発明大国スイス
目次
皆様は「発明家」という言葉を聞いたらどのような人物を思い浮かべますか?
ドイツ語圏では活版印刷技術の発明家として知識を全世界に広めることを可能にしたヨハネス・グーテンベルク(Johannes Gutenberg)がおそらく代表例として挙げられますが、日本では京都にもゆかりのあるトーマス・エジソン(Thomas Edison)と答える人が多いのではないでしょうか?
逆に、ダイナマイトで人類に多くの不幸をもたらしたことを悔やんで、それで得た膨大な資産を人類に貢献した人物に寄付すると決めたアルフレッド・ノーベル(Alfred Nobel)こそが真っ先に言及すべき発明家であると主張する方もいると思います。
このように、人や国によって連想する「発明家」は異なり、個人的な趣味によっても回答は実に様々です。
とはいえ、スイス人の発明家の名前を言う人はまずいないでしょうし、そもそもスイスと発明を結び付ける人物すらいるのかどうかを疑問に感じている方も多いでしょう。
しかし、それはとんでもない見当違いで、むしろスイスは「発明大国」と呼ばれてもおかしくないほど大量の発明品を世に送り出してきただけでなく、スイスの発明品がなければ現代人の日常生活がどうなっているのか想像も付かないほどです。
したがって、今回は意外と知られていない、発明大国としてのスイスの一面についてお話させていただきます。
スイスはグローバル・イノベーション・インデックスで13年連続1位
「発明品」は一般的に長い研究開発期間を経て商品化され、我々の生活に変化をもたらす様を実感することで初めて認識される人が多いようですが、実は世に出回らない発明品や他の製品に組み込まれていてその存在が知られない物が大半を占めています。
したがって、発明品は発売される新商品ではなく、特許出願、商標登録、ならびに著作権の獲得などの数量を指数にすると、誰がもしくはどの国が一番多くの発明品を世に送り出しているかが分かります。
国連の世界知的所有権機関(WIPO)が毎年国際特許制度の報告書にて発表している国別特許出願数を確認すると、ここ数年では中国がトップに君臨し、アメリカ、日本、韓国、ドイツ、フランス、イギリスと続き、スイスが8位であるとの結果が出ています1。
世界経済大国のトップ10に数えられる国々が特許出願数でも上位に入っていることは、それらの国の人口や企業数などを考慮すれば決して不思議ではありませんが、その中に人口が1000万人以下の小国でG20国にも選出されていないスイスがランクインしているのはかなり意外です。
したがって、世界で最も経済力があるが故に発明品を開発する意欲もあって、研究開発に費やす財源力もある国々とスイスが肩を並べていることから、発明大国と呼ばれるに相応しい実績を残しているということになります。
とはいえ、既に申し上げたように、発明品の中には実用化に繋がらないものも数多く存在するため、重要なのは特許出願数ではなく、むしろ発明品の内容、即ち革新性があるかどうかです。
そのため、世界知的所有権機関では各国が出願した特許の内容を複数の協力機関と共に様々な観点から評価し、その結果をグローバル・イノベーション・インデックス(GII)と題して毎年ランキング形式で発表しています。
当該評価は2007年に初めて実施され、初年度とその翌年はアメリカが1位となり、2010年にはアイスランドがトップに立ちましたが、2011年以降はなんとスイスが13年連続で首位をキープし続けているのです2。
この事実からスイスの特許出願数が高いレベルに推移しているだけでなく、スイスの発明品自体が世界的に見ても革新的で有用性の高いものが多いことが窺えます。過去にスイスが世に送り出した発明品を振り返ると、実際に人々の日常生活を大きく変えて今やなくてはならない存在になっているものは数えきれませんので、世界知的所有権機関の評価には大いに納得がいくだけでなく、その結果を踏まえてスイスが世界最大の発明大国であると言っても過言ではありません。
台所での作業を楽にしてくれたスイスの発明品
数値やランキングでスイスが発明大国であると言われてもピンと来ない方が多いと思いますので、これから皆様もよくご存じで、日々無意識に使用しているスイスの発明品の数々をご紹介したいと思います。
まず、毎日のように台所周りで調理やその他の作業を楽にしてくれたり、役に立っていたりするものから紹介しますと、様々な野菜や果物の皮をむく作業を大幅に短縮してくれる「皮むき器」に加え、大根を始め、青果物をすりおろすのに必要な「おろし器」が挙げられます。
これらに関しては、もはや当たり前すぎるキッチンの便利グッズであることから説明は不要だと考えますが、実はどちらもスイス発祥だったことを知らなかった方も多いのではないでしょうか?
