Lawine, Föhn, Schuldenbremse, Heimweh
スイスドイツ語講座その17:他言語にも導入されたスイス生まれの言葉

 

今までのスイスドイツ語講座では、主に標準ドイツ語に対してスイスドイツ語にはどのような違いがあるのかを示してきたことが多かったかと思います。

スイスドイツ語はアレマン語に属するドイツ語の方言のひとつであることから、標準ドイツ語を基に異なる点をご説明するのは決して間違っていません。

しかし、スイスドイツ語は独自の発展を遂げたドイツ語のバリエーションであるため、標準ドイツ語が必ずしもその語源となっている訳ではないのです。

例を挙げるとすれば、過去の記事でも何度か登場したフランス語を始め、他の言語に由来する表現などがありましたよね?

それ以外にも、スイスはドイツ語圏に含まれるものの、地理、地質および気候といった自然はもちろんのこと、文化や政治においてもドイツやオーストリアとは異なる点が多いです。

それらの要素も長い歴史の中で言語に影響を与えてきましたので、スイスドイツ語だけに存在し、標準ドイツ語にはない独自の単語や表現も少なくありません。

そして、その一部はなんと時間の経過とともに標準ドイツ語をはじめ、様々な言語にもわたりました。

したがって、今回はそんなスイス発祥で、いわゆる「逆輸入版」としてドイツ語圏全域やその他の言語にまで広がった言葉をご紹介させていただきます。

 

自然現象に関する言葉

 

ドイツ語圏の中でもスイスを特徴付けるものと言えばやっぱり「山国」や「雪国」などの代名詞になります。

そのため、山と雪に関連する専門用語が豊富で、スイスで生まれ、他国に渡った表現があるのも不思議ではありません。

その代表例なのが「氷河」を意味する「グレッチャー」(Gletscher)です。

氷河は決してスイスに限定した自然現象ではなく、アルプス山脈であれば様々な場所に残っているので、それを表す言葉としてはスイスの「グレッチャー」以外にも南ドイツの「フェアナー」(Ferner)、そしてオーストリアの「ケース」(Kees)があります。

しかし、どういう訳か「グレッチャー」だけが他の地方に広く分布してドイツ語圏全域で一般的な表現として定着するようになり、「ケース」などの単語は現在一部の氷河の名前に含まれているぐらいだけで、日常会話ではほぼ使用されないのが現状です。

また、「氷河化」を指す「フェアーグレッチェルング」(Vergletscherung)といった関連用語については完全に「グレッチャー」から派生しており、別の言い方がないことからもスイスの呼び名が如何に標準ドイツ語で定番化しているかが窺えます。

続いて、毎年死者が出る冬の自然現象として有名な「雪崩」のドイツ語表現「ラヴィーネ」(Lawine)もまたスイス発祥だったことを知っていましたか?

雪崩についてはバイエルン方言で「ラーン」(Lahn)という独自の表現があるものの、標準ドイツ語に取り入れられたのは何故かスイスドイツ語の「ラヴィーネ」でした。

しかも、興味深いことに、「ラヴィーネ」はもはや雪に限定されておらず、様々な類似現象にも応用されているのです。

例えば、土石流をドイツ語で「シュタインラヴィーネ」(Steinlawine)岩屑流「シュラムラヴィーネ」(Schlammlawine)、ならびに土砂崩れ「エアートラヴィーネ」(Erdlawine)と呼んでいます。

さらに、交通渋滞で大量の車がゆっくり流れる様を罵って「鉄板滑り」、即ち「ブレヒラヴィーネ」(Blechlawine)と言ったり、崩れんばかりに膨らんだ国の借金に対して危機感を促すために「シュルデンラヴィーネ」(Schuldenlawine)と表現したりすることも見受けられるなど、元々スイスドイツ語だった言葉が標準ドイツ語で想像以上に一人歩きしているのです。

そして、忘れてはいけないスイス発祥の自然現象に関する表現はなんといっても「フェーン」(Föhn)です。

ご存知の方も多いと思いますが、「フェーン」とは気流が山の斜面に当たった後に風が山を超え、暖かくて乾いた降下気流となって山の麓の広範囲で気温が上がる現象のことで、アルプス山中で吹く局地風を指すスイスドイツ語がその名の由来となっています。

