スイス初の首都だった都市アーラウ
目次
以前、スイスには「首都」がなく、ベルン(Bern)を連邦機関の所在地として「連邦都市」と定めていることをご説明させていただきましたよね?
スイスが元々国家連合として設立されたことから、連邦州の平等性を維持するためにあえて首都を定めず、各州の代表者が集会する場所をローテーション制で毎年変えていました。
そして、1848年に国家連合から連邦国への改革を行った際にひとつの州に政治的な優勢性を持たせず、全州の平等性を引き続き確保する解決策として生まれたのが「連邦都市」の制定でした。
とはいえ、過去を振り返るとなんとスイスにも一時的に「首都」が存在していた期間があったのです。
この事実は国外ではあまり知られていませんが、スイス人にとっては自国の歴史を知る上では重要な1ページと言えます。
したがって、今回はアールガウ州(Kanton Aargau)の州都であり、スイス初の首都でもあったアーラウ(Aarau)をご紹介させていただきます。
長きにわたってベルンが支配権を握っていた地方自治体
スイス北西部に属するアーラウはチューリッヒ(Zürich)とバーゼル(Basel)のほぼ中間地点に位置し、ベルンから流れてくるアーレ川(Aare)の右岸に建つ人口約22,000人の中都市です。
考古学的には紀元前1000年頃の青銅器時代に集落が存在していた痕跡が残っていますが、当該場所は川の氾濫原に当たることから、居住地というよりも渡河のための交通拠点の役目を果たしていたと考えられます。
これは、紀元前1世紀にローマ帝国が、同じ場所に橋を架けて交通の要衝にしていた事実からも裏付けられています。
3世紀以降はアレマン人の影響も確認されているものの、定住地としての利用は概ね7世紀に入ってから始まったのが通説です。
ただし、本格的な都市開発が進められたのは1240年から1250年にかけてのことでした。
当時の文献によると、アーラウ一帯で裁判権を有していたキーブルク家(Kyburger)がアーレ川に隣接する岩棚の上に塔の形状をした小さなお城と、十字路で分けられた4つの住宅区域から構成される町を建てて、それを「アーロウエ」(Arowe)と名付けたのです。
また、1270年の資料では市議会に該当する機関が確認されており、市民自らが市政に関与していたことが分かっています。
とはいえ、その後間もなくキーブルク家が途絶えたため、1273年にハプスブルク家がアーラウの所有権を取得することになりました。
これによって管理者は変わった一方、市民による市政は従来のまま維持されたのです。
しかし、その直後にアイトゲノッセンシャフトが結成され、それらがハプスブルク家との度重なる衝突に乗り出したことで、立場的に敵地に属していたアーラウも次第に目を付けられる羽目になりました。
そして、1415年にベルンがソロトゥルン(Solothurn)と共にアーラウを侵略し、ベルンが支配権を行使する「臣民の地域」となってしまったのです。
しばらくすると、ベルンはアーラウに対して地方自治体の地位を付与しますが、他者の思うままに管理されている体制は、それ以降も380年余り変わることはありませんでした。
そのような背景から、1798年にフランス革命の自由と平等の思想をスイスにも広めるべく、フランス軍がスイスに侵攻した際、アーラウはそれらを真っ先に歓迎する革命のホットスポットとなったのです。
さらに、アーラウは、フランスがスイスにおける姉妹共和国を設立するための最適な足溜りでもあったことから、新政府の所在地に選ばれ、正式に首都として定められました。
それに伴い、市内では政府の各機関を設置するための大規模な都市計画が進められましたが、それら全てを収容するスペースに加え、政府関係者の居住地が完成するまでは時間が掛かりすぎることを理由に、僅か半年足らずで首都の機能はルツェルン(Luzern)に移されたのです。それでも、アーラウは1803年にこの一連の流れで新たに誕生したアールガウ州の州都となり、以降は行政・商業・各種サービス業の中心地を担うことになりました。
中世から近代までの様々な歴史を物語る旧市街
アーラウを訪れた際に絶対見逃せないのがその旧市街です。
約800年前に創建され、今や同市の中心部を形成する旧市街は防衛力を高める意図もありましたが、何より創設者であるキーブルク家の都市開発センスが反映されたこともあって、円形の輪郭内に路地が東西南北に延びるよう配置された幾何学的な設計となっています。
そのため、離れた高台から眺めると堂々たる存在感を放っており、実際の旧市街に足を運んで各所を散策しても、纏まりのある美しい外観が目立ちます。
また、旧市街の殆どの部分では自動車での交通が制限されており、歩行者天国になっているので、中世の趣が色濃く漂うのも特徴的です。
