オーストリアと君主制

Schmankerlさんのブログシリーズ『ちょっと気になるオーストリア』ですが、Schmankerlさんには今後はドイツ語で執筆していただくことなり、今回はその第1号のオリジナルドイツ語版を当アカデミーにて日本語に翻訳した翻訳文を掲載しております。あらかじめご了承くださいませ。なお、Schmankerlさんのオリジナルドイツ語版はこちらよりご覧いただけます

 

オーストリアは、皇帝がいなくなってから既に100年以上も経っていますが、今でも何らかの形で君主制時代の華やかさや絢爛さを残しています。特に、歴史的に帝室と深い関わりを持つウィーンのような都市では、君主制時代の霊のようなものを如実に感じることができます。

それは、コーヒーハウスの店内に漂い、辻馬車に乗って街中を安閑と巡り、そして舞踏会シーズンになるとダンスホールからダンスホールへと思いのままに踊り回ります。

オーストリアの国家元首である連邦大統領も、最新のモダンな建物ではなく、ハプスブルク家時代のホーフブルク宮殿に公邸を有しています。
ひょっとすると、これは私たちの文化やこの国の歴史への敬意を表現しているに過ぎないのかもしれません。

他にも同じように、かつての統治者たちの豪華絢爛な建築物を庁舎等に利用している町も多いですし、ドイツの連邦大統領だってかつての宮殿を官邸にしています。

しかし、私自身は、君主制と、君主制時代の記憶は、オーストリアの人々の心の中や暮らしの中で、特別な存在として息づいていると感じています。きっとそれはオーストリアが、君主制の時代、中央ヨーロッパに位置する小国であったのではなく、大きな意義を持った大帝国であったからだと思います。

 

k. u. k(皇帝と国王の二重君主国):オーストリア=ハンガリー帝国

 

オーストリア人の多くは、「君主制(Monarchie)」という言葉を聞くと、ある特定の時代、つまり1867〜1918年のオーストリア=ハンガリー帝国(Österreichisch-Ungarische Monarchieの時代を思い浮かべます。
この帝国は「k.u.k二重君主国」(kaiserliche und königliche Doppelmonarchie=皇帝と国王の二重君主国)とも呼ばれます。つまり皇帝は、オーストリアの皇帝であると同時に、ハンガリーの国王でもありました。

ところで、日本ではÖsterreichisch-Ungarische Monarchieを「オーストリア=ハンガリー帝国」とか「二重帝国」と呼んでいるようですが、実はこの訳語にはちょっとした間違いがあります。ハンガリーは国王を君主とする王国であり、オーストリアのように皇帝を君主とする帝国ではありません。ですので、王国と帝国の2国が連合したあとの国家を「二重帝国」と呼ぶのはおかしな表現です。オーストリア皇帝がハンガリー国王を兼ねたので「二重君主国」と呼ばれたのです。ですから正確には「オーストリア=ハンガリー君主国」とか「二重君主国」と訳すのが正しいでしょう。でも、「帝国」と呼んだほうが力強い印象を与えるので敢えてそう訳したのかもしれませんね。

 

この時代は信じられないほどの栄華と繁栄を極めたのですが、その中心にいたのが皇帝フランツ・ヨーゼフ1世でした。

オーストリアにおいてフランツ・ヨーゼフ1世はおそらく最も著名な皇帝(カイザー)でしょう。

というのも、ヨーゼフ1世は(映画やミュージカルに登場する)かの有名なエリザベート皇后の夫であったことに加えて、彼自身の写真や映像も多数残されているからです。

 

オーストリアの人々は、オーストリアにおける他のどの支配者よりもヨーゼフ1世のことを良く知っています。

彼の治世中にウィーンの街は大改造されたので、街のシンボルはこの時代のものが多く残されています。議会やリングシュトラーセ(Ringstraße)と呼ばれる環状通りなどがその例です。

 

また当時の栄誉であったオーストリア=ハンガリー帝国帝室・王室御用達」の称号を屋号に残しているお店も現存しています。とくに、当時の「宮廷御用達の菓子店」(Hofzuckerbäcker)であるデメル(Demel)とツァウナー(Zauner)が有名でしょう。

(https://www.demel.com/de, https://www.zauner.at).

