スイスが「世界一の時計王国」と呼ばれる理由
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今まで何度かにわたってスイスの名物をご紹介させていただきましたが、振り返ればその殆どが食料品だったような気がします。
スイスは元々農業国家ですので、食べ物が豊富なのは不思議ではありませんが、食料品以外にもスイスを代表する様々な特産品があるのは言うまでもありません。
中でも、とあるものは世界のどこへ行っても必ず目撃し、皆様の身の回りにも高確率でそれを所有している人が存在すると断言できるほど有名です。
むしろ、多くの方々にとってはその商品が日常において当たり前にあるもののように感じているせいか、スイスの製品というイメージが沸かないことも少なくありませんので、逆にそれがスイスの特産品だと伝えた瞬間に「言われてみればそうだよね!」みたいな反応をします。
ここまで言えばさすがに読者の皆様も何を指しているかもうお分かりなのではないでしょうか?そうです。答えは他でもない「時計」です!
という訳で、今回はスイス銀行とスイスチャードに並んで国名が商品の一部になっているほど代表的なスイス時計についていろいろとお話させていただきたいと思います。
懐中時計の普及を機に始まったスイスの時計製造
人類が時間を気にして、日常生活に一定の規則性を設けようとする試みがいつ頃に始まったのかは正確に分かっていないほど古いです。
古代文明においては天文学で得た知識を基に様々なカレンダーが作成され、毎朝昇って毎晩沈む太陽を指標とする日時計や、経過した時間を示すことができる水時計が既に開発されていました。これらには「時計」という言葉が使用されているものの、正確な時間を表すものではなかったのですが、人々が一日の流れを把握したり、色々な動作の長さを計ったりするには十分な道具でした。
したがって、時代が進むに連れてそれらの精度は上がりましたが、時間をより正確に示すものへと進化したのは数千年以上も後のことだったのです。
時計が特に大きな進歩を遂げたのは機械で駆動する仕組みが実現した14世紀でした。
とはいえ、当時はコンパクト化などの概念は全くなく、駆動装置を正常に作動させるだけで精一杯でしたので、機械式時計は基本的に大型で、値段も非常に高い製品だったのです。
そのため、人口の多い町の監視塔や教会の鐘楼などに設置され、住民全員で1台を共有するのが一般的でした。
その後、より小型の置時計や壁時計など家庭用の時計が普及し始めますが、庶民が購入できるほど手頃な価格ではなかったことから、一部の貴族が所有する高級品に留まり、大半の人にとっては手の届かない存在だったと言えます。
しかし、16世紀に入って真鍮が素材として世に出回ると、従来想像できなかったサイズまで時計を小さくすることが叶い、個人が携帯可能な懐中時計が一気に広まりました。
これに伴い、ヨーロッパ各地で時計製造を専門とする時計職人が工房を構えるようになり、ウィーン(Wien)などでは時計職人ギルドまで結成されるほど需要が増加したのです。
そして、それまで時計が製造されていたことがほぼ確認されていなかったスイスでもこの時期を境に時計職人が全国的に現れ始めます。
フランス語圏を中心に発展したスイスの時計産業
スイスでも時計職人が続々と登場したものの、それらの殆どは機械式時計で長年の経験を積んで様々な知識や技術を習得していたドイツやオランダなどの時計職人と違って、庶民の間でも懐中時計の需要が高まったことで新たな市場の開拓を試みた、いわゆる素人に過ぎなかったのです。
特に、ジュネーヴ(Genève)ではジャン・カルヴァン(Jean Calvin)による宗教改革で市民が豪華なアクセサリーや高級品を身に付けることが固く禁じられていたため、金細工職人や宝飾職人が転職を余儀なくされた結果、時計職人になった経緯があります。
しかも、その際に彼らが、よりにもよって時計製造に乗り出したのは、ジュネーヴがヨーロッパ各地から多くの宗教難民を受け入れる政策を取っており、その中にフランスから避難してきた時計職人がいて、彼らに製造技術を教わったのが理由ですので、むしろ当時の時代背景がもたらした偶然の結果でした。
とはいえ、ジュネーヴの職人達の間では1人が1つの工程を行う分業体制が整っていた他、貴金属や宝石の加工において豊富な経験を有していたこともあり、それを時計製造に上手く活かしたことによって短時間で一大産業を立ち上げることに成功しました。
その後、ジュネーヴはスイスにおける時計製造の中心となり、その技術力を隣接する地方にも広めるリーダー的存在になっていたのです。
