スイスで最も美しいと謳われるグラールス
目次
観光客の中には、見物できるスポットの豊富さや利便性の観点から都会を旅行先に選んで、いわゆる都市観光を楽しむ方が多いと思いますが、自然溢れる地方も見所満載であることを忘れてはいけません。
特にスイスにご興味のある皆様からしてみれば、むしろ日本にない魅力を感じられる後者の方が好ましいのではないでしょうか?
そのせいか、大半の人は氷河特急(Glacier Express)やマッターホルン(Matterhorn)を求めてスイスを訪れます。
しかし、それはどちらかというと観光庁が外国人に対して「見せたいスイス」であって、国民にとってはあまり馴染みのないものですので、逆に庶民的で日常的な本来のスイスに触れたいと感じる観光客には不向きです。
とはいえ、ガイドブックなどでは観光地化されていないありのままのスイスを体験できる場所は殆ど掲載されないことから、情報の入手が容易ではありません。
そこで、今回はそのような悩みを解消するため、「素」のスイスを堪能したい方にうってつけの場所と言えるグラールス州(Kanton Glarus)とその州都であるグラールス市をご紹介させていただきます。
ハプスブルク家が代官を務めていた修道院領
スイスの中央からやや北東に位置するグラールス州には青銅器時代から人間がいた形跡がありますが、集落が形成され、定住地としての本格的な開拓がいつ頃に始まったのかは殆ど分かっていないのが現状です。
言い伝えによるとアイルランドからやってきた僧侶で、後に南ドイツのセッキンゲン修道院(Kloster Säckingen)を開いた聖フリドリン(Fridolin)が6世紀に当該地域を取得し、キリスト教の普及に努めたのがグラールスの起源とされています。
しかし、グラールスにそのような人物が活動していたことを裏付ける証拠が存在しないため、この言い伝えは信憑性が低いと思われている一方、グラールス州が遅くとも8世紀以降にセッキンゲン修道院の所有領であったのは事実です。
そして、1288年には当該修道院からグラールス州における裁判権を含む支配権がハプスブルク家に譲渡されます。
この出来事は、それまで修道院からある程度の自治権を保証されていたグラールスの民と、それらの制圧を試みたハプスブルク家との対立を勃発させただけでなく、アイトゲノッセンを巻き込む一連の騒動を引き起こすことにもなったのです。
というのも、当時のアイトゲノッセンにとってグラールスはハプスブルク家を撃退するための重要な拠点でしたので、彼らは1351年にグラールスの谷々を占領し、それらにアイトゲノッセンと同盟を結ぶよう強制しました。
ハプスブルク家はすぐさまグラールスの奪還に成功するも、1388年のネフェルズの戦い(Schlacht bei Näfels)で大敗を期し、グラールスからの撤退を余儀なくされたのです。
さらに、1395年にはグラールスが大金と引き換えに修道院から独立することで合意し、ハプスブルク家との関係を完全に断ち切ると同時に、8番目の州としてアイトゲノッセンシャフトの正式メンバーにも加えられました。
その後の宗教改革ではチューリッヒ(Zürich)の影響を強く受けてプロテスタント寄りの姿勢を見せていましたが、同時にカトリックとの共存も重視していたため、グラールスはスイスの中でも常に中立な立場を取り、度々仲介役を担うこととなりました。
19世紀に再建された復興都市
グラールス州は主にリント川(Linth)とその支流の河谷から構成されており、そのほぼ中央に州都であるグラールス市が建っています。
グラールス市には元々その周辺一帯で唯一の教会があったことから、独立後の1419年に中心地としての機能を考慮して州都に指定されました。
また、当該市は高い山々に囲まれており、アルプスを一望できる名所として知られていますが、その地形によって過去に繰り返し洪水被害やフェーン現象に起因する大火災に見舞われました。
特に1861年に起きた大火では町の大部分が焼失してしまい、高台に建っていた住宅と町外れにあった工業地帯のみが難を逃れたほど壊滅的な被害を受けました。
そのため、グラールス市には歴史的建造物がほとんど現存せず、19世紀後半に建て替えられた比較的新しい町である点で、スイスの他の町と大きく異なります。
しかも、再建に際しては、今後再び起こり得る大規模火災の対策として、過去に多く存在した納屋付き民家や密集地は新たに建設しないことが決まり、アメリカなどで多く見受けられるブロック状に配置された正方形の区画と、それらを区切る縦と横に延びる広い道路が整備されたのです。