また、にんにくを一気にすり潰すことができる「ガーリックプレス」、そしてあらゆる食材を混ぜる、刻むまたは泡立てるための強力な助っ人である「ハンドブレンダー」もスイス人が開発した商品です。
さらに、「アルミホイル」と「セロハン」もまた忘れてはいけないスイスの革新的な発明品に数えられます。
前者は食材を直火で焼く際に焦げることを防ぐだけでなく、食料品をそれで包み込むと保温・保存効果を付与する優れものとして知られています。
一方、「セロハン」はフィルムにしたものが最も有名で、日本では「サランラップ®」などの商品名で販売されており、食料品を衛生的に保存するために皆様も日々お弁当や冷蔵庫での保管にご愛用されている重要な道具です。
とはいえ、セロハンは家庭のみならず、スーパーや工場、その他の場所でもあらゆる製品の梱包材料として幅広く応用されており、片面に接着剤を塗布した粘着テープ(セロハンテープ)の形でも欠かせない日用品として世界中で使用されています。
衣類や道具の使い勝手を向上させたスイスの発明品
キッチンで活躍しているスイスの発明品は主に単独で使用するものばかりでしたが、実は脇役でありながらも製品そのものの利便性や性能を向上させている発明品も少なくありません。
例えば、衣類関連で言えば「ファスナー」がその代表例です。
ファスナーは元々19世紀後半にアメリカで開発され、特許まで取得したものの、品質があまりにも悪くて実用的でなかったことから普及しませんでした。
その後、スイスの実業家が改良の余地を見出し、アメリカ人の特許所有者から特許を買い取って、1925年に、現在広く知れ渡っている務歯が交互に噛み合う形状の線ファスナーを商品化したのです。
今ではファスナーはチャックの開閉という機能を活かして、ポーチやバッグの中身を失くすことを防ぎ、寝具の入れ替えも楽にしてくれています。
また、狩りを楽しんでいたとあるスイス人が、連れていった犬の毛皮に野生ゴボウの実が張り付いて取り除きにくいことに着目し、繊維業界で働く親友にそのことを相談したところ、片側がフック状の起毛と、反対側がループ状の起毛を取り備えた、脱着しやすいのにしっかり留まる生地の開発に成功しました。
これが日本で一般的に「マジックテープ®」の名で知られている「面ファスナー」の誕生でした。
面ファスナーは通常の線ファスナーの代替品として衣類を中心に広がりましたが、あらゆるものを一時的にどこかに固定することも可能にしたため、NASAのアポロ宇宙船を始め、数々の道具の表面にも使用されるようになりました。
特にウィンタースポーツや登山などアウトドアアクティビティが趣味な方なら、ジャケットからグローブといった多数のもので面ファスナーが大活躍していることを実感されているのではないでしょうか?