同様な現象は世界各地で確認されており、それぞれには独自の呼び方があるにもかかわらず、気象学的にはその全てに対して「フェーン」という名称を用いるのが一般的です。

したがって、「フェーン」はスイスからドイツ語圏全域だけでなく、英語やスペイン語、さらに日本語にまで伝わったスイスドイツ語単語の例になります。

 

オーストリアの「雪崩注意」を示す看板(写真:Bildredaktion Wien、CC BY-SA 2.0

 

政治関連の表現

 

自然現象だけでも様々なスイス発祥の言葉がありますが、実は政治関連でもスイスドイツ語に由来する表現が多数存在します。

というのも、スイスは国民が主権を握る直接民主主義を採用しており、国民自らが法案を提出して国民投票にかけられるのが可能であることから、他の国では政治家がさほど関心がない内容も法律になる場合があるのです。

そのため、過去にはスイスが世界で初めて作った制度も少なくありません。

その代表的なものと言えるのが高速道路の料金所を廃止して、代わりに全利用者が「アウトバーンヴィニェッテ」(Autobahnvignette)と呼ばれる高速道路用年間パスを購入する仕組みです。

この制度は交通をスムーズにする他、欧州諸国からの通過交通がスイスの高速道路を年間数回しか利用しない場合であっても、高速道路の存在によって恩恵を受けているので、年会費を支払って負担額を増やすべきであるとの考えに基づき1985年から導入されました。

料金については導入時に30スイスフランでしたが、現在は14カ月の有効期限で40スイスフラン(約6,500円)と、日本の高速料金に比べて信じられないほど安価です。

そして、スイスの成功例を基にオーストリア、スロベニア、チェコをはじめ、ヨーロッパ各国にも似たような制度が誕生し、元々フランス語で小さな飾り模様を意味する言葉が、スイスドイツ語で高速料金の支払証明書に応用されたことをきっかけに「ヴィニェッテ」が各国で正式名称として受け継がれることになったのです。

また、スイスの憲法改正に伴いできた概念である「シュルデンブレムセ」(Schuldenbremse)も後に他国に広がった政治関連の制度です。

「シュルデンブレムセ」は直訳すると「借金ブレーキ」を意味し、政府に対して景気の周期とは無関係に国の収入と支出のバランスを常に維持し、補正予算は事前の承認が必要な他、予算を超える額は数年以内に回収しなければならない義務を負わせる法律のことで、スイスでは2001年に国民投票においてなんと85%の賛成率で可決されました。

それ以来、複数のEU諸国でも「シュルデンブレムセ」に該当する法律が定められ、国の借金がこれ以上膨らむことを防ぐ仕組みが整備されたのです。

そして、制度関連以外でもスイスから他国に広がった政治関連の表現があります。

古いものとしてはクーデターを意味する「プッチュ」(Putsch)が正にそれです。

クーデターは標準ドイツ語で本来「シュターツシュトライヒ」(Staatsstreich)と言いますが、日常会話においてはスイスドイツ語で中世から「一揆」や「民衆蜂起」を指す「プッチュ」が最もメジャーな表現として使われています。

特に、過去に実際起きたクーデター(未遂)に関しては報道陣が「プッチュ」と称したせいでそれが正式名と化しました。

というのも、1923年に起きたミュンヘン一揆で知られる「ビアケラー・プッチュ」(Bierkeller-Putsch)はフランス語で「プッチュ・ド・ラ・ブラッスリー」(Putsch de la Brasserie)、さらに英語でも「ビアホール・プッチュ」(Beer Hall Putsch)と呼ばれているので、「プッチュ」もまた他言語に浸透したスイスドイツ語の例です。

 

デンマーク、ルクセンブルク、オランダ、およびスウェーデンで総重量12トン以上のトラックが高速道路を利用する際に必要な「オイロヴィニェッテ」の販売店案内(写真:European Roads、CC BY-NC 2.0

 

ゴンドラリフトやホームシックもスイス発祥の言葉だった

 

自然や政治に関するスイス生まれの表現だけでも色々ありますが、それらは当然ながらほんの一部に過ぎず、他の分野においてもスイスドイツ語に由来する言葉がまだまだたくさん存在します。

その全てをここで網羅するには少々無理がありますので、せめて皆様もご存知で、スイス発祥であるとは想像もしなかった単語だけでもいくつか採り上げたいと思います。

そのような言葉でまずご紹介させていただきたいのが日本人にとって「ゴンドラ」でお馴染みの「ゴンデル」(Gondel)です。

ゴンドラはビザンチンギリシャ語で小舟を意味する「コントゥラ」(kontūra)を語源とし、元々イタリア北部に位置するヴェネツィア(Venezia)の名物として知られる小型の船を表す語でした。