また、それまでスイスの地方において一般的だった機能的な木造建築に代わって、町全体にネオロマネスクやネオルネッサンス様式のコンクリート造りを採り入れることにしました。
これによってグラールス市はスイスの典型的な田舎町とは姿も雰囲気も違う都市に生まれ変わりましたが、今となってはそれがむしろ他の地方にない独自性として評価されることも少なくありません。
さらに、グラールス市の復興では、それまでスイスになかった都市計画を採用した他、建設工事も異例なスピードで進められたため、19世紀後半のスイスにおける都市開発の代表例とされています。
スイスで最も美しい場所
このように、グラールス市は長い歴史を誇る町であるにも拘わらず、旧市街がないのが特徴的ですが、グラールスと言えばその大自然が最大の魅力です。
州全体の面積の割合を見てみると、森林、農用地、そして山岳地帯がそれぞれ3割以上を占めており1、見渡せる限り豊かな自然が広がっています。
しかも、大部分が山脈で覆い尽くされているとはいえ、グラールスは亜高山帯にあたるため、高地と低地の両方を有し、高山や河谷も豊富で実にバラエティー豊かな地域なのです。
また、スイスでは、四季がはっきり分かれていて季節ごとに姿を変える場所は比較的稀ですが、その点においてもグラールスは異例で、春・夏・秋・冬で異なる顔を見せます。
それ故、グラールスの山里は昔から多くの画家が好むモチーフだっただけでなく、様々な文人もその自然美を詩などで賞賛してきました。
中でもグラールス市に属し、標高800メートルに位置するクレーンタール(Klöntal)は、複数の作家からスイスで最も美しい場所と謳われたことで知られています。
スイス人として初めてノーベル文学賞を受賞したカール・シュピッテラー(Carl Spitteler)の「クレーンタール湖は夢でも描くことのできない究極の自然美のひとつである」(Der Klöntalersee gehört zu den unglaublichen Naturschönheiten, die kein Traum errät)2という詞は特に有名で、一年を通して国内外から多くの観光客がクレーンタールを訪れるきかっけになりました。
その影響かどうか不明ですが、スイスのフランス語圏出身だった私の中学時代のフランス語教師でさえ、いつも「スイスで一番綺麗な州はグラールスだ」と主張していましたので、地元愛が異常に強いスイス人でもグラールスの自然美は別格であると認めているほどです。
社会政策における先駆者
以前、アッペンツェルをご紹介した際に、住民が年に一度、町の広場に集まって全ての政治的議案をその場で決定する直接民主主義制度、即ち「ランツゲマインデ」(Landsgemeinde)があることに触れましたよね?
覚えている方もいると思いますが、当該制度が今も存在するのはアッペンツェル・インナーローデン準州(Kanton Appenzell Innerrhoden)とグラールス州の2州のみとなっています。
アッペンツェルに関しては女性の投票権を1990年まで拒否し続けたことから、保守的な地域住民に決定権を与えると時代遅れの政治に繋がるとの声も挙がっている一方、同じ方式で住民が自ら州の議決機関を担っているグラールスは逆に成功例とされることが少なくありません。
というのも、今となっては世界の多くの国で児童労働が禁止されていますが、グラールスでは既に1856年に12歳以下の子供を対象にした児童労働禁止令が成立していました。
また、1864年には州政府の反対を押し切って住民が1日の労働時間を12時間に制限した他、夜間労働の禁止や出産後の6週間は産後休業が義務化されているなど、一連の労働保護法を導入したのです。
当時、同様の労働保護法はイギリスを除いて世界のどの国にも存在しなかったことを考慮すると、グラールスの州民による政治が如何に先進的であったかが窺えます。
さらに、1916年にはスイス初となる養老保険と障碍者保健制度、そして1925年には失業保険制度がグラールス州で設立されましたが、全国レベルで同等な社会福祉制度が誕生したのはなんと30年以上も後の1948年のことでした。
このように、グラールスのランツゲマインデは、全住民が庶民の視点で私益より公益を優先して政治に関与すれば、政治家など一部の選ばれた人間による政治を超えた社会を実現できることを度々証明してきたのです。
しかも、その勢いは現在も衰えておらず、グラールスが2007年に選挙権年齢を18歳から16歳に引き下げたことで、またしてもスイスでどこよりも先に新たな社会的基準を設定しました。
グラールスに関するご紹介は如何でしたか?
