4つの古城を囲む城下町スィオン

 

スイスについてのお話をすると、早かれ遅かれ「ヴァレー州」(Canton du ValaisまたはKanton Wallis)という地方名が登場します。

本ブログにおいてもアルプスの魅力ラクレット、さらに直近ではアルプスマーモットをご紹介した際にその名前が出てきましたし、スイスを訪れたことのある方ならヴァレー州に行かれた可能性が高いです。

特に、スイス旅行の定番とも言えるあの世界的に有名なマッターホルン(Matterhornを実際に観望された人がそれに該当し、その美しさに感銘を受けて印象に残る体験をしたという旅行者も少なくはないでしょう。

この点に関しては外国人のみならず、自国民も例外ではなく、ヴァレー州が有する数々の名峰、雄大な氷河、そして緑豊かな谷や森林が織り成す感動的な風景に加え、その独自の自然環境が生んだ歴史と文化はスイス人から見ても別格です。

したがって、今回はそんなフランスならびにイタリアと国境を接するスイス南西部にあるヴァレー州の州都で、古くから同州の政治的中心地として栄えたスィオン(SionまたはSitten)をご紹介させていただきます。

 

領主司教とサヴォイア家が対立していたアルプス越えの要衝

 

ヴァレー州のほぼ中央に位置するスィオンは考古学的にヨーロッパの最も重要な発見地のひとつです。

というのも、スィオン市が建っている一帯は約7000年前からほぼ中断なく居住地として利用されてきたので、アルプスの南北に住んでいた様々な民族の影響を受けて独自の文化が発展した複数の集落が発見されています。

紀元前57年にローマ帝国がアルプス以北を征服した際、スィオンは「セドゥーニー」(Seduni)と呼ばれるケルト系民族の首都だったとの記録が残っており、ローマ帝国に統合されてからはそれらに因んで今の名前の由来である「セドゥーヌム」(Sedunum)という地名が付けられました。

また、ローマ帝国にとっては中央ヨーロッパへの最短ルートであるアルプスの峠を管理下に置くことが最優先事項でした。

そのため、当該地域の開拓は殆ど行われませんでしたが、その陰で先住民は異文化を押し付けられることなく、戦争もない平和な生活が続きました。

この状況は5世紀にブルグント王国、さらに7世紀にフランク王国の一部になってからも変わりませんでした。

しかし、999年に当時のブルグント王ルードルフ3世(Rudolf III.)が現在のヴァレー州に当たる大部分を「ヴァレー伯爵領」としてスィオンの司教に贈与したことで環境が一変することになったのです。

この贈与によって聖職者から神聖ローマ帝国の領主となったスィオンの司教は、アルプスの峠を手中に収めるために領土の拡大を図っていたサヴォイア家と対立することになり、幾度となく土地の奪い合いを繰り広げ、数百年間戦争と破壊が絶えませんでした。

中でも司教の本拠地で政治的中心地を担っていたスィオンは何度もサヴォイア軍に侵略・略奪され、甚大な被害を受けました。

そこで、元々司教が設立した計10の行政管区から住民が実権を握る7つの自治区が誕生し、それらが第三勢力として加わることになったのです。

7つの自治区はアイトゲノッセンシャフトと同盟を結び、利害が一致した司教とも結託して1475年11月13日にスィオンでサヴォイア家の撃退に成功すると、その勢いでサヴォイア領に攻め込み、アルプス以北の地域を次々と制圧します。

また、その後は協力関係にあった司教に対しても牙をむき、ヴァレー伯爵領における全支配権を放棄させて1613年に元司教領と支配下に置いたサヴォイア領から成る「七自治区共和国」(République des Sept-Dizains またはRepublik der Sieben Zenden)という独立国を宣言したのです。

こうして延々と続いた紛争は終わりを迎え、185年間にわたる平和が訪れましたが、18世紀末に起きたフランス革命によって再び大混乱が生じます。

1798年にフランスがスイスに姉妹共和国であるヘルヴェティア共和国(Helvetische Republik)を設立した際に七自治区共和国もその一州となって統合されるも、それが僅か3年半で崩壊すると今度は「スィンプロン県」(Département du Simplon)としてフランス第一帝政に併合されました。

しかし、この体制もまた長くは続かず、フランスへの侵攻を進めていたオーストリア軍に占領され、再び独立国の結成を試みたものの、最終的にウィーン会議の推奨に従って1815年にスィオンを州都とするヴァレー州となり、アイトゲノッセンシャフトに加盟することにしたのです。

 

 

市の繁栄と苦難を現代に伝える4つの古城

 

既に今回のタイトルにも出ているように、スィオンの最大の魅力は何と言ってもその4つの古城です。

中でも「双子の丘」と呼ばれる旧市街東部に突き出ている2つの高台に建つトゥルビヨン城」(Château de Tourbillon)とヴァレール城」(Château de Valère)は市内全域から見えるランドマークでもあります。

トゥルビヨン城は1300年頃に司教の館として創建されました。

14世紀には2度にわたってサヴォイア軍に占領され、1417年に焼き討ちにあって再建されたものの、1788年にスィオンを襲った大火で損傷してからは修復されませんでした。

したがって、現在は廃墟になっているものの、原型は概ね留めており、その色褪せていない堂々たる外観はかつてこの地を治めていた領主司教の富を今も物語っています。

一方、もうひとつの丘に聳えるヴァレール城は13世紀に完成した、大聖堂および司教を支えた参事会員の邸宅を含む要塞です。

大聖堂はロマネスクとゴシック様式が上手く調和されている教会建築の代表例とされ、1987年にローマ法王から「バシリカ」(Basilica)の称号を与えられたので有名ですが、何よりも1430年頃に制作され、演奏可能なものでは世界最古のパイプオルガンがあることで知られています。

そのため、ヴァレール城はスィオンの重要な史跡であると同時に世界的にも貴重な文化財です。

また、その丘を下った麓には「ヴィドムナ城・マジョリー城」(Châteaux du Vidomnat et de la Majorie)と呼ばれるもうひとつのお城があります。

こちらに関しては12世紀~13世紀にかけて個別に建てられた2棟の豪邸を後に1棟の大邸宅に合体したことからこのネーミングになっています。

そのような理由から元々は司教の右腕だった役人の住居でしたが、1373年にサヴォイア軍の占領によってトゥルビヨン城を追放された司教が新たな居城にして1788年まで在住していた他、七自治区共和国時代には議事堂としても使われていました。

そして、それらと少し離れた市の北西部には4番目の古城である「モントルジュ城」(Château de Montorge)が位置します。

1230年頃にサヴォイア家がスィオンを攻略するための拠点として建造したモントルジュ城は約2世紀にわたって、同家と司教が繰り広げた対立における戦乱の巷でした。

1417年に焼き討ちにあって再建されなかったため、現在は本来の姿を殆ど残していない城跡となっているものの、そこから一望できるスィオンの眺めは圧巻なので人気の展望スポットです。

 

「双子の丘」に聳えるトゥルビヨン城(左丘の上)とヴァレール城(右丘の上)、ならびにその麓に建つヴィドムナ城・マジョリー城(真ん中右端)(写真:gali367、CC BY-NC 2.0

 

 

夏は劇場の舞台やコンサート会場に変身する旧市街

 

古城以外にスィオンで忘れてはいけないのが、スイスで最も長い歴史を持つとされる旧市街です。

「旧市街」と言ってもスィオンは1352年、1384年、1418年、ならびに1475年にサヴォイア家の侵略と略奪によって大きな被害を受けた他、1788年に発生した大火で市内にある住宅の4割以上が消失したため、一部の建造物を除けば17世紀以降に建てられた物件が大半を占め、一見してさほど古い感じがしません。

とはいえ、商業専門学校の校庭には発掘調査で出土した石器時代の墓に加え、教会の真下にはローマ時代に存在していた浴場の遺跡が現存するだけでなく、元々町を囲んでいた城郭の一部として13世紀に建造され、後に牢獄および魔女狩りの拷問室に使用された「魔女の塔」(La Tour des SorciersまたはHexentrum)、そして現在は公園になっていますがかつてはサヴォイア家との決戦の地だった「ラ・プランタ広場」(Place de La Planta)も残っており、旧市街を散策すれば約7000年にわたるスィオンの歴史を実感できる多数の施設やスポットが点在します。

しかし、スィオンの旧市街は過去の事情や生活様式のみならず、現在の住民の日常も垣間見える場所です。

というのも、市民にとって旧市街は仕事、買い物、外食などのために普段から頻繁に行き来して多くの時間を過ごす所なので、その中に観光客がいるとむしろ浮いてしまうほど地元住民の活気で溢れています。

特に、毎週金曜日に開催され、地元で採れた農作物をはじめ、様々な特産品が販売される朝市には周辺地域や遠方からわざわざ訪れる来客までいて、旧市街が今でも人々の生活の中心になっているのが窺えます。

さらに、この地元色は夏場に一段と濃くなります。

スィオンはヴァレー州の中でも晴天率が高くて比較的温暖な土地であることから「地中海式気候」に恵まれていると称されることが少なくありません。

そこで、春から秋の暖かい時期には飲食店が旧市街の路地にテラス席を設け、日中はアルプスのパノラマ、夜は星空の下で食事をしながらのんびりした時間を過ごす市民の姿を頻繁に目撃します。

また、こういった住民の趣味に応じてか、スィオンでは夏に開かれるコンサートや演劇などのイベントが旧市街の広場または路地に特設ステージを設置して屋外で実施されるのが一般的です。

したがって、旧市街は長い歴史の各時代を反映していると同時に、このような地域特有のライフスタイルも現れる場所だと言えます。

 

テラス席でアルプスを眺めながら飲食が楽しめるスィオンの旧市街

 

 

スイスワインの都

 

