言語圏の境目に建つ都市フリブール

 

過去の記事でも申し上げたことがあるので既にご存知だと思いますが、スイスにはそれぞれの言語圏を有する4つの公用語があります。

そのため、本ブログでは特定の言語圏をえこひいきせず、なるべく全ての言語圏を採り上げるようにしています。

特に名所に関してはドイツ語圏だけでなく、フランス語圏やイタリア語圏の都市もご紹介していますし、他の記事においてもそういったバランスを考慮し、可能な限り4つの言語圏に言及してきました。

しかし、言語とはそれを話す人間によって形を変え、空間的にも移動することから、言語圏もまた一定不変なものではありません。

現にスイスでは言語圏が時間の経過とともに複雑に入り乱れて、今となってはそれらの境界線がはっきりしない地域が多々あります。

しかも、その中にはなんとひとつの市町村で2つの異なる言語を使用するという、日本人からしてみればおそらく想像もできない珍しいケースまで存在します。

したがって、今回はそんな言語圏の境目に建っている代表例としてフリブール州(Canton de FribourgまたはKanton Freiburg)の州都フリブールをご紹介させていただきます。

 

時代の変化に対応し、上手く立ち回ってきた「自由都市」

 

スイス西部のほぼ真ん中に位置するフリブールでは新石器時代から人が住んでいたことが知られていますが、地形が河川侵食によって形成された高台で孤立しており、生活や交通の観点から比較的不便な場所だったこともあって、継続的に居住地として利用されてきた痕跡はありません。

これはローマ時代や中世前期も同様だった一方、中世後期に入ると逆にその土地の要衝としての価値が注目されるようになり、スイス西部を治めていたツェーリンゲン家のベルヒトルト4世(Berchtold IV. von Zähringenによって1157年に要塞都市が築かれました。

ベルヒトルトは創建当初から住民に多くの自由と権限を与えたため、その町を「自由な都市」を意味する「フリボール」(Fribor)と名付けたのが現在の地名の由来です。

したがって、フリブールはツェーリンゲン家の所有領でありながらも初めから市民を市政の中心に置く都市国家でした。

また、1218年に同家が途絶えてその所有権がキーブルク家(Kyburger)に渡ってからもその体制は維持されましたが、1277年にハプスブルク家がフリブールを取得したことで今後の見通しが徐々に不透明になりつつありました。

そこで、フリブールは様々な都市と同盟を結び、周辺地域の購入を通じてその独立性を固めようとしたのです。

そして、その予想は見事的中し、ハプスブルク領であるフリブールは西からサヴォイア公国、東からはアイトゲノッセンシャフトに加盟したベルン(Bern)に挟まれ、どちらから攻められてもおかしくない状況にありました。

最悪の事態を避けたかったフリブールは1452年に自らサヴォイア公国の傘下に加わったものの、サヴォイア家はとてつもない勢いで進撃してきたベルンに撤退を余儀なくされ、わずか25年でフリブールを手放しました。

こうして、再び都市国家となったフリブールはその直後の1478年に帝国直轄領および帝国自由都市に指定され、継続的な安定を求めて1481年に9番目の州としてアイトゲノッセンシャフトに加盟します。

加盟後は特にベルンとともに拡張政策に乗り出し、領土の拡大によって現在の州の原型を作りましたが、宗教改革においてはむしろベルンに対抗するカトリックの牙城となり、対抗宗教改革を積極的に支持する側にいました。

 

断崖の上下に建つユニークな古都

 

12世紀に都市国家を確立していたことからも分かるように、フリブールはスイスのみならず、ヨーロッパでも長い歴史を誇る古都のひとつです。しかも、12世紀に誕生した高台の市街地には今も創建当初の街並みが色濃く残っている他、町の繁栄とともに13~15世紀にかけてそれを覆うように増築された地区もその趣を殆ど変えずに保っています。

そのため、フリブールは中世の建造物が非常に多く、極めて良好な状態で現存することで国内外から高い評価を受けており、全体的にゴシック様式を帯びた美しい旧市街とそれによって生み出される中世に戻ったかの如く雰囲気が味わえる場所として有名です。

これだけでも一度は訪れてみたい都市と言えますが、フリブールにはさらにもうひとつの魅力があります。それは長い時を経て自然が作り上げた険しい地形を利用した町の構造です。