そして、何より面ファスナーが靴紐に代わってスニーカーの留め具としても利用されるようになったことで、多くの子供たちが紐を結ぶ複雑で面倒な動作から解放されました。
医療や技術を革新させたスイスの発明品
続いて、医療分野では「人工股関節」や「コッヘル鉗子」なども大きな変化をもたらしたスイスの発明品です。
「人工股関節」は義肢と同様に様々な原因で動かなくなったまたは動きにくくなった部位を正常な状態に戻すことが可能な優れものです。
置換術で身体の小さな部分を入れ替えるだけですが、ご経験のある方なら痛みを伴って歩くことが殆どできなかったのに、人工股関節によって再び思うがままに移動できるようになり、支障のない生活が送れて、まるで第二の人生をいただいたかのようだと表現する人も少なくありません。
「コッヘル鉗子」もまた外科手術で使用するものですが、置換や移植する部品ではなく、外科医が術中に使用する医療機械の一種です。
スイスの医師であるテオドール・コッヘル(Theodor Kocher)が19世紀末に開発したことでその名称が付いた「コッヘル鉗子」の使用目的は、手術における切開で切断された血管を挟んで出血量を抑えることにあります。
血管の出血量を抑えて最小限に留めることが何故重要かというと、臓器によっては非常に大きな血管が通っており、術中にそれらを切断して失血死する危険性が極めて高いからです。
また、血管の断端から病原体が侵入することで敗血症を始め、あらゆる感染症にかかるリスクも高まるため、「コッヘル鉗子」は外科手術における安全性の向上に大きく貢献したと言えます。
医療の他に、技術の分野においてもスイスの発明品が偉大な実績を残した例が幾つかあります。
中でも特筆すべきは自動車エンジンの性能を大幅に上げた「ターボチャージャー」です。
「ターボチャージャー」とは排気の流れを利用し、コンプレッサーを駆動することで内燃機関が吸引する空気の密度を高める過給機のことを指します。
この部品によってより多くの酸素が燃焼室に送り込まれ、通常以上の燃焼エネルギーを得ることが可能なため、簡単に言えばガソリン車の効率を上げる装置のようなものです。
「ターボチャージャー」は今やマイカーやレンタカーもしくは公共交通機関であるバスやタクシーなど皆様も日常的に利用している、ほぼ全ての自動車に搭載されている欠かせない部品のひとつとなっています。
因みに、自動車との関連で、皆様が日々歩いていたり、車や自転車で走っていたりする舗装道路に使われる「アスファルト」も実はスイス人が生んだ発明品だったのをご存知でしたか?
娯楽・嗜好品として役立っているスイスの発明品
今まで採り上げた発明品は主に実用的で生活を楽にしたり、既存技術の発展に貢献したりするものでしたが、娯楽や余暇、そして嗜好品といった必ずしも必要ではないものの、我々の生活や感情を豊かにしてくれるスイス発祥の品々もたくさん存在します。
その中でもまず申し上げておくべきは「エレキギター」です。
エレキギターに関しては1920年代以降に複数の製作者が同時進行で開発を行っていたこともあり、生みの親が結局誰なのはっきりしない点もございますが、そのうちの一人だったスイス人のアドルフ・リッケンバッハ―(Adolph Rickenbacher)が発売した「フライイングパン」(Frying Pan)が世界初のエレキギターと見なされることもあります。
したがって、多くの人々に愛された「ジミヘン」ことジミー・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)やザ・ビートルズ(The Beatles)に加え、ポップス、ジャズ、ならびにロック界の歴代スター達はこのスイス人の画期的なアイデアがなければ生まれてこなかったかもしれせん。
また、今や会社やホテルのみならず、各家庭でも当たり前のように設置されている全自動コーヒーマシンも元々スイス人が最初に開発して世界中に広めたものです。
この事実を考慮すると、日本の女子のトレンドマークとも言えるフラペチーノを片手に街中を歩く様や勉強する学生がスタバを埋め尽くしている光景はスイスの発明品がもたらした結果と言えます。
とはいえ、もはや娯楽の範囲を超え、人類の生活そのものを根本的に変えたスイスの発明品は何と言っても「ワールドワイドウェブ」(World Wide Web)です。
「ワールドワイドウェブ」はハイパーテキストシステムに過ぎませんが、現在皆様を含め、世界中の人々が情報収集、情報共有、娯楽、仕事、買い物などあらゆることに利用しているインターネット上のウェブサイトをウェブブラウザーで閲覧可能にしている仕組みみたいなものと解釈できます。
そして、この仕組みを作ったのは実はスイス人ではなく、ベルギー人のコンセプトを基にイギリス人が開発したものです。
ただし、コンセプト考案者も開発者もスイスのジュネーブ州(Canton de GenèveまたはKanton Genf)にある欧州原子核研究機構(CERN)の職員であったことと、インターネット上で掲載された世界初のウェブサイトも同機関のもの(info.cern.ch)だったため、スイスの発明品とされています。
現代社会の大部分がもはやワールドワイドウェブを基盤としているインターネットがなければ想像もできないことを考えますと、改めてスイスを発明大国と呼ばざるを得ないと感じさせられますよね?