しかし、ジュネーヴではギルドへの縛りが強く、時計造りが細かく規制される傾向があったため、製造方法から販売経路まで、より自由なものづくりを求めた職人が活動拠点を徐々にヌーシャテル州(Canton de NeuchâtelまたはKanton Neuenburg)、ベルン州(Kanton Bern)、ソロトゥルン州(Kanton Solothurn)などスイス南西部から北西部へと移しました。
また、生産性の向上を図るため、移住した大半の時計職人は時計造りを30~54の製造工程に分けて、ひとつの工程のみを行う様々な専門職を育成し、自身は全工程を監督役として統括するプロデューサーを担う新たな生産スタイルを生み出しました。
これは多くの製造業者を1カ所に集めて作業を効率化することで大量生産に成功したドイツを始めとする他国の時計産業に対抗するための策略でした。
これにより、スイスの時計産業は19世紀に入ると数十年でその生産性を著しく増加させ、「世界一の時計王国」と言われるまでに成長したのです。
カルテル化で市場シェアを爆発的に拡大
19世紀後半に入ると、アメリカで時計の部品を機械製造で大量生産することが主流となり、時計をより安く販売し始めたことで、全ての工程を手作業で行うスイスの時計産業を窮地に追い込みました。
売り上げが僅か5年で6分の1にまで下がったスイス時計産業は、アメリカという新たな強敵に対抗すべく、生き残りをかけた大規模な改革に乗り出しました。
スイスの時計職人は以前から時計に使用する細かい部品を精密に仕上げるのを得意としていたため、故障時に部品を交換すれば商品を半永久的に使い続けられる長寿命で豪華な装飾を施した高級時計の製造に集中しました。
また、今まで培ってきた分業による量産の基礎に関しては工場などに集約して一本化し、一般使用者向けの安価な製品の増産を図ることにしたのです。
そして、各メーカーが個人戦を繰り広げるのではなく、産業全体として世界の競合相手に立ち向かうために吸収合併を経てAllgemeine Schweizer Uhrenindustrie AG(ASUAG)やSociété Suisse pour l’Industrie Horlogère(SSIH)などのホールディングスを設立しました。
その結果、時計仕掛けの部品に関してはほぼ1社が専売事業を営む独占企業が誕生し、生産から価格設定、さらに輸出政策に至るまでの全てが労働協約によって左右されるようになり、スイスの時計産業は次第にカルテルと化していったのです。
この戦略で世界の競合相手を短時間で追い抜くことに成功したこともあり、スイス政府は時計メーカーを独占禁止法違反で罪に問うどころか、談合を世界に対抗するための有効な手段として積極的にサポートしていました。
こうした国の全面的なバックアップもあって、スイスの時計産業は2度にわたる世界大戦や経済危機にもかかわらず、20世紀の前半に再び急成長を遂げ、業界を支配する地位を確立したのです。
欧米の時計産業を廃業に追い込んだクオーツショック
世界中で「時計と言えばスイス」というイメージが定着し、もはやスイスの時計メーカーに敵う者はいないと思われた20世紀後半に突入した直後、なんと時計業界を一変させる出来事が巻き起こります。
それは1920年代頃の時計の電子化に始まり、1960年代に本格的な製品化が実現したクオーツ腕時計の誕生でした。
世界で初めてクオーツ時計を世に送り出したのはアメリカのベル研究所(Bell Laboratories)で、その後ヨーロッパ各国でそれぞれ技術的に進化したものが市場に出始めるも、機械式時計に比べると非常に正確性の高いものだったが故に、測定器など研究機関向けの道具としての利用が主だったのです。
スイスでも半導体技術ならびに同期電動機を用いて携帯可能なサイズのクオーツ時計の開発に成功しましたが、当時その将来性を信じていた者は殆どいませんでした。
それに対して今まで時計メーカーとして大きな遅れを取っており、その存在も殆ど知られていなかった新たな企業が1969年に世界初となる一般消費者向けのクオーツウォッチの販売を開始し、スイスをも追い抜いて世界一の時計生産数を誇ることになったのです。
その新たな企業とは皆様もよくご存知である日本のセイコー(SEIKO)でした。
セイコーは他国のメーカーと違って、クオーツ時計の可能性に賭け、最初から量産化体制を整備していたことで、需要の急増にいち早く対応することができたのです。
その結果、セイコーは瞬く間に時計市場を手中に収め、欧米の時計産業に壊滅的な打撃を与えて、それらの大半を廃業に追い込みました。
スイスの時計メーカーもまたこの日本からの新たな強敵によって致命的なダメージを受けましたが、日本が合理的な生産を行い、集中したマーケティング戦略によって世界のトップに登り詰めたことを見て、自らの組織を再編し、製造環境を再構築する決意をします。
以前まで部品の製造と組み立てから仕上げ、ならびに輸出と販売までの全工程を自社で行っていたスイスの時計メーカーの大多数はアジアで生産された部品を購入し、組み立て作業を専門業者に業務委託して、自身は最後の品質管理と販売のみに専念することにしました。さらに、それらの事業を一括管理すべく、時計カルテルの主要メンバーであったASUAGとSSIHを合併させ、Société de Microélectronique et d’Horlogerie(SMH)を新たに設立したのです。
スイスの時計産業を再興させた「スウォッチ」
組織を再編し、生産システムを根本的に変えたスイスの時計産業でしたが、セイコーという日本の強敵に立ち向かうためには、決定的な競争力が不可欠でした。
そこで、元々スイスの大手メーカーを合併してSMH社を誕生させた立役者でもあった経営コンサルタントのニコラス・ハイエク(Nicolas Hayek)が画期的なアイデアで新たな市場の開拓を試みました。
ハイエクは構成部品を極端に減らすことによってコストを削減すると同時に量産しやすい構造を考案した他、今まで主に実用的な道具であった時計に対して持ち主の個性を表現するファッションアイテムといった全く新しい要素を加えたのです。
このコンセプトを基に長年培ってきたスイスの時計メーカーの高い技術力を活かして、高品質な商品でありながらも僅か数千円の価格で購入できる、クオーツ時計ブランド「スウォッチ」(Swatch)を立ち上げ、時計業界に革命を引き起こしました。
さらに、巧妙なマーケティング戦略を通じてスウォッチをアクセサリーのように気分や季節、時代の流行に応じて使い分けることを促し、ロングセラー商品を生み出す代わりに、頻繁に新モデルを開発して豊富な製品ラインナップで販促を図ったのです。
この戦略によってスイスの時計は飛ぶように売れて、多くのメーカーは廃業の危機を免れただけでなく、スイスの時計産業そのものを再興する追い風が吹きました。また、元々スイス時計の強みでもあった部品の手造り加工と宝飾技術における百年以上の経験と知恵を再びビジネスチャンスに変えるべく、老舗メーカーを中心に機械式時計の復活を始めます。
機械式時計は電子時計に比べて精度が劣ることから、クオーツウォッチの普及に伴い衰退傾向にあったのですが、ムーブメントの機構や素材に先端技術を応用することで昔ながらの味わいを残しつつ、新たな付加価値を持たせて高級嗜好品として蘇らせたのです。
したがって、スイスの時計産業は20世紀の終わりには、一方でスウォッチを軸に安価な使い捨て時計、他方で機械式時計を進化させたラグジュアリー時計を展開していくことになりました。
スイス時計の今
2010年の統計によると全世界で12億個の時計が販売され、そのうちの11億個以上が中国や香港で製造されたアジア製で、スイスで作られた時計はたったの2620万個に過ぎなかったとの数字が出ていました。
ただし、輸出販売による売上高に関しては5割以上がスイス時計によるものであったことから、現在の時計業界は完全にアジア勢が支配しているものの、最も利益を上げているのはスイス製の時計であるのが窺えます。
つまり、スイスの時計産業の生産量は以前に比べてかなり減少しているのですが、その殆どが上位の価格帯で取引されている高級時計ということになるのです1。
また、同じ2010年時点でスイスでは約600の企業が時計製造業者として登録されていましたので、国内では機械工業と化学工業に並んで今でも輸出経済を支えている重要な柱であると言えます。
そんなスイスの時計メーカーの中には既に申し上げた「スウォッチ」(Swatch)を始め、「インターナショナル・ウォッチ・カンパニー」(IWC)、「オメガ」(Omega)、「ロレックス」(Rolex)、「ロンジン」(Longines)、「タグ・ホイヤー」(TAG Heuer)、「ブライトリング」(Breitling)、「ウブロ」(Hublot)、「ピアジェ」(Piaget)、「パテック・フィリップ」(Patek Philippe)や「フランク・ミュラー」(Franck Muller)など皆様も必ず聞いたことのある世界各国の都市に店舗を持つブランドの数々の他、自ら工房を構えて個人事業で時計製造を行う職人も大勢います。
特に後者に関してはデザインから組み立てを現在も手作業で行い、ダイヤモンドや金などで豪華な装飾を施している一点物を製造していることから、スイスが得意とする高級時計分野の要です。
さらに、国内外を問わず、オリンピック・パラリンピックなど多くのスポーツ競技や大会において時間測定に使用される時計を提供しているのもまたスイスの様々な時計ブランドであり、数百年にわたって正確性や品質の面で積み上げてきた実績には現在も厚い信頼が寄せられているのが分かります。
さて、随分と長い話になってしまいましたが、これで皆様もスイス時計の全容およびスイスが何故、世界一の時計王国と謳われているのかをご理解できたのではないでしょうか?
その傍ら、日本の企業が時計業界そのものの常識を覆し、欧米諸国を圧倒して「世界のセイコー」と称されるまでに至った功績も非常に興味深いですよね?
したがって、今回の記事を通して、スイス時計に関する視野が広がったと同時に、日本の時計もまだまだ捨てたもんじゃないと感じていただけたのであれば幸いです。
とはいえ、大半の方にとって時計は所詮実用品もしくは自分を引き立たせてくれるアクセサリーと認識されていると思いますので、皆様にはこれからも製造国などをあまり気にせずにそれぞれの趣向に応じて時計をご愛用していただければと存じます。
もちろん、皆様がその際にスイス時計をチョイスしてくださるのであれば個人的に大変喜ばしいのですが、少し前に真っ昼間の銀座で起きたロレックスの強盗事件でも分かるように、盗難品や偽造品も横行しておりますので、そういった犯罪行為にだけは加担しないよう、くれぐれもご注意ください。
では
Bis zum nöchschte mal!
Birewegge
1出典:スイス歴史辞典:時計産業:https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/013976/2020-08-11/
今回の対訳用語集
日本語 | 標準ドイツ語 | スイスドイツ語 |
時計 | Uhr
(ウアー) |
Uhr
(ウール) |
天文学 | Astronomie
(アストロノミー) |
Aschtronomii
(アシュトロノミー) |
駆動装置 | Antrieb
(アントリープ) |
Aatriib
(アートリープ) |
機械式時計 | mechanische Uhr
(メヒャーニシェ・ウアー) |
mechanischi Uhr
(メハニシ・ウール) |
懐中時計 | Taschenuhr
(タッシェンウアー) |
Täschenuhr
(テッシェンウール) |
分業体制 | Arbeitsteilung
(アーバイツタイルング) |
Arbetsteilig
(アルベツタイリク) |
監督役 | Aufseher
(アウフセーアー) |
Uufseher
(ウーフセーエル) |
時計仕掛け | Uhrwerk
(ウアーヴェアク) |
Uhrwerch
(ウールヴェルフ) |
談合 | Absprache
(アプシュプラーヘ) |
Abschprach
(アプシュプラーハ) |
測定器 | Messgerät
(メスゲレート) |
Mässgrät
(メスグレート) |
参考ホームページ
スイス外務省:スイス時計
https://www.eda.admin.ch/aboutswitzerland/de/home/dossiers/einleitung—schweizer-uhren.html
スイス歴史辞典:時計産業
https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/013976/2020-08-11/
スウォッチ・グループオフィシャルサイト
https://www.swatchgroup.com/de
IWCオフィシャルサイト
https://www.iwc.com/de/home.html
オメガオフィシャルサイト
https://www.omegawatches.com/de-de/
ロレックスオフィシャルサイト
ロンジンオフィシャルサイト
タグ・ホイヤーオフィシャルサイト
https://www.tagheuer.com/de/de/zeitmesser/entdecken/uhren-fur-herren/
ブライトリングオフィシャルサイト
https://www.breitling.com/de-de/
ウブロオフィシャルサイト
ピアジェオフィシャルサイト
https://www.piaget.com/de-de/watches
パテック・フィリップオフィシャルサイト
フランク・ミュラーオフィシャルサイト
スイス生まれスイス育ち。チューリッヒ大学卒業後、日本を訪れた際に心を打たれ、日本に移住。趣味は観光地巡りとグルメツアー。好きな食べ物はラーメンとスイーツ。「ちょっと知りたいスイス」のブログを担当することになり、スイスの魅力をお伝えできればと思っておりますので皆様のご感想やご意見などをいただければ嬉しいです。
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