ただし、14世紀前半と後半に2段階にわたって町を拡張した他、16~17世紀にかけて大半の建物が改築されたことから、フランボワイヤン式の建造物が大半を占めます。
しかし、中には創建当初の姿を現在も留めているものもあり、旧市街東部の外れた場所に位置する「シュレスリ」(Schlössli)と呼ばれる小城がその代表例です。
現在は市立博物館になっているシュレスリは、町が誕生する以前から貴族の管理棟として造られたと考えられ、アーラウで現存する最古の建物とされています。
また、旧市街の南端に建ち、元々町の南出入口を監視するために城郭の一部となるように築造された、「オーバー門の塔」(Obertorturm)も忘れてはいけません。
この62メートルの高さを誇る時計台付きの塔は、旧市街から突き出て目立っていることから、アーラウのランドマークだけでなく、スイス国内で最も高い中世の監視塔でもあります。
さらに、一時的ではあったものの、アーラウは上述の通りスイス初の首都だったので、旧市街にはその名残を今日まで伝える複数の史跡も残っています。
例えば、13世紀半ばにキーブルク家によって建造された小さなお城を1520年に改増築してできた市庁舎は、1798年4月12日に500年間以上続いた旧アイトゲノッセンシャフトの解散と、それに代わるヘルヴェティア共和国(Helvetische Republik)の発足が宣言された場所でした。
そして、先ほど言及したシュレスリに隣接する古典主義豪邸の「ハウス・ツム・シュロスガルテン」(Haus zum Schlossgarten)は、なんとヘルヴェティア共和国中央政府庁舎としてスイス初の国会議事堂だった建物です。
したがって、アーラウは中世感溢れる都市であると同時に、近代以降のスイス史を知る上でも極めて重要な土地であると言えます。
「破風が美しい町」
このように、アーラウは様々な時代の歴史が強く感じられる都市ですが、その最大の特徴はむしろ芸術的な要素にあります。
というのも、アーラウの旧市街を散策すると、殆どの家に破風が大きく突き出ているケラバが設置されており、それらを下から見上げた際に、それぞれの軒天にカラフルな装飾が施されていることに気付きます。
モチーフに関しては花柄や幾何学模様から家紋に加え、人物を描いたシーンまで実に多種多様で、中には手描きであるとは思えないほど高度な技術と芸術性を有するものも含まれています。
このアーラウの代名詞とも言える建築装飾の起源については不明な点が多いものの、大きなケラバが設けられているのは屋内の廊下や階段が狭く、大型の家具や荷物を吊り上げて高層階に運搬するためのウインチを取り付けられるようにしたのが理由です。
そして、ケラバのサイズに応じて軒天の面積も広く、単色だと味気ないと感じたせいか、ベルンの管理下に置かれていた際に、ベルンの古民家に見られる華やかな装飾の影響を受けて、17世紀頃を機にアーラウで軒天に絵や模様を入れるのが流行したと考えられています。
また1950年代以降に、行政側がこの芸術性の高い特色をより多くの人々に知ってもらうために積極的なアピールを行ったこともあって、多様なデザインと彩色を有するにも拘わらず、どこか一体感のある屋根をアーラウの代名詞として定着させ、同市は次第に「破風が美しい町」と呼ばれるようになったのです。
現在、アーラウの旧市街には90件余りの建物においてバラエティー豊かな軒天が見受けられ、これほどの数が一カ所に集中している都市は他にないことから、それらの天井装飾は観光客の目を引き付ける町のシンボル的存在になっています。
古代から重要な渡河点
冒頭でも触れましたが、アーラウは定住地となる以前からアーレ川を横断するために使われていた渡河点でした。
日本ではあまり知られていないものの、アーレ川はライン川に次ぐスイス国内における2番目に長い河川で、水深が最大18メートルに加え、最大幅も200メートルに及ぶ個所もあることから、横断に適した場所が非常に限られています。
そこで、水深が比較的浅く、流れも緩やかになっている現在のアーラウ市が建っている地点が古代から最適と見なされ、南北への行き来が行われていたのです。
さらに、ローマ時代にはヴォー州(Canton de VaudまたはKanton Waadt)北東部のアヴァンシュ(Avenches)からアールガウ州中部に位置するヴィンディッシュ(Windisch)までの街道の開通に伴って橋が架けられ、交通の要衝となりました。
しかし、渡河に適している反面、氾濫などの被害に遭うことも少なくなかったので、アーラウにとっては如何にして川の両岸を繋ぐルートを確保できるかが常に大きな課題でした。
特に、中世以降は橋を渡るために課せられていた関税が町の重要な収入源だったことから、橋が崩落する度に通行人のみならず、住民にも多大な影響が出たほどです。
また、市民の生活に支障をきたさないよう、橋が使用できない期間は渡し船で横断を可能にするなどの対策を講じる必要がありました。
しかも、このような状況は19世紀に入ってからも何度か発生し、悩みの種となっていたため、アーラウは1848年に長期的な解決を求めて、当時の最新技術を駆使した橋梁プロジェクトを組んだのです。
これによって1850年に通称「アーレ橋」(Aarebrücke)と呼ばれる全長96メートルの鉄製鎖橋が完成し、その後渡河ができないことはなくなりました。
それから約100年にわたって問題なく役目を果たしていたアーレ橋において老朽化による耐荷重の低下が確認されたため、建て替え工事が行われ、1949年にコンクリート製の橋へと生まれ変わったのです。
そして、2022年には4,000万スイスフランという膨大な費用を掛けてアーレ橋を完全リニューアルし、長さ119メートルと幅17.5メートルに及ぶ現在の「ポン・ニュフ」(Pont Neuf)が誕生しました。
また、同時に南岸の旧市街付近に遊歩道や公園などの整備も進められ、大規模な開発で新たな魅力が増えた河岸エリアが今注目を集めています。
今回はアールガウ州の州都アーラウをご紹介させていただきましたが、如何でしたか?
上記でも述べたように、アーラウは元々交通の要衝だったものの、チューリッヒやバーゼル、ならびにベルンとルツェルンといった、スイスを代表する都市から数十キロしか離れていないため、さほど注目されない通過点として扱われることが多いです。
そのため、ガイドブックにもあまり掲載されず、注目度が比較的低いと言えます。
しかし、主要都市に近いだけあってアクセス性は抜群ですし、旅行好きの中にはむしろ観光地化されていない秘境を高く評価する人も少なくはないので、気軽でのんびりした都市観光を楽しみたい方には最適です。
また、初の首都としてスイスの近代史にも大きく関わってきた場所であることから、本当の意味でスイスのことを知りたいのであればアーラウは欠かせません。
個人的にはそのようなディープさも併せ持っているところに惹かれるので、時間に余裕がある人は是非一度アーラウに立ち寄ることを強くお勧めします。
では
Bis zum nöchschte mal!
Birewegge
今回の対訳用語集
日本語 | 標準ドイツ語 | スイスドイツ語 |
国家連合 | Staatenbund
(シュターテンブント) |
Schtaatebund
(シュターテブント) |
渡河 | Flussüberquerung
(フルスユーバークエールング) |
Flussüberquerig
(フルスユベルクエーリク) |
敵地 | feindliches Gebiet
(ファインドリヒェス・ゲビート) |
feindlichs Gebiät
(ファインドリフス・ゲビエト) |
国会議事堂 | Parlamentsgebäude
(パーラメンツゲボイデ) |
Parlamentsgebüüdi
(パルラメンツゲビューディ) |
ケラバ | Ortgang
(オアートガング) |
Ortgsims
(オルトクスィムス) |
軒天 | Traufverkleidung
(トラウフフェアークライドゥング) |
Traufverchleidig
(トラウフフェルフライディク) |
花柄 | Blumenmuster
(ブルーメンムスター) |
Bluememuschter
(ブルエメムシュテル) |
水深 | Wassertiefe
(ヴァッサーティーフェ) |
Wassertüüfi
(ヴァッセルテューフィ) |
街道 | Überlandstraße
(ユーバーラントシュトラーセ) |
Überlandstrass
(ユベルラントシュトラース) |
氾濫 | Überschwemmung
(ユーバーシュヴェンムング) |
Überschwämmig
(ユベルシュヴェンミク) |
参考ホームページ
アーラウ市オフィシャルサイト:https://www.aarau.ch
アーラウと周辺の立地推進財団「アーラウ・インフォ」:https://www.aarauinfo.ch
アールガウ観光庁オフィシャルサイト:アーラウ市:https://aargautourismus.ch/erleben/historische-altstaedte/aarau
スイス歴史辞典:アーラウ市:https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/001620/2016-11-25/
スイス生まれスイス育ち。チューリッヒ大学卒業後、日本を訪れた際に心を打たれ、日本に移住。趣味は観光地巡りとグルメツアー。好きな食べ物はラーメンとスイーツ。「ちょっと知りたいスイス」のブログを担当することになり、スイスの魅力をお伝えできればと思っておりますので皆様のご感想やご意見などをいただければ嬉しいです。
Comments
(0 Comments)