このように、語りだすとなかなか切りがないほど我々の日常生活および世界を一変させた多くのスイスの発明品が存在します。
大半の方は身の周りのものがどこでどのように生まれたかをさほど気にしないかもしれませんが、これらが元々スイス人のアイデアから始まったと聞かされるとスイスを少しは尊敬できると感じる人もいるのではないでしょうか?
したがって、今回の記事を通してスイスが発明大国であることをご理解いただけたのならこれ以上嬉しいことはありません。では
Bis zum nöchschte mal!
Birewegge
1出典:WIPO年間報告書2023:
https://www.wipo.int/publications/de/details.jsp?id=4671&plang=DE
2出典:グローバル・イノベーション・インデックス年間報告書一覧:
https://www.wipo.int/publications/en/series/index.jsp?id=129
今回の対訳用語集
日本語 | 標準ドイツ語 | スイスドイツ語 |
発明品 | Erfindung
(エアフィンドゥング) |
Erfindig
(エルフィンディク) |
資産 | Vermögen
(フェアメーゲン) |
Vermöge
(フェルメゲ) |
報告書 | Bericht
(ベリヒト) |
Bricht
(プリフト) |
おろし器 | Reibeisen
(ライプアイゼン) |
Riibise
(リープイセ) |
粘着テープ | Klebeband
(クレーベバント) |
Chläbband
(フレプバント) |
ファスナー | Reißverschluss
(ライスフェアシュルス) |
Riisverschluss
(リースフェルシュルス) |
寝具 | Bettwäsche
(ベットヴェッシェ) |
Bettwösch
(ベットヴェッシュ) |
靴紐 | Schnürsenkel
(シュニューアゼンケル) |
Schuebändel
(シュエベンデル) |
挟む | einklemmen
(アインクレンメン) |
iichlämme
(イーフレンメ) |
酸素 | Sauerstoff
(ザウアーシュトッフ) |
Suurstoff
(スールシュトッフ) |
参考ホームページ
世界知的所有権機関(WIPO):https://www.wipo.int/portal/en/index.html
世界知的所有権機関(WIPO):「グローバル・イノベーション・インデックス」https://www.wipo.int/global_innovation_index/en/
スイス・アクティビティーズ:「あなたが驚く33個のスイスの発明品」:https://www.swissactivities.com/travel-guide/schweizer-fakten/schweizer-erfindungen/
スイス外務省、ハウス・オブ・スイツァランド:「世界を変えた8つのスイスの発明品」:https://houseofswitzerland.org/de/swissstories/wissenschaft-bildung/8-schweizer-erfindungen-die-die-welt-veraenderten
アフレッド・ミュラー株式会社:「それ、誰が発明したの?」:https://www.alfred-mueller.ch/de/forum/artikel/wer-hats-erfunden#:~:text=Ricola%2C%20Rivella%2C%20Ovomaltine%2C%20Toblerone,Land%20der%20Welt%20zu%20werden.
スイス生まれスイス育ち。チューリッヒ大学卒業後、日本を訪れた際に心を打たれ、日本に移住。趣味は観光地巡りとグルメツアー。好きな食べ物はラーメンとスイーツ。「ちょっと知りたいスイス」のブログを担当することになり、スイスの魅力をお伝えできればと思っておりますので皆様のご感想やご意見などをいただければ嬉しいです。
Comments
(0 Comments)