ザルツカンマーグートにあるバート・イシュルという街では、毎年8月に皇帝ヨーゼフ1世の生誕記念を祝うイベントが開かれています。

フランツ・ヨーゼフ1世が、オーストリア最後の皇帝というわけでもないのにです(最後の皇帝は、1918年に強制的に退位させられたカール1世)。それどころか、小規模ながらもオーストリア帝国の復活を切望して活動するグループさえあります。

 

Wir sind Kaiser(余は皇帝である)

 

風刺とカバレットは、オーストリアの文化の重要な礎石です。私は、このテーマについては、ぜひとも一度、別立ての記事としてブログを書かなければいけないと思っています。と言いますのも「ユーモア」はオーストリアには欠かせないものだからです。ユーモアとは、物事をあまり正面から真面目にとらえず、すべて笑いやからかいのネタにしてしまう精神です。

 

2007年には、「Wir sind Kaiser」(余は皇帝である)というタイトルの風刺的なトークショーがスタートしました。コメディアンのローベルト・パルフラーダー(Robert -Palfrader)が、架空の皇帝ローベルト・ハインリヒ1世(Kaiser Robert Heinrich I.)を演じています。

オーストリアを不幸から導くための神の恩寵による皇帝となったローベルト・ハインリヒ1世はこのショーをスタートするにあたり自身について次のように述べています。

「余は、質問に対するオーストリアの答えなのである。誰も尋ねていない質問のね。。。」

 

皇帝ローベルト・ハインリヒ1世は、オーストリア皇帝ならではの性格や特徴を誇張表現した一種の風刺像です。彼の尊大で、高慢ちきで、そして無遠慮な態度は、まさに、多くの人がオーストリア皇帝に対して抱くイメージそのものです。

赤と黄金色に包まれた豪華な玉座の間のセット、皇帝のコスチュームそして彼が話す様は、オーストリア人であれば誰もがそうそうと頷けるものばかりですね。

「皇帝」を演じるに当たり、ローベルト・パルフラーダーは、自らを指す際には一貫してそれらしくMajestic Pluralつまり「尊厳の複数形」を使用しています。つまり自身を指す場合は、一人称単数の「Ich」(私)ではなく、「Wir」(我々)という一人称複数を使用します(wirが「余は」の意味となります)。

そして、トークショーに招かれたゲストには二人称単数である「Sie」(あなた)や「du」(きみ)ではなく三人称単数の「er」(彼)または「sie」(彼女)を使って話しかけているので(erやsieが「そなた」の意味となります)、ゲストが困惑することも多々あります。

皇帝に「謁見」を許されるゲストは、オーストリアや周辺のドイツ語圏の著名人だけに留まらず、政治家も含まれますが、彼らは皇帝に思い切りいじられて散々な目に遭わされることもあります。

しかしこの番組が成功しそして人気長寿番組となっていることは、取りも直さず帝国時代の君主制がオーストリアの一般社会の中で、いまだに大きな反響を呼ぶことを表していると言えるでしょう。

ショーの観客にとって、皇帝ローベルト・ハインリヒ1世は、ただの怪しい装いの人物ではありません。観客は皇帝を理解し、そして皇帝はオーストリアの何か本質的なものを体現しているのでしょう。

 

スペシャル版としていくつかのエピソードがまとめられた動画をご紹介しますので、下記のyou tubeのサイトから試しに視聴をしてみてください!

Wir sind Kaiser: Die Seyffenstein Chroniken – des Kaisers vergessene Untertanen (https://www.youtube.com/watch?v=AweG80s3BlU)

 

カイザーシュマレン

 

オーストリア=ハンガリー帝国の存在はオーストリアの料理文化にも大きな影響を残しています。先ほど「オーストリア=ハンガリー帝国帝室・王室御用達」を例にお話したように、帝国時代に由来する伝統的なお店や料理が多く存在しています。

またオーストリアでは、朝食にはドイツで良く聞くブレートヒェン(Brötchen)と呼ばれる小型パンではなく、表面に皇帝(カイザー)を表す王冠模様があるカイザーゼンメルン(Kaisersemmeln)と呼ばれる小型パンを食べます。

そして、オーストリア帝国を語る上で欠かせないのが、なんといっても「カイザーシュマレン」(Kaiserschmarrn)です!

