スイス最西端の都市ジュネーヴ

以前、ベルンをご紹介した際にベルンが連邦都市として事実上スイスの首都であることにも触れさせていただきましたが、皆様の中には本ブログの記事を毎回読んでくれている人ばかりではないと思いますので、未だにジュネーヴがスイスの首都であると勘違いされている方もいるのではないでしょうか?

確かに、ジュネーヴはビジネスを始め、国際会議などの目的で年間を通して多くの外国人が訪問しますし、メディアでも度々その名前を見聞きすることがあります。しかも、それらがほぼ政治経済に関するものであることから、スイスに行かれたことがない人はもとより、現地を訪れた観光客でさえ、ジュネーヴが政治の中心であるかのように感じてしまいます。しかし、スイス人からすればそれはとんでもない誤解で、ジュネーヴほどスイスらしくない地域はないと主張するぐらいです。

したがって、今回は実際にどのような場所であるかを知っていただくために、ジュネーヴ州(Canton de GenèveまたはKanton Genf)の州都であるジュネーヴについてご説明させていただきます。

 

 

 

カトリック教会と貴族の支配から独立した都市共和国

 

ローヌ川(Rhône)が流れ出るレマン湖の南西端に位置するジュネーヴの地名はケルト語で河口を指すと思われる「ゲヌア」(Genua)に由来することから、現在の旧市街に当たる場所を定住地として利用していたケルト系民族がその起源であるとされています。

そして、紀元前2世紀には当該地域が地理的に軍事拠点として最適であることに目を付けたローマ帝国に占領され、港の設立や防衛対策の強化などの都市開発が行われました。ローマ帝国崩壊後の4世紀にはジュネーヴが司教管区となり、ほぼ同時期にブルグント王国の支配下に置かれます。

当初、ブルグント王国はジュネーヴをその首都に指定しましたが、本拠地をフランスのリヨン(Lyon)に移してからは当該地域を伯爵領として管理しました。これによってジュネーヴでは代々司教と伯爵のツートップが市政を務めてきました。しかし、この二重構造は度重なる政権争いの原因となったため、1124年にローマ教皇はジュネーヴ市に関する全支配権を司教に譲渡することを定めました。さらに、1162年には神聖ローマ帝国の皇帝であるフリードリヒ1世(Friedrich I.)がジュネーヴ司教管区を帝国直轄領に指定し、司教に帝国領主としてその地を治める特権を付与したのです。

とはいえ、今度は財政政策に失敗した司教による独裁政権に不満を抱く市民が、自治権を確立する運動を引き起こし、1387年に市議会による市政を確立させました。

また、そのおよそ150年後の1526年には、ジュネーヴの市民がベルン(Bern)およびフリブール(Fribourg)と都市同盟を結び、アイトゲノッセンの保護を受けて司教から全ての支配権を奪うことに成功します。その直後に司教が逃亡を図ったことで、市民はすぐさま帝国からの独立を宣言し、1536年にジュネーヴ共和国という名の都市国家として新たな一歩を踏み出します。

以降、ジュネーヴはその独立性を260年余り維持しますが、1798年にナポレオン政権下のフランスに併合され、新たに設置されたレマン県(Département Léman)に統合されました。しかし、この体制は僅か16年で崩れ、1814年のウィーン会議でジュネーヴをアイトゲノッセンシャフトに加入させることが決まったため、ジュネーヴは隣接するフランス領ならびに旧サヴォイア公国の一部地域と共に翌1815年に22番目の州としてスイスに加盟することになったのです。

 

国際機関が世界で2番目に多い国際都市

 

このように、ジュネーヴは数世紀にわたってアイトゲノッセンシャフトと関わりを持っていたものの、スイスの一部となったのは19世紀に入ってからのことでした。

それでも、ジュネーヴはスイスを代表する都市としての知名度が高く、既に申し上げたように、ジュネーヴがスイスの首都であると勘違いされている方もいるほどです。その主な理由はジュネーヴに数多くの国際機関が集結していることと、その関連でニュースでも頻繁に採り上げられていることにあります。

