中国生まれのドイツビール 青島ビール

ドイツがかつて植民地としていた土地は、ナミビア(ナミビアとドイツ参照)など、主にアフリカ大陸にありますが、中国の北東部、山東省の山東半島の湾岸部もかつてはドイツ帝国(1871-1919)の租借地でした。この湾岸部に位置する青島(チンタオ)といえば、中国の主要な経済都市であり、世界的なビールブランドである青島ビール誕生の地としても有名ですが、これはドイツによる租借地時代にドイツ人の手によって誕生したものでした。

 

 

 

ドイツ人建築家によって建てられた青島の 聖ミヒャル大聖堂

 

 

 

 

ドイツ帝国による占領時代

 

19世紀は西洋の列強諸国が帝国主義のもとに領土拡大を目指し、こぞって植民地支配を目指した時代でしたが、1897年に山東省で起こった二人のドイツ人宣教師の殺害事件をきっかけに、ドイツがアジアの拠点として、山東半島の南海岸、膠州湾を租借地としたのは1898年のことでした。独清条約を結び、ドイツは500㎢を越える地域を99年間租借しましたが、実質ドイツの占領下にあったのは、1914年までの16年間でした。しかし、この膠州湾の中心都市・青島への政治的、経済的、文化的な影響は強く、今日でもその面影を残しています。

当時のドイツ帝国が得た権限は大きく、鉄道敷設権、炭鉱および鉱山採掘権を得た他、税関の緩和を進め、この地をドイツにおける植民地のモデル都市とすべく開発を図りました。また、道路、建築物、街路樹といった街並みもドイツ風に整備され、兵営に港などの軍事施設、学校やホテル、さらには大学も中国との共同出資で設立されました。そしてドイツ文化には欠かせないビール醸造所『ゲルマニアビール会社』もこの地で誕生しました。

 

 

 

中国生まれのドイツビール

 

1903年、青島で誕生した醸造所ゲルマニアで製造されたビールが今日、世界中で流通している青島ビール(青島啤酒)です。中国産ビールの中で最も有名なブランドであり、世界100ヵ国以上に輸出されています。植民地時代の産業振興策のひとつとして、ビール生産の技術移転を目的とされたゲルマニアですが、ドイツ本国のビール純粋令に従い、麦芽、ホップ、麦、酵母のみを原料としたビールが製造されていました。1914年に青島の租借権が日本の手に渡ると、この醸造所も現アサヒビールや現サッポロビールの前身である『大日本麦酒』が買収、経営を引き継ぎ、その後数年もビール純粋令は守られました。第二次世界大戦での日本の敗戦後は中国の国営企業となったものの、民営化を経て、日本との合弁会社を設立したり、アメリカ企業と提携を結んだりと、その歴史は20世紀という激動の時代そのものを象徴しているかのようです。

今日では中国で2番目、世界で6番目の規模を誇るビールブランドとなった青島ビールの誕生の地である青島市。旧市街地では今日でもドイツ様式の建造物が残っており、ドイツと中国の奥深い歴史を感じる事ができるようです。

 


 

参考HP

  • 膠州租借地 Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%86%A0%E5%B7%9E%E6%B9%BE%E7%A7%9F%E5%80%9F%E5%9C%B0

  • 青島ビール Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B3%B6%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%AB

  • Tsingtao und das deutsche Bier DW

https://www.dw.com/de/tsingtao-und-das-deutsche-bier/a-16958339

 

Comments

(0 Comments)

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA