スイス最古の町クール
目次
スイスを観光で訪れる方は、アルプスを含む壮大な自然を間近で堪能するために様々な登山列車に乗ることが少なくないようです。
その際、大半の人は目的地ばかりに注目するせいか、乗車駅や乗り継ぎの駅にさほど関心がなく、単なる通過点としか捉えていない傾向があります。
とはいえ、路線の始点ならびに終点となる駅は、ただ地理的に好都合であるが故に選ばれていることはどちらかというと稀で、乗降客数の多さがその選定基準になっているケースが一般的です。
そのため、そういった場所は必ずと言っていいほど、仕事をしたり、観光やレジャーを楽しんだりする人が集まるので、一度は足を止めてみる価値はあります。
そして、スイス最大の州であるグラウビュンデン州(Kanton Graubünden、Chantun GrischunまたはCantone dei Grigioni)の州都である「クール」(Chur)が、正にそのような魅力に溢れているのに観光客に意外と見落とされる穴場のひとつです。
したがって、今回は氷河特急(Glacier Express)やベルニナ特急(Bernina Express)などが発着する登山列車の玄関口として知られるクールをご紹介いたします。
5000年以上の歴史を誇るスイス最古の町
クールはスイス西部のほぼ中央に位置し、西から流れてくるライン川が北に方向転換するアルプス山麓の開けた場所にあります。
ライン川に沿って南ドイツまで続く道と北イタリアに通じる4つの峠が合流する地点に建っていることから、クールは古くから重要な交通拠点でした。
そのため、紀元前11,000年の旧石器時代後期から各時代に居住者がいたことを裏付ける様々な出土品が発見されており、青銅器時代以降は常に集落が存在したと思われています。
それ故、クールは5000年以上の歴史を誇る「スイス最古の町」と言われているのです。
また、クールという地名はローマ帝国が紀元前15年にアルプス以北を征服した際に四通八達の地としての価値に目を付け、現在の旧市街東端にある高台に陣地を築いて、それを「クリア」(Curia)と名付けたことに由来します。
ローマ帝国崩壊後はアルプス以北に初めて設置された司教管区の司教座となり、クールは歴代司教の支配下で南北を往復する商人の通過交通を主な収入源として発展することになります。
10世紀に入るとアルプス越えの交通路を完全に司教の管理下に置くため、神聖ローマ帝国はクール司教に広範囲の領土に加え、多くの権限ならびに帝国領主の地位を付与しました。
しかし、司教の影響力が増したことで自由を大幅に制限された地域住民は不満を抑えきれず、徐々に独立運動が激化します。
そして、13世紀末に当時の司教が当該管区における影響力の拡大を図っていたハプスブルク家に領土を譲渡する意思を表明したことで、参事会員を筆頭に、クール市民と管区内の町村は同盟を結成し、司教が住む館を襲撃して大半の権限を当同盟に移管させたのです。
その直後、同じ目的で編成された隣接地域の2つの同盟と共に「三同盟自由国」(Freistaat Gemeiner Drei Bünde)を宣言し、事実上司教による支配に終止符を打ちました。
さらに、この新体制を維持するために利害関係が一致したアイトゲノッセンシャフトと同盟を結び、強力な後ろ盾を得て神聖ローマ帝国の皇帝にも自治権を認めさせることに成功したのです。
その際、交通と経済の中心地であることを考慮して、クールは三同盟の定期会合を開く場所に指定され、市政に関しては司教に代わって5つのギルドで構成される市議会が設立されました。
それ以降はギルド都市として繁栄し、1798年にフランス軍がスイスを侵略して築いたヘルヴェティア共和国に三同盟自由国を統合したことを機に、その崩壊後の1803年にアイトゲノッセンシャフトに加盟して新たに誕生したグラウビュンデン州の州都となったのです。
中世感溢れる旧市街
クールはスイス最古の町と称されるだけあって、その最大の魅力はやはり風情漂う旧市街です。
とはいえ、元々ケルト人が先住していた創建当初以降はローマ帝国、さらにはフランク王国の管理地域でもあったため、数千年前の姿を伝える建造物は残念ながら残っていません。
また、940年にサラセン人の侵略によって町の大部分が焼き尽くされた他、1464年にも大火が発生し、市街の7割以上の家屋が焼失したことから、現在の旧市街は15世紀から16世紀にかけて出来たものです。