ご説明した内容からグラールスが田舎町であることを分かっていただけたと思いますが、復興都市という地位やその自然美、そして時代を先駆ける社会政策は全国的にも比類ないもので、地方には都会にない良さがあることを物語っています。
そればかりか、グラールスは、いろいろな意味で田舎の方がより充実した生活を送れるのではないかと感じさせられる魅力に満ちています。
また、今回は採り上げませんでしたが、実はグラールス市は地殻変動地域サルドナ(Tektonikarena Sardona)と呼ばれているエリアに含まれており、その地質学研究における価値から2008年にユネスコ自然遺産に登録されました。
したがって、グラールスはスイスで最も美しい自然に加えて、世界遺産をも有する町となって、魅力がまたひとつ増えたのです。
スイス旅行でグラールスに行かれる方は比較的少ないと考えますが、他にない興味深い要素を多く併せ持つ場所ですので、グラールスを訪れずにスイスは語れないと言えます。
そういった理由から皆様も時間に余裕があれば、是非グラールスを訪問先として検討してみてください。
では
Bis zum nöchschte mal!
Birewegge
1出典:スイス歴史辞典:https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/007374/2017-05-30/
2出典:グラールス州観光局:https://glarnerland.ch/de/map/detail/kloentalersee-e000402c-dc85-4126-9376-248794e1e0d2.html
今回の対訳用語集
日本語 | 標準ドイツ語 | スイスドイツ語 |
言い伝え | Sage
(ザーゲ) |
Saag
(サーク) |
活動する | tätig sein
(テーティク・サイン) |
tätig sii
(テーティク・スィー) |
再建 | Wiederaufbau
(ヴィーダーアウフバウ) |
Wideruufbau
(ヴィデルウーフバウ) |
対策 | Gegenmaßnahme
(ゲーゲンマースナーメ) |
Gägemaasnahm
(ゲゲマースナーム) |
配置する | anordnen
(アンオアートネン) |
aaordne
(アーオルトネ) |
亜高山帯 | Voralpen
(フォアアルペン) |
Voralpe
(フォルアルペ) |
議案 | Gesetzesvorlage
(ゲセッツェスフォアラーゲ) |
Gsetzesvorlaag
(クセッツェスフォルラーク) |
児童労働 | Kinderarbeit
(キンダーアーバイト) |
Chinderarbet
(ヒンデルアルベト) |
労働時間 | Arbeitszeit
(アーバイツツァイト) |
Arbetsziit
(アルベツツィート) |
先駆者 | Vorreiter
(フォアライター) |
Vorriiter
(フォールリーテル) |
参考ホームページ
グラールス市オフィシャルサイト
ツーク州観光局オフィシャルサイト
スイス歴史辞典:グラールス州
https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/007374/2017-05-30/
スイス歴史辞典:グラールス市
https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/000766/2020-11-19/
ユネスコ世界遺産地殻変動地域サルドナ利益共同体ウェブサイト
スイス生まれスイス育ち。チューリッヒ大学卒業後、日本を訪れた際に心を打たれ、日本に移住。趣味は観光地巡りとグルメツアー。好きな食べ物はラーメンとスイーツ。「ちょっと知りたいスイス」のブログを担当することになり、スイスの魅力をお伝えできればと思っておりますので皆様のご感想やご意見などをいただければ嬉しいです。
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