 

「シュマレン」というのは、オーストリア料理の1つで、調理中に生地などの塊を小さくちぎり、混ぜ合わせたものを言います。

シュマレンはたいてい甘く味付けされるので、古典的な小麦粉料理と云えます。「シュマレン」というこのオーストリア特有の言葉は、あらゆる種類の甘い料理、焼き菓子、ケーキなどを意味し、これらはメイン料理としてもデザートとしても食べられます。

なかでも一番有名なのが「カイザーシュマレン」でしょう。

カイザーシュマレンという名前の由来はカイザー(皇帝)フランツ・ヨーゼフ1世に関係すると言われていますが、この名前がどのような経緯を辿って付けられたのかについては様々な逸話があります。カイザーシュマレンは、既に帝国時代にとても人気のある食べ物だったようです。

カイザーシュマレンを調理するためのレシピやバリエーションは数千あると言われていますが、簡単にフライパンやオーブンで焼くだけでも良し、あるいはカイザーシュマレンをキャラメリゼしたり、レーズンを入れてもOKです。最近ではビーガン用のレシピもあります。

多彩なアレンジレシピがあることからも、カイザーシュマレンがいかに昔から広く親しまれてきたかが分かりますね。

 

この記事を読んで「カイザーシュマレンを作ってみたい・・!」と思われた方がいれば、オーストリアのレシピサイトにある簡単なレシピをおすすめします。

私はこのレシピでカイザーシュマレンを作って失敗したことがなく、いつも美味しく作ることができています!ぜひお試しくださいね。

■Kaiserschmarrn – Rezept (gutekueche.at).

 

 

実際、カイザーシュマレンはとても簡単に作ることができます。基本の生地は、フランスのクレープにそっくりな料理であるパラチンケンの生地によく似ていて、小麦粉、卵、牛乳でできています。ですが、カイザーシュマレンの生地は、パラチンケンのように薄く伸ばすわけではないので、もう少しねっとりしていた方が良いでしょう。

特にふわふわなカイザーシュマレンを作りたいときには、卵を黄身と白身に分けて、泡立てた卵白を最後に生地に、気泡がつぶれないようにさっくりと混ぜ込みます。

既にお話したようにレーズンを入れることもありますが、個人的にはこれは邪道だと思っています・・・。一番のおすすめは、粉砂糖をふりかけただけのものか、あとは砂糖と一緒に煮詰めたプラムのコンポートやリンゴムースを添えて食べるのも美味しいです。

 

カイザーシュマレンは、食後のデザートとして食べることができますが、必ずしもそうである必要はありません。

オーストリアでは、伝統的に甘い料理をメインの食事として食べる習慣があります。

パラチンケンや、ポヴィドルというプラムムースが詰められた発酵生地でできた大きな団子状のGermknödel(ゲルムクヌーデル)といったものは、今日でも時々昼食や夕食として食べられています。

私の祖父母の家でも、暑い夏の日には昼食としてイチゴやブルーベリーと一緒にシュマレンがよく出ました。

 

実は、「シュマレン」は食べ物を指すだけでなく、この言葉にはオーストリア語で「馬鹿げたこと」「くだらないこと」という意味もあります。例えば「バカなこと言わないで(Erzähl keinen Unsinn)」は、オーストリアでは「Red‘ keinen Schmarrn」(シュマレンなこと言わないで)となります。また「なんてくだらない文章を書いてしまったんだろう」と嘆きたい場合は、「Was habe ich da für einen Schmarrn zusammengeschrieben?」(なんてシュマレンなものを書き上げてしまったのだろう?)と表現することができます。

 

さて、この投げかけの台詞をもって、オーストリアと君主制についての私のブログを終えたいと思いますが、最後の締めくくりとして、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世より皇帝の口癖であった定番の謝辞を賜りたいと思います。

Es war sehr schön, es hat mich sehr gefreut.

大変素晴らしかった、余はとても嬉しかったぞよ

 


übersetzt von Transeuro Academy

ドイツ語原文記事はこちらからお読みいただけます:Österreich und die Monarchie

 

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