そして、17世紀に入ると、ゴンドラは気球の籠、さらには飛行船の客室にも使用されるようになり、やがて索道において乗客を運ぶキャビンに応用される言葉になったのです。

ゴンドラを索道に応用した第一人者は不明であるものの、チェアリフトとの区別としてゴンドラリフト、即ち「ゴンデルリフト」(Gondellift)、ならびにゴンドラ型索道を指す「ゴンデルバーン」(Gondelbahn)はスイスで初めて確認された表現でした。

その後、索道のゴンドラはスイスドイツ語から標準ドイツ語に広まり、日本語をはじめ、多数の言語にまで進出したのです。

皆様も今までゲレンデで当たり前のようにゴンドラリフトという言葉を使用していたものの、それがまさかスイスドイツ語から渡来してきたものとは思いもしなかったのではないでしょうか?

続いて、読者の皆様もよく知っているもうひとつのスイスドイツ語に由来する表現は「ハイムヴェー」(Heimweh)です。

ハイムヴェーとはいわゆるホームシックのことで、故郷または本来生活している場所から離れている時に、故郷、家族、友人などが恋しくなり、帰りたいという気持ちが湧いたり憂鬱になったりする症状を指します。

日本語ではそれを「郷愁」または「懐郷病」と呼び、独自の用語が存在することから、それが元々スイス発祥で日本にやってきた言葉であるとは想像もつかない方も少なくないでしょう。

しかし、「懐郷病」は芥川龍之介が「玄鶴山房」にて英語のホームシックを日本語に訳した表現に過ぎず、以前から日本語にあった単語ではないのです。

そして、英語のホームシックもまたドイツ語の「ハイムヴェー」の翻訳であり、その言葉が最初に登場したのは1651年に誕生したスイスの短編集でした。

また、ヨーロッパ諸国の軍に配属していたスイスの傭兵の間でホームシックが初めて顕在的な症例として確認されたことで、当初は「スイス人病」(Schweizerkrankheit)の名称も流行っていましたが、その後スイス人だけが発症するものではないことが分かって病名を「ハイムヴェー」に置き換えられたのです。

したがって、今や誰もが知っているホームシックの概念はスイス発祥で、それが病気として認識・診断されるきっかけを作ったのもスイス人でした。

 

 

今回はいつもと少し異なるスイスドイツ語講座でしたが楽しんでいただけましたか?

普段は特定のシチュエーションで使える用語を中心にご紹介しているのに対して、本記事では様々な分野で使用されているスイス生まれの単語が主役だったため、必要性がさほどないかもしれない一方で、それぞれの用語の語源や気候的・政治的背景についての予備知識を提供してスイスへの理解をより深めていただく狙いがありました。

また、日本のニュースでも耳にすることがある「フェーン現象」やスキー場で遭遇する「ゴンドラ」が、スイスドイツ語に由来する事実などが皆様の日常生活における一般常識の視野を広げるきっかけになったことを願っております。

そして、今回のように、スイスならではネタを採り上げた講座の方が好みという方や今後ピックアップしてほしい内容があれば是非ご意見やコメントもお寄せください。

では

Bis zum nöchschte mal!

Birewegge


今回の対訳用語集

日本語 標準ドイツ語 スイスドイツ語
標準ドイツ語 Standarddeutsch

(シュタンダートドイチュ)

Schtandardtüütsch

(シュタンダルトテューチュ)

土石流 Steinlawine

(シュタインラヴィーネ)

Schteilawine

(シュタイラヴィーネ)

乾いている trocken

(トロッケン)

troche

(トロッヘ)

雪崩注意 Lawinengefahr

(ラヴィーネンゲファー)

Lawinegfahr

(ラヴィーネクファール)

スムーズ reibungslos

(ライブングスロース)

riibigslos

(リービクスロース)

模様 Muster

(ムスター)

Muschter

(ムシュテル)

賛成率 Zustimmungsrate

(ツーシュティンムングスラーテ)

Zueschtimmigsrate

(ツエシュティンミクスラーテ)

ビアホール Bierkeller

(ビアケラー)

Biärchäller

(ビエルヘッレル)

Korb

(コアープ)

Chorb

(ホルプ)

ホームシック Heimweh

(ハイムヴェー)

Heiweh

(ハイヴェー)

 

 

 

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