現在、ジュネーヴには赤十字国際委員会(ICRC)を始め、2022年9月7日現在でなんと計39の国際機関と432のNGOの本部もしくは事務局が置かれています1
中でも最も有名なのが、国際連合ジュネーヴ事務局(UNOG)ならびにその関連機関です。当事務局は旧国際連盟の本部として設立され、第二次世界大戦後に新たに誕生した国際連合がニューヨークに本部を置いてからは、同機関の事務局兼ヨーロッパ本部として使用されています。赤十字国際委員会はそもそもスイス発祥ですので不思議ではないのですが、国連やその他の機関がジュネーヴに集結している最大の要因はスイスが永世中立国であることに他なりません。

第一次世界大戦終了後に国際連盟が結成された際、加盟国はその本部を公平に話し合える場所に置くことが望ましいと考え、永世中立国に位置し、ジュネーヴ条約が締結されたジュネーヴが最も相応しいと判断したのが全ての始まりでした。その後、同じ理念に基づいて次々と他の機関も本部を置くようになり、ジュネーヴはニューヨークに次ぐ世界で2番目に多くの国際機関を持つ都市へと発展したのです。

また、それらの機関に勤める関係者、ならびに常時現地に駐在する外交官や各種メディアの特派員といった外国人の割合が非常に高いことから、ジュネーヴはスイス最大の国際都市でもあります。

 

国際連合ジュネーヴ事務局である「パレ・デ・ナシオン」(Palais des Nations)

 

 

商業都市ならびに金融都市の特色も併せ持つ経済の中心

 

国際色が豊かなジュネーヴですが、長い歴史の中で町の繁栄を支えてきたのは、当然ながら政治経済ではなく商業でした。

ジュネーヴの中心部を二手に分けるように流れるローヌ川はフランス南東部を南下しながらやがて地中海に出るため、この自然の水路は古くから貿易の主軸として利用されてきました。これによって、ジュネーヴでは様々な国からの商品が取引されるようになり、1260年頃からはなんと定期的に見本市も開催されるほどでした。

こうして北ヨーロッパと南ヨーロッパを繋ぐ中央市場としての役割を果たしていたジュネーヴには、多くの商人や職人が集まり、特に15世紀以降はこれに便乗して金融業も盛んになったのです。さらに、16世紀にジャン・カルヴァン(Jean Calvin)によってプロテスタントの本拠地となったジュネーヴは、カトリック教会から迫害を受けた難民や亡命者を積極的に受け入れたことで、彼らが持ち込んできた絹や金線、そして時計製造といった手工業が新たに誕生し、経済成長への追い風となりました。

特に時計産業はその後の近代化でも競争力を維持し、フランス王家などに融資していた銀行業と共に町の発展に貢献することになったのです。そのため、ジュネーヴは現在も商業都市および金融都市としての名声が高く、スイス経済においても重要な位置を占めています。

また、長い時を経て内容が大幅に変わりましたが、ジュネーヴは今でも様々な見本市を開催しており、国際貿易に欠かせない場所です。代表的なものとしては東京モーターショーと並んで世界5大自動車見本市に数えられる「ジュネーヴ国際モーターショー」(Geneva International Motor Show)が挙げられます。1905年に初回を迎え、その後毎年開催されるこの見本市は、自動車の歴史を塗り替えた数々の車両を市場に送り出したことから、各国の自動車関連業者のみならず、自動車愛好家からも一目置かれる一大イベントです。

 

2019年のジュネーヴ国際モーターショーの様子

 

スイスとフランスの文化が融合する場所

 

ジュネーヴは過去にフランスの一部だった他、現在も州の面積の9割以上がフランスと国境を接するため、特に貿易を通して古くからフランスとの交流が盛んであっただけでなく、その文化にも強く影響されてきました。それ故、ジュネーヴの公用語がフランス語であるのはもちろんのこと、建築や食文化など生活のあらゆる要素に濃いフレンチテイストが漂います。