続いて、スィオンを訪れた際に見逃せないもうひとつの楽しみはグルメです。

過去の記事でもご紹介したように、ヴァレー州はスイスを代表する料理であるラクレット発祥の地ですが、地元独自の製法で特徴的な味を持つ干し肉、生ハム、チーズ、さらにはアスパラガスなどの野菜やサフランといった香辛料の名産地としても知られています。

中でも、国内外で高い知名度を誇る最大の特産品なのがワインです。

ヴァレー州はアルプス山脈が大半の面積を占めている一方、晴天日が年間300日にも上る地域であることから、ワイン造りに適した斜面と気候が揃っていると言えます。

そのような理由から、ヴァレー州における葡萄栽培の歴史は古代まで遡り、遅くとも紀元前800~600年からワイン製造が行われていたことが確認されているのです。

また、スイス全国では約14,500ヘクタールの土地がワイン造りのために葡萄園として利用されていますが、その3分の1弱に相当する4,600ヘクタールがヴァレー州にあるのも不思議ではありません1

しかも、州全体にある葡萄園の凡そ3割はなんとスィオン市内に位置するので、スィオンはスイス最大のワイン産地のひとつであるだけでなく、愛好家の間では「スイスワインの都」とも呼ばれているほどです。

したがって、ワイン醸造がスィオンで一大産業となっているのはもちろんのこと、それを観光資源として活かした取り組みも数多く行っています。

例えば、市内の葡萄畑やワイナリーを見学するバスツアーをはじめ、どの料理にどんなワインが最適かを学べるワークショップ、旧市街の名所を巡りながら町の歴史を知ると同時に地元のワインを試飲するガイド付きツアーなどワイン産地ならではの様々な体験ができるのです。

それ以外にも、スィオンのワイナリー組合が1999年に直売所として開業し、市内で醸造される150種類以上ものワインを取り扱うワインバー、そして2017年にオープンしてヴァレー州産ワインの試飲・販売に加え、ワインに関するアクティビティやイベントを主宰する「エノパーク」がありますので、スィオンではお酒好きでなくても、それぞれの趣味に応じて多彩なワイン観光コンテンツが楽しめます。

 

スィオン市内各地の斜面に連なる葡萄畑(写真:kBandara、CC BY 2.0

 

 

ヴァレー州の州都スィオンのご説明は如何でしたか?歴史的に政治の中心だっただけに、現在も経済・教育・交通などあらゆる分野において重要な役割を担っている一方、文化や食に関しても代表的な場所です。

また、自然や気候もスイスの他の地方とは一味違う特色があるので、様々な観点からヴァレー州はスイスの中でも格別であることを分かっていただけたかと思います。

冒頭でも申し上げたように、大半の観光客はマッターホルンを見てみたい一心でヴァレー州を訪れますが、それだけでは当該地域が有する数々の魅力のうち、ほんの一部にしか触れられないことから、せっかくの訪問があまりにももったいない結果に終わってしまいます。

そこで、わざわざヴァレー州にまで足を運ぶならその独自性と素晴らしさをもう少し深く楽しんでもらうために、スィオンをご紹介した次第です。

したがって、皆様も今後マッターホルンを目指してスイス旅行に行かれることがあれば是非スィオンにも立ち寄ってみてはどうですか?

では

Bis zum nöchschte mal!

Birewegge

 

1出典:スイス連邦農業局:

https://www.bfs.admin.ch/bfs/de/home/statistiken/bevoelkerung/migration-integration/integrationindikatoren.html


今回の対訳用語集

日本語 標準ドイツ語 スイスドイツ語
自国民 Landsleute

(ランツロイテ)

Landslüüt

(ランツリュート)

先住民 Ureinwohner

(ウアーアインヴォーナー)

Uuriiwohner

(ウールイーヴォーネル)

破壊 Zerstörung

(ツェアーシュテールング)

Zerschtörig

(ツェルシュテーリク)

第三勢力 dritte Kraft

(ドリッテ・クラフト)

dritti Chraft

(ドリッティ・フラフト)

推奨 Empfehlung

(エンプフェールング)

Empfälig

(エンプフェリク)

パイプオルガン Orgel

(オアーゲル)

Orgle

(オルグレ)

焼き討ち Niederbrennen

(ニーダーブレンネン)

Niderbränne

(ニデルブレンネ)

校庭 Schulhof

(シュールホーフ)

Schuelhof

(シュエルホーフ)

拷問室 Folterkammer

(フォルターカンマー)

Folterchammere

(フォルテルハッンメレ)

晴天 Schönwetter

(シェーンヴェッター)

Schöwätter

(シェーヴェッテル)

 

参考ホームページ

スィオン市オフィシャルサイト

https://www.sion.ch

スィオン市観光課オフィシャルサイト

https://siontourisme.ch/de/

ヴァレー/ヴァリス・プロモーション:スィオン

https://www.valais.ch/de/orte/sion-region/sion

スイス歴史辞典:スィオン市

https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/002802/2017-11-16/

 

Comments

(0 Comments)

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA