリッヒ大学卒業後、日本を訪れた際に心を打たれ、日本に移住。趣味は観光地巡りとグルメツアー。好きな食べ物はラーメンとスイーツ。「ちょっと知りたいスイス」のブログを担当することになり、スイスの魅力をお伝えできればと思っておりますので皆様のご感想やご意見などをいただければ嬉しいです。
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