スイス連邦の標語の起源となった人物ヴィンケルリート
目次
かなり前になりますが、過去にスイス建国の英雄ヴィルヘルム・テル(Wilhelm Tell)をご紹介したことを覚えていますでしょうか?
その際にご説明したように、テルはスイスと言う国を設立した人物ではなく、ハプスブルク家からの独立を決意したアイトゲノッセンシャフト結成のきっかけを作ったとされている人です。
つまり、テルはスイスの建国に直接関与していませんし、そもそもスイスは長い時を経て数多くの人の犠牲と努力によって誕生したので、スイス史におけるキーパーソンのひとりに過ぎません。
そして、そのキーパーソンの中にはテル以上にハプスブルク家からの独立に貢献し、その存在なくしてはスイスの建国はありえなかったとされる人物がいます。
日本でその名前を耳にすることはまずありませんが、スイス人にとっては国民的英雄であるため、今回はそんなスイスを知る上で欠かせない存在とも言えるアルノルト・フォン・ヴィンケルリート(Arnold von Winkelried)をご紹介させていただきます。
リュトリ盟約からモルガルテンの戦い、そしてセンパッハの戦いへ
ヴィンケルリートがどのような人物であったかを理解するためには、彼が生きた時代の背景を把握する必要があるので、簡単に当時の状況についてご説明したいと思います。
ご存知の通り、スイス連邦の起源は1291年8月のリュトリ盟約(Rütlischwur)によって誕生したアイトゲノッセンシャフトですが、これは正確にいうと反乱を引き起こすことを決断した住民の意志に過ぎず、独立宣言そのものではありませんでした。
そのため、アイトゲノッセンの地域を領主として治めていたハプスブルク家も当初はそれを脅威と感じておらず、対策を講じることもなかったのです。
しかし、アイトゲノッセンがハプスブルク家直属の貴族の居城を破壊し、自ら自由の身であることを主張したことで、ハプスブルク家はそれを反逆行為と見なして武力による制圧に乗り出します。
そして、1315年11月15日にツーク州(Kanton Zug)東部のモルガルテン(Morgarten)でアイトゲノッセンシャフトの原三州とハプスブルク軍による決戦を迎えたのです。
ハプスブルク軍は騎馬隊で先制攻撃を仕掛けたのですが、結果的に山の地形を上手く活かし、接近戦に持ち込んだアイトゲノッセンが勝利を収めることになりました。
この屈辱的とも言える大敗によってハプスブルク家は原三州の制圧を一旦断念し、オーストリア近辺での領土拡大に専念しますが、それでも自身の所有領を諦めきれなかったせいか、その後も数十年にわたってアイトゲノッセンと領土争いを繰り広げます。
時間が経過するに連れてアイトゲノッセンの勢いは増し、隣接する地域まで次々と手中に収め始めたことから、ハプスブルク家はこれ以上勝手な真似をさせまいと、それらを一気に叩き潰すことにしたのです。
様々な国と地域から錚々たる貴族たちを集めて大軍を編成し、万全な体制を整えたハプスブルク家はやがて1386年7月9日に現ルツェルン州(Kanton Luzern)の北部に位置するセンパッハ(Sempach)で攻撃を待ち構えていたアイトゲノッセンと衝突することになりました。
この戦いではまたしてもアイトゲノッセンが勝ったのですが、戦場ではかなりの苦戦を強いられ、ある人物の働きがなければ勝利は掴めなかったと言われています。その人物こそがアルノルト・フォン・ヴィンケルリートだったのです。
勝利への道を切り開いた無双の勇士
アイトゲノッセンは全員でひとつの大きな集団を形成して、ハルバードや戦斧で敵の隊列に穴を開けながら前進する戦術を基本としていたので、センパッハの戦い(Schlacht bei Sempach)においてもその戦法で挑みました。
ところが、過去の戦争でその威力を思い知ったハプスブルク軍は対抗措置として最前列にリーチのある長槍を持たせたのです。
いつものように突進していったアイトゲノッセンは当然ながら槍の餌食となっただけでなく、ハプスブルク軍は折れた槍を瞬時に補充する準備もしていたため、連続攻撃を仕掛けても敵の防御を突破することができませんでした。
ならばひとまず撤退して新たな作戦を練ろうと考えた瞬間、後方から騎馬隊が近づき、アイトゲノッセンはなんと挟み撃ちにされたのです。
進むことも引くこともできないこの絶望的な状況でアイトゲノッセンは必死にもがきましたが、誰もが敗北は時間の問題であると確信していました。
そんな中、突然アルノルト・フォン・ヴィンケルリートという名の男が声を上げ、「同志たちよ、私が皆のために道を切り開こう。妻と子を頼む。」と叫びながらなんと我が身で大量の槍を受け止める体当たり攻撃を仕掛けたのです。
これを見たアイトゲノッセンは荒れ狂う川のように、ヴィンケルリートが楯となって敵を一瞬だけ無防備にした個所に突撃し、ハプスブルク軍への猛攻を開始しました。
もはや止まることを知らないアイトゲノッセンはその勢いで敵本陣まで突き進み、ハプスブルク軍の大将レオポルト3世(Leopold III.)の首を取ってまさかの逆転勝利に成功したのです。
そして、命と引き換えにこの勝利への道を切り開いたヴィンケルリートは戦友たちから無双の勇士として称えられました。
滅私奉公の象徴
センパッハの戦いはアイトゲノッセンシャフトがその後ハプスブルク家をスイスから撤退させる流れを引き寄せたことから、スイスの独立の過程において最も重要な一戦とされています。
しかし、実際にヴィンケルリートによる自己犠牲が勝敗を分けたのかについては謎で、実在する人物であるのかも定かではありません。