防衛の強化を図って13世紀に設置された城壁に関しても町の拡大に伴い大部分が解体されましたが、一部の壁や監視塔は現存しています。したがって、古代の面影は全くないものの、中世の街並みは今も色濃く残っている状況です。
さらに、クールは城下町でもなければ、貴族や豪族が治めていた都市でもないので、豪壮な邸宅がほぼ皆無で、職人や商人が住む比較的質素な古民家が立ち並ぶといった特徴があります。
中でも市庁舎はそれを象徴するかのように、目立った色合いや装飾が一切なく、武器庫ではないのかと勘違いしてしまうほどシンプルな造りです。
加えて、幅が不規則で、時に直角に曲がる石畳の路地が多く、旧市街全域が歩行者天国になっていて自動車の音すら聞こえないせいか、現代人が普段生活している空間とは全く別の雰囲気に包まれます。
特に、オフィスビルや百貨店を始め、レストランとカフェが連なり、近代建築が目立つ駅の周辺から歩いて旧市街に向かうと、いきなり数百年前の時代に紛れ込んでしまったのではないかと錯覚するぐらいのギャップを感じるほどです。
そのような楽しみも含め、特定の目的がなくてもクールには短時間だけでも立ち寄る価値があります。
現在もクールの代名詞である司教座
上述の通り、クールは元々司教座が置かれたことで大きく発展し、中世に入ってからは特に司教との対立を経て独立国を形成するなど様々な変化を遂げてきました。
言い換えれば、クールは司教の恩恵を受けたと同時にその虐政にも苦しめられた結果、政治的にも文化的にも成長して栄えたので、現在の町を作った経緯を探るとそこには必ず両者の共生関係があります。
そして、その長きにわたる繋がりを物語るが如く、旧市街の南東部に位置する丘の上には今も現職の司教がいる宮廷(Hof)が町のシンボルとして聳えます。
お城のような外観を持つこの宮廷はローマ帝国時代に存在した陣地の跡地に建てられ、1852年にクール市に統合されるまでは歴代司教が裁判権を有する領主を務めた自治区でした。
敷地内には三角形の大広場を囲むように聖母昇天大聖堂(Kathedrale St. Mariä Himmelfahrt)と司教宮殿(Bischöfliches Schloss)に加え、参事会員の住居が配置されています。
大聖堂の創建は5世紀後半ですが、8世紀に建て替えられ、12世紀から13世紀に掛けて大規模工事を行い、完全に新しいものに生まれ変わりました。
外観はロマネスク様式の教会になっているものの、内装関してはその後の各時代の様式を取り入れている他、以前建っていた大聖堂で使われていた装飾品の一部も組み込んでいます。
また、祭壇にはその背後の壁一面を埋め尽くす大きさのフランボワイヤン様式彫刻が施されており、スイス国内では類を見ない規模と出来栄えであることから、教会の備品としては国の最も重要な文化財のひとつとされています。
一方、司教が住居として使用している司教宮殿は、18世紀前半にオーストリアのバロック様式風に建造された中庭付きの屋敷となっています。
宮廷の敷地も含め、見た目が比較的質素な建造物しかない旧市街とは対照的に窓と扉の漆喰装飾が際立つ威厳ある佇まいで、クールの必見スポットです。
さらに、司教宮殿から坂道を少し上った先には町全体を一望できる場所があるので、季節ごとに変わる、アルプス山脈を背景に広がるクールの絶景もまた見逃せません。
公用語が3つも混在する多言語都市
目に映る景色に気を取られがちですが、クールを訪れた際にもうひとつ注目していただきたいのは何といっても音です。
街中で地元住民の会話に耳を傾けてみると、外国人観光客のみならず、大多数のスイス人ですら理解できない言葉が飛び交うことがあります。
言語圏の分類で言えばクールはドイツ語圏に含まれる一方、歴史的にイタリア語を話す地域との交流も深かったことから、イタリア語を母語としている人も少なくありません。
しかし、中にはそのどちらの言語でもないこの地方独特の「ロマンシュ語」(Rätoromanischまたは単にRomanisch)と呼ばれる言葉を喋る市民も多数います。
ロマンシュ語はローマ帝国がアルプス以北を征服した際に当該地域に持ち込まれたラテン語を起源とすることから、フランス語やイタリア語と同じルーツを持っているものの、長い間外部との交流が殆どなかったアルプスの諸渓谷が多いため、それらとは全く異なる発展を遂げてできた言語です。
したがって、クールを含むグラウビュンデン州は元々ロマンシュ語を主要言語とする地方でした。