前出の通り、フリブールは元々防衛しやすい要素を重視し、あえて断崖の上に建てられ、その後徐々に崖の下にまで広がっていったので、当該市は大きく分けて高台に位置する上町と断崖を降りたところにある下町から構成されています。

それ故、旧市街だけでなんと90メートルほどの標高差があって、自動車での通行が不可能なだけでなく、徒歩での移動もかなり大変な坂道が多いのがフリブールの大きな特徴です。

また、旧市街は全域に中世色が漂って一体感があるように感じられるものの、実は上町と下町には構造上の根本的な違いがあります。

というのも、上町に関しては断崖の大部分がうねりくねった川に囲まれており、スペースに限りがあるため、家と家の間隔や道幅が非常に狭く、省スペースでも生活空間を最大限に活かす地下階付きの高層住宅が密集しています。

それに対して下町は空間的な制限がさほどないので、丘を下るに連れて高さよりも横幅のある住宅が大半を占め、道路にも余裕があるといった対照的な作りになっているのが興味深いです。

つまり、フリブールは歴史のロマンに溢れていると同時に内容的にもバラエティーに富んだ旧市街を持っているのです。

 

 

上下が対照的なフリブールの旧市街:手前が断崖の上に建つ高層住宅と狭い路地が特徴的な上町で、奥の両岸に跨る家屋も道路に余裕を持たせた構造を有するのが下町

 

 

「橋の町」の異名を持つ都市

 

旧市街以外にフリブールを語る上で忘れてはいけないのが市内と市外を繋いでいる数々の橋です。

これもまたその珍しい地形に起因する特色ですが、孤立している「島」のような場所に位置するフリブールは鉄壁の防御を誇り、外部からの侵略を防ぎやすい一方、自給自足の生活ができず、町を築いた直後から外部との貿易が必要不可欠であるというジレンマを抱えていました。

そのため、市街地と周辺地域を結ぶ交通路、即ち川の往来を容易にする橋が極めて重要な存在だったのです。

13世紀半ばに初めて橋が架けられて以来、時代とともにその数は徐々に増え、町の繁栄と市民の生活を支える重大な役割を担ってきました。

しかも、フリブールの橋には常に革新的な技術が採用された他、それぞれの時代を反映する機能も搭載されていることから、交通インフラの建造物としてのみならず、橋梁工学的にも目を引きます。

例えば、1250年に造られ、現存する橋の中で最も古いベルン橋(Bernbrückeは町をいつでも外敵から守れるようにあえて石橋にせず、床板を取り外せる板橋として設計されたのです。

また、上町に直結しているツェーリンガー橋(Zähringerbrücke)は、自動車による市内への通行を可能にしてフリブールのアクセス性を一変させただけでなく、1834年に完成した当初は世界最長の吊り橋だったこともあり、国内外から多くの観光客やそれを題材にする画家を惹きつけるランドマークでした。

さらに、1862年建造のグランフェイ陸橋(Grandfey-Viadukt)はそれまで鉄道が走っていなかったフリブールをスイス連邦鉄道網に接続させた他、橋を架けるのが絶対に不可能と言われていた地溝帯の上に造られたという実績によってスイスの橋梁技術が諸外国でも知られるきっかけとなったのです。

このように、フリブールの橋は交通、経済、観光などあらゆる面で町の発展に欠かせない存在であると同時に、当該市が世界に誇る構築物でもあります。

当然ながら市民もそれらの価値を高く評価しており、フリブールを自ら「橋の町」と称して外部に発信しているほどです。

そして、その伝統を引き継ぐかのように、2014年には市内交通を緩和する目的で建設が開始されたポヤ橋(Poyabrücke)が新たに開通し、全長851メートルでスイス最長の斜張橋としてその名を歴史に刻みました。

 

2014年に開通したスイス最長の斜張橋であるポヤ橋

 

フランス語とドイツ語が混在する2カ国語都市

 

冒頭でも述べたように、フリブールの最大の特徴はなんと言っても同じ町に2つの異なる言語が混在していることです。過去の記事で「レーシュティグラーベン」(Röschtigrabenについて触れたことを覚えている方もいらっしゃると思いますが、フリブール市はちょうどその「溝」に当たり、西のフランス語圏と東のドイツ語圏を分ける境界線となっています。