というのも、決戦から90年後の1476年頃に書かれたとされる記録では、そのような勇士がいたことが記載されているものの、それが誰だったかに関しては一切触れていません。また、決戦直後の1389年の資料では同姓同名の人物が確認できますが、ニトヴァルデン州(Kanton Nidwalden)の州知事であったことが記されており、それがセンパッハの戦いの英雄であるかは不明です。
ヴィンケルリートをセンパッハの戦いとの関連で挙げている最古の文書は1533年に作成された歌で、その内容は歴史に即した事実というよりも英雄叙事詩であるため、信ぴょう性は低いとされています。
そして、同じ16世紀にはスイスの歴史学者エギディウス・チュディ(Aegidius Tschudi)が自身の歴史記述の中でヴィンケルリートを実在した人物としていますが、その根拠はやはり不透明なものです。
とはいえ、スイス人にとってヴィンケルリートが本当にいたかどうかはさほど重要ではなく、ヴィルヘルム・テルと同様にその象徴性に最大の意味があります。
何故なら、大義のために我が身を犠牲にしたヴィンケルリートの生き様は滅私奉公というアイトゲノッセンシャフトの根本的な価値観を表しているからです。
実は国外ではあまり知られていませんが、スイスはあの三銃士や最近では、世界的人気を誇る堀越耕平先生の漫画・アニメ「僕のヒーローアカデミア」に登場する「ワン・フォー・オール」と「オール・フォー・ワン」でもお馴染みの「一人が皆のために、皆が一人のために」(Unus pro omnibus, omnes pro uno)を国家の標語としており、その起源となったのが他でもなく、ヴィンケルリートがセンパッハの戦いで示した勇姿と言われています。
以上がアルノルト・フォン・ヴィンケルリートに関するご説明ですが、皆様はこの人物像をどのように感じましたか?
ヴィンケルリートの献身的精神は日本の武士と共通する点があるので、共感できる人もいる一方、旧日本軍の特攻隊が示したように、体当たり攻撃を行って命を絶つことは無残以外の何でもないと考える方もいるでしょう。
もちろん、捉え方は人によって異なりますし、他人の意見を非難するつもりもありません。
ただ、ヴィンケルリートについてご理解していただきたいのは、彼が誰かの指示を受けた訳でも、何等かの圧力に屈した訳でもなく、仲間や家族など大切な人の自由で平和な生活を守るために自身の決断でその行為に及んだことです。
というのも、ヴィンケルリートが遺した最後の言葉からも明らかであるように、国でも名誉でもなく、愛する家族への思いがその動機でした。
そして、愛おしい者とそれらの平和な暮らしが脅かされた時に自身の全てを賭けて守ると決意したからこそヴィンケルリートを英雄と呼べるのだと私は思います。
そういう意味で、皆様も本当の英雄とはいったい何なのかを改めて考えてみては如何でしょう?
また、日々皆様のために全力を尽くして、生活を支えてくれている英雄たちがいることも忘れないでくださいね。
では
Unus pro omnibus, omnes pro uno!
Birewegge
今回の対訳用語集
日本語 | 標準ドイツ語 | スイスドイツ語 |
反乱 | Aufstand
(アウフシュタント) |
Uufschtand
(ウーフシュタント) |
騎馬隊 | Reitertruppe
(ライタートゥルッペ) |
Riitertruppe
(リーテルトゥルッペ) |
屈辱的 | demütigend
(デーミューティゲント) |
demüetigend
(デーミュエティゲント) |
領土争い | Territorialstreit
(テリトリアールシュトライト) |
Territorialschtriit
(テリトリアールシュトリート) |
餌食 | Beute
(ボイテ) |
Büüti
(ビューティ) |
リーチ | Reichweite
(ライヒヴァイテ) |
Riichwiiti
(リーフヴィーティ) |
確信する | überzeugt sein
(ユーバーツォイクト・サイン) |
überzügt sii
(ユーベルツュクト・スィー) |
歴史記述 | Geschichtsschreibung
(ゲシヒツシュライブング) |
Gschichtsschriibig
(クシフツシュリービク) |
根拠 | Begründung
(ベグリュンドゥング) |
Begründig
(ベグリュンディク) |
生き様 | Lebensweise
(レーベンスヴァイゼ) |
Läbenswiis
(レベンスヴィ―ス) |
参考ホームページ
スイス歴史辞典:センパッハ戦争
https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/008871/2012-12-18/
スイス歴史辞典:アルノルト・ヴィンケルリート
https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/024437/2013-12-02/
北西スイス専門大学:ヴィンケルリート記念碑に関する学習資料
https://www.gesellschaftswissenschaften-phfhnw.ch/wp-content/uploads/2013/09/Winkelried-LK.pdf
戦場跡地に建つレストラン「決戦」:センパッハの戦い
センパッハ市オフィシャルサイト
スイス生まれスイス育ち。チューリッヒ大学卒業後、日本を訪れた際に心を打たれ、日本に移住。趣味は観光地巡りとグルメツアー。好きな食べ物はラーメンとスイーツ。「ちょっと知りたいスイス」のブログを担当することになり、スイスの魅力をお伝えできればと思っておりますので皆様のご感想やご意見などをいただければ嬉しいです。
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