また、三同盟自由国内の南部にはイタリア語を話す自治体も複数存在していたので、少数派とはいえ、イタリア語も広く使われていた言語でした。
しかし、1464年の大火で壊滅的な被害にあった時、クールを再建するためにドイツ語圏から多くの職人が集まり、復興した町にそのまま住み着いた結果、次第にドイツ語が主流となったのです。
このような理由からグラウビュンデン州はスイスで唯一3つの言語を公用語として指定している州で、その州都であるクールは独自の文化とも言える多言語性を発信する中心地を担っています。
例えば、クール市内だけでも小学校から大学までの各校でドイツ語、ロマンシュ語、またはイタリア語のいずれかで授業を行い、その内のもうひとつの言語を第一外国語として教えています。
さらに、ラジオやテレビもそれぞれの公用語での放送が受信可能で、クール市にあるロマンシュ語放送局に関しては1954年にスイス公共放送協会に統合され、今やスイス全国で放送されるようになっています。
そのため、クール市内では人々の会話以外にも、様々な標識や看板で多言語表記が確認できて、スイスを訪れてもなかなか触れる機会がないロマンシュ語に遭遇できる場所でもあるのです。
今回は多くの人々から乗り継ぎ駅で利用されるものの、滞在先としてはさほど注目されないクールをご紹介させていただきましたが、如何だったでしょうか?
目的が既に決まっていて、乗り換えの際に立ち寄る時間が取れない人も多いと思いますが、公用語が3つも混在する地域は非常に珍しいことから、耳にする機会が限られているロマンシュ語には接触しておくべきです。
また、クリスマスシーズンになればクールの旧市街で開催されるクリスマスマーケットも見逃せない名物のひとつですので、その時期に街中をウロウロすると素敵なひと時も過ごせます。
可能であれば半日以上かけてクールの市街地を散策しながら観光を楽しんで、ショッピングや飲食も堪能するのが理想ですが、やっぱり時間に余裕がない場合はせめて出発時刻を遅らせてそのいずれかを体験することをお勧めします。
では
Bis zum nöchschte mal!
Birewegge
今回の対訳用語集
日本語 | 標準ドイツ語 | スイスドイツ語 |
好都合 | geeignet
(ゲアイグネト) |
g’eignet
(グアイグネト) |
方向転換 | Richtungsänderung
(リヒトゥングスエンダルング) |
Richtigsänderig
(リフティクスエンデリク) |
陣地 | Stellung
(シュテルング) |
Schtellig
(シュテリク) |
後ろ盾 | Rückendeckung
(リュッケンデックング) |
Ruggedeckig
(ルッゲデッキク) |
百貨店 | Kaufhaus
(カウフハウス) |
Chaufhuus
(ハウフフース) |
ショッピング | Einkaufen
(アインカウフェン) |
Iichaufe
(イーハウフェ) |
三角形 | Dreieck
(ドライエック) |
Drüeck
(ドリューエック) |
備品 | Ausstattung
(アウスシュタットゥング) |
Uusschtattig
(ウースシュタッティク) |
文化財 | Kulturgut
(クルトゥアーグート) |
Kulturguet
(クルトゥルグエト) |
発展 | Entwicklung
(エントヴィックルング) |
Entwicklig
(エントヴィックリク) |
参考ホームページ
クール市オフィシャルサイト:https://www.chur.ch
クール観光協会オフィシャルサイト:クール:https://www.chur.graubuenden.ch/de
スイス歴史辞典:クール市:https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/001581/2021-08-03/
クール司教管区オフィシャルサイト:https://www.bistum-chur.ch
スイス生まれスイス育ち。チューリッヒ大学卒業後、日本を訪れた際に心を打たれ、日本に移住。趣味は観光地巡りとグルメツアー。好きな食べ物はラーメンとスイーツ。「ちょっと知りたいスイス」のブログを担当することになり、スイスの魅力をお伝えできればと思っておりますので皆様のご感想やご意見などをいただければ嬉しいです。
Comments
(0 Comments)