そういった現状を踏まえ、スイス人の多くは「ジュネーヴほどスイスらしくない地域はない」と主張しますが、長い間アイトゲノッセンシャフトと友好関係にあったことから、スイス文化も少なからず採り入れられてきました。その結果、今では町全体にフランスのような雰囲気が感じられるものの、異文化を含んでいることも垣間見えるので、正しくは西のフランスと東のスイスドイツ語圏が融合する文化の融合地点であると理解すべきです。

しかも、興味深いことに、この両文化の融合は街並みや市民の生活のみならず、ジュネーヴの立地そのものにも表れています。というのも、ジュネーヴ市の西部にはスイスアルプスから流れてくるローヌ川とフランスアルプスのモン・ブラン(Mont Blanc)を源流とするアルヴ川(Arve)が合流する「ポワント・ド・ラ・ジョンクション」(Pointe de la Jonction)と呼ばれる場所が存在します。中心部からほど近く、豊かな緑に囲まれたこの場所は市民の憩いの場であると同時に、自然が生み出す珍しい光景が見られる観光スポットとしても知られています。砂を多く含んで白く濁ったアルヴ川が深い青色を帯びたローヌ川に流れ込み、2色がしばらく平行してからやがて美しいターコイズ色に変わる姿は、正に2つの文化が混ざり合って、独自の特色を創出するジュネーヴを象徴していると言えます。

つまり、ジュネーヴはその自然環境によって異なる文化が交差する地点に位置するので、独特な気質を持っているのも不思議ではないということなのです。

 

ローヌ川(左)とアルヴ川(右)が合流するポワント・ド・ラ・ジョンクション

 

 

ジュネーヴのご紹介は如何でしたか?皆様があまり知らない歴史的背景や特徴を中心に採り上げさせていただきましたので、想像していたものとは一味違うイメージを持たれたのではないでしょうか?また、この記事を通してジュネーヴには様々な顔や良さがあることも分かっていただけたと思いますが、詳しくご説明できなかった内容もまだたくさんあります。

したがって、皆様には是非一度ジュネーヴに足を運んでいただいて、それらを見つけたり、新たな発見をしたりしていただきたいです。例えば、ヨーロッパの最高峰であるモン・ブランはフランスに位置しますが、それが最も美しく見える場所は、実はジュネーヴであると云われています。

このような意外な体験は現地でしかできませんので、そういう意味でもいつか皆様がジュネーヴに行かれるもしくは再訪されることを心から願っております。

では

Bis zum nöchschte mal!

Birewegge

 

1出典:ジュネーヴ州財務人事省ジュネーヴ国際サービス:www.geneve-int.ch/de/fakten-und-zahlen

 


 

今回の対訳用語集

 

日本語 標準ドイツ語 スイスドイツ語
メディア Medien

(メーディエン)

Medie

(メーディエ)

河口 Flussmündung

(フルスミュンドゥング)

Flussmündig

(フルスミュンディク)

Hafen

(ハーフェン)

Hafe

(ハフェ)

赤十字 Rotes Kreuz

(ローテス・クロイツ)

Rots Chrüüz

(ローツ・フリューツ)

特派員 Korrespondent

(コレスポンデント)

Korreschpondänt

(コレシュポンデント)

割合 Anteil

(アンタイル)

Aateil

(アータイル)

Seide

(サイデ)

Side

(スィデ)

追い風 Rückenwind

(リュッケンヴィント)

Ruggewind

(ルッゲヴィント)

名声 Ruf

(ルーフ)

Ruef

(ルエフ)

光景 Anblick

(アンブリック)

Aablick

(アーブリック)

 


参考ホームページ

 

ジュネーヴ市オフィシャルサイト

https://www.geneve.ch/en

ジュネーヴ観光オフィシャルサイト

https://www.geneve.com/de/

スイス歴史辞典:ジュネーヴ市

https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/002903/2018-02-07/

ジュネーヴ州財務人事省ジュネーヴ国際サービス

https://www.geneve-int.ch/de

ジュネーヴ国際モーターショーオフィシャルサイト

https://www.gims.swiss/de

 

Comments

(0 Comments)

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA