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„Ich bin die Paula.“ – 人名につく定冠詞
目次
新年を迎え早くも2ヶ月が経過しましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。今年から毎月記事を投稿することとなりました。
今年もドイツ語に関する様々なテーマを扱うことができればと思っております。よろしくお願いします。
今回のテーマも私がドイツで耳にし、ドイツで自分も無意識のうちに使うようになってしまったものです。
すでにタイトルに例を記載していますが、ドイツ語の授業では習うことはないのに、ドイツ人から頻繁に聞かれる表現である「人名につく定冠詞」です。
いやいやTellerさん、ちょっと待ってくださいよ、人名に定冠詞がついちゃったら「あのパウラさん」みたいに指示性が高まって有標の表現なんじゃないですか?という言語学の知識がある方に言われるかもしれません。
確かにそういう使われ方もありますが、そうではなく、「有標」すなわち特に指示性を強調したりするための表現としてではなく、ごく普通に使われるいわゆる「無標の定冠詞+人名」をここでは扱いたいと思います。
私が初めてこの表現を聞いたのはいつだったのかはもう全く覚えていません。
というのも、あまりにも頻繁に聞く表現であり、いつの間にか自分も無意識のうちにこの表現を使うようになっていたからです。
ただ、「そういえばみんな自分の名前の前に定冠詞使っているなあ」と気づいたのは、様々なテレビ番組で、出演する一般人の方が自己紹介をしている時だったことは記憶にあります。
そしてそれ以来、日常生活で自分の周りの人たちが自己紹介以外のコンテクストで他人の名前にも定冠詞が使っていることがわかりました。
よくよく聞いてみたら夫も使っていたので「そういうものなのか」とスッと受け入れて、しまいには何だか定冠詞があった方がしっくりくる気がするようになり、自分もいつの間にか吸収していたのでした。
定冠詞+人名は実は全国的に使われる表現ではなかった!
ところがある日、夫の家族が住むベルリンへ行き義兄と話していると「人の名前にderとかdieとかつけるなんて、もうすっかりデュッセルドルフ人だね」と言われ、この時初めてこの話し方が地域的なものだということを知りました。
ただ、よくよく考えてみると人名に定冠詞をつける話し方はケルン、フランクフルト、フライブルク、ミュンヘンなどなど、様々な街の人から聞いたことがあったので、デュッセルドルフだけのものではないことはわかっていました。
ベルリン出身である夫ですらも人名に定冠詞をつけて話していたので、てっきり全国区の表現で学校では習わない話しことばの一つなのだろうと私は考えていたのです。
しかしベルリンに住み続ける夫の兄弟たちの話し方をその日観察してみると、確かに彼らは使っていないことに気づきました。
夫はベルリンを離れてすでに10年が経過しており、ベルリンを出てから住み始めたところでたまたまその表現を身につけ、今でも使い続けているということだったのでした。
実際調べてみると、大雑把に言うならば北ドイツでは見られず、南ドイツでは頻繁に観察される表現だということでした。
中性名詞の定冠詞dasも人名と結びつく?
さらに調べてみると、地域によっては中性名詞につく定冠詞dasも人名と結びつくことがあるそうです。
これは私自身まだ聞いたことはない表現なのですが、どうやらドイツ語の中でも西部の諸変種、そしてスイスの一部では女性の名前の前にdasが付けられることがあるそう。
ただ、数年前にとある若手研究者の集まる学会で、スイスの学生さんが人名につく定冠詞について研究発表をされていたのですが、彼のスイスドイツ語の言語資料の中には男性の名前にもdasがつけられている例が確認されているとのことでした。
発表していた学生さんは「〜の子ども(das Kind)を指すところから来ていて、指小辞のような意味合いがあるのではないか」と言っていたのですが、まだ詳しいことはわからないとのことでした。
Busley & Nübling (2021)という論文では、女性の名前につく定冠詞とその場合に使用される人称代名詞について、その女性の名前を呼ぶ人と呼ばれる人の関係性や文脈を考慮し分析した結果が伝えられていますが、なぜ中性の定冠詞や人称代名詞が使われるのか、ということについては述べられていません。
この論文中では、各地域でも中性定冠詞並びに人称代名詞の使用に差があるということが伝えられているほか、名を呼ぶ人と呼ばれる人の関係性が非常に親密(家族関係など)であり、かつ、中性定冠詞+名前で指される人物は年齢的にMädchenと呼ばれるくらいの若さであるか、未婚の女性である傾向があるというまとめがなされています。
ただし、人間関係というのはとても複雑で血縁関係を超えて親密な関係になる友人だったり、同僚だったりもあるわけなので、使用条件をクリアカットすることはできないであろうということも繰り返し述べられています。
ですが、このまとめは指小辞と似た性質を持つ可能性があるということを支持するものであるとも考えられます。
よく考えてみれば、女性に関する名詞のいくつかには中性名詞のものがあり、例えばMädchenも中性名詞ですし、その昔ドイツでも使われていた、英語のMissやフランス語のmademoiselleに匹敵するFräuleinも中性です。
他にも、もうこれは蔑称扱いにすらされているので使ってはいけない単語ですがdas Weibやdas Fräuleinのように中性名詞のものが多いというのは、何か関連がありそうな気もしますが果たしてどうなのでしょうか。
ちなみに余談ですがFräuleinは未婚女性を示す語で、戦後意識的に使用されなくなった表現です。
フランス語でも2012年以降フランス語のmademoiselleが公的文書では用いられなくなり、ドイツのFrau / Herrと同じように統一してmadame / monsieur が使用されるようになりました。
一方英語でも同じように昔はMiss.とMrs.で既婚・未婚の区別がなされていましたが、英語では統一表現としてMs.が導入されたことは皆さんも学校で習ったかと思います。
主格以外でも使われる定冠詞+人名
人名に使われる定冠詞は主格だけに使われるのではなく、格変化を伴い使われます。
例えば人名が前置詞と一緒に使われれば、„bei dem Timo“や„mit der Elena“というように定冠詞も変化します。
下の名前だけでなく、呼称(Anrede)のHerrやFrauなどの前にも使われますが、この定冠詞+人名はあくまで口語表現でのみ使用されるものです(ただしチャットなどは文字コミュニケーションではありますが、口語調なこともあり使用される例も確認済み)。
なぜ定冠詞が人名に用いられるのかは現時点ではわかりませんが、これまでにも少し触れてきた言語変化と定着のメカニズムにも関連性がありそうです。
最初は有標だった表現が、使用される場面や頻度が増えることでその有標性を次第に失っていき、特別な意味合いを持たずにごく普通に使われるようになった、という可能性もありそうです。
参考資料:
Busley, Simone & Nübling, Damaris (2021): Referring to women using feminine and neuter gender: Sociopragmatic gender assignment in German dialects. In: Nordic Journal of Socio-Onomastics, 1. 39-65. https://doi.org/10.59589/noso.12021.14722.
Sick, Bastian: „Wenn der Timo mit der Leonie“, Zwiebelfisch. Spiegel Kultur. 13.05.2009, https://www.spiegel.de/kultur/zwiebelfisch/zwiebelfisch-wenn-der-timo-mit-der-leonie-a-623493.html (最終閲覧日:2025年1月30日)
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日本でドイツ語言語学を専門に修士号をとったのち、ドイツへやってきて7年が経過しました。ドイツ語と日本語を日常で使いながら生活する中で気づいたことばに関するお話を、言語学の専門知識を織り交ぜながらこのブログの中でお伝えできればと思います。
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