ドイツとトルコ 

ドイツとトルコ。互いの首都、ベルリン・アンカラ間は、遠く離れること約2600kmですが、政治経済や外交上深い関係にあります。衝突がしばしば起きているのも事実ですが、トルコ文化からドイツが受けた影響の深さは見逃せません。日本人からすると、一見盲点ともいえるドイツとトルコですが、この両国の関係性とは一体どのようなものでしょう?

ドイツの中のトルコ―その歴史的背景

 

ドイツの地を踏むと、まず気づくのはトルコ・ファーストフード店の多さです。小さい街でもトルコ・インビス(ファストフード)は少なくとも一店はあり、ドイツ人の生活には欠かせないといえるほど、ドイツの地に根付いている文化のひとつです。かくいう私も、初めてドイツに降り立ったその日の晩御飯は、トルコのファストフード、ケバブでした。

欧州一の移民大国となったドイツ、今日では、人口全体の約3割が“移民の背景を持つ人々”であり、そのうち、トルコ系市民の割合は第一位で、約300万人にも上ります。

トルコ系市民が多い理由には、ドイツが第二次世界大戦敗戦後の復興において労働力不足となったことが挙げられます。ドイツは、1950年代から外国人労働者を積極的に受け入れており、1961年には、西ドイツとトルコ共和国の間で、雇用双務協定が結ばれました。一時的な滞在を前提としており、1974年には入国制限もかけられましたが、滞在している労働者は自国から家族を呼び寄せ留まることを選び、ドイツ企業側も熟練の労働者の雇用を望み、彼らの滞在は世代を経て長期化していき、今日に至るということです。

文化摩擦 緊迫した関係

 

スポーツ選手、映画監督、女優、政治家…と様々な分野でトルコ系移民の活躍が見られますが、ドイツ社会におけるトルコ系移民の生活には常に軋轢が生じており、今日でも緊迫状態にあるようです。

彼らは当初、移民としてではなく、一時滞在をするガストアルバイター(ゲスト労働者)として受け入れられていたため、滞在が長期化することで、ドイツ社会からは疎外、排他されることも多く、政府による帰国促進法(1983)などが制定されつつも、時間と共に移民として受け入れられてきました。イスラム文化圏であるトルコは、生活様式も大きく異なり、文化差による衝突は多く、彼らが独自の移民社会を形成することにより、脅威とされていたことも事実です。

最近では、ドイツ代表であったトルコ系サッカー選手、メスト・エジル選手が2018年5月に、ドイツ国内では独裁的とみられているトルコのエルドアン大統領とロンドンで会い、一緒に撮った写真も公表されたことがドイツ国内で強く批判されました。それに加えて同年W杯を予選敗退した責任も追及され、「勝てばドイツ人、負ければ移民」という哀しいことばを残して、ドイツサッカー界を去りました。

移民問題における国籍やアイデンティティ、文化の違いは、旅行や短期滞在では見えない問題性や、根深い確執を生み出します。しかし、多様に融合した文化は、興味深く、魅力的であるのも多文化社会の側面と感じます。


参考HP

 

 

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