それ故、フリブールはフライブルク(Freiburg)というドイツ語名も持っており、誕生以来ずっとドイツ語とフランス語を喋る住民が共生する2カ国語都市でした。

市内を歩くと、町の至る所で仏独が併記されている標識や看板を目にし、フリブールがまさに2つの言語圏が交差している場所であることを実感できます。

当然ながらそこで生活する市民はどちらの言語にも精通しており、ほぼ全員がフランス語でもドイツ語でもコミュニケーションが取れるバイリンガルなのです。

また、こういった状況があまりにも当たり前になっているせいか、特に下町ではフランス語とドイツ語を巧みに操り、日常会話でそれらをごっちゃ混ぜにした混合言語を使う住民を頻繁に見かけます。

しかも、これはフリブール市が2カ国語教育を行ってきたことに起因するのではなく、この土地特有の環境で育ち、生活していく中で市民が独自に身に付けた結果であるのが驚きです。

むしろ、教育に関してはそれぞれの学校がフランス語とドイツ語のどちらかのみで授業を行うため、バイリンガルの育成に取り組んでいないものの、同じ町で異なる言語で教育を提供しているだけでもそれを推進する基盤が十分構築されていると言えます。

そして、中にはフリブールの特異性を活かすべく、積極的に2カ国語教育を行っている学校も少なからず存在します。

その代表例であるのが、全ての講義を仏独の両言語で受けられ、全課程をフランス語とドイツ語で卒業できるスイスで唯一の2カ国語大学としても知られているフリブール大学(Université de FribourgまたはUniversität Freiburg)です。このように、フリブールには2つの言語が入り乱れている場所ならではの様々な風習や制度が存在し、日本をはじめ、多くの国と地域では考えられない不思議な状況が見受けられます。

 

2カ国語都市ならではの光景: フランス語名(フリブール)とドイツ語名(フライブルク)が併記されている駅名標(写真:Alain Rouiller、CC BY-SA 2.0

 

今回は言語圏の境目に建つフリブールのご紹介でしたが、皆様はどのような印象を受けましたか?

日本にも標準語以外に琉球言語やアイヌ語が存在するものの、フリブールのようにそれらが公用語として共生しており、生活のあらゆる分野で隣り合わせになっている例はありませんので、やはり2つの言語が混在する都市の実態が気になる方も多いと思います。

しかし、上記でご説明した通り、フリブールは歴史的古都であり、橋の町とも呼ばれているだけあって、他にも色々な魅力を持つ場所です。

また、近辺には数々の山や湖が点在し、自然も充実していることから、ハイキング好きの方の間でも高い人気を誇り、レジャー目的で訪れる旅行者も少なくありません。

したがって、フリブールは2カ国語都市であると同時に様々な趣味を堪能できる観光地としても高い評価を受けていますので、スイスで必ず訪問すべき都市のひとつに数えられます。

そういう意味で皆様にも是非一度フリブールを見ていただきたいと存じますので、機会がある方は必ず立ち寄ってみてください。

では

Bis zum nöchschte mal!

Birewegge

 


今回の対訳用語集

日本語 標準ドイツ語 スイスドイツ語
空間的 räumlich

(ロイムリッヒ)

rüümlich

(リュームリフ)

対抗宗教改革 Gegenreformation

(ゲーゲンレフォアマツィオーン)

Gägereformation

(ゲゲレフォルマツィオーン)

増築する erweitern

(エアヴァイターン)

erwiitere

(エルヴィーテレ)

徒歩で zu Fuß

(ツ・フース)

z’Fuess

(ツフエス)

Insel

(インゼル)

Insle

(インスレ)

自給自足 Selbstversogung

(セルプストフェアソアグング)

Sälbschtversogig

(セルプシュトフェルソルギク)

石橋 Steinbrücke

(シュタインブリュッケ)

Schteibrugg

(シュタイブルック)

教育 Bildung

(ビルドゥング)

Bildig

(ビルディク)

特異性 Besonderheit

(ベソンダーハイト)

Bsunderheit

(プスンデルハイト)

境目 Grenze

(グレンツェ)

Gränzi

(グレンツィ)

 


参考ホームページ

フリブール市オフィシャルサイト

https://www.ville-fribourg.ch/de

フリブール市観光局オフィシャルサイト

https://www.fribourgtourisme.ch/de/

公益社団法人フリブール観光協会オフィシャルサイト

https://www.fribourgregion.ch/de/Z7623/home-about-us

スイス歴史辞典:フリブール市

https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/000953/2010-02-04/

スイス歴史辞典:フリブール州

https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/007379/2017-05-30/

 

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