東スイスの商業都市サンクト・ガレン

氷河特急の旅を除けば東スイスは観光ツアーなどに含まれることはほとんどないのですが、これは決して観光名所が不足しているからではありません。

むしろ、東スイスに関しては以前にご紹介したアッペンツェルのように自然豊かで、他の地方とはひと味違う趣と個性的な文化を誇る町々が点在しますので、スイスを知る上では必ず一度は訪れる必要があると言えます。

したがって、今回はそんな東スイスの魅力溢れる文化的中心で、商業都市でもあるサンクト・ガレン州(Kanton St. Gallen)の州都サンクト・ガレンをご紹介したいと思います。

 

 

 

対立し続けた2つの独立国家が共存した都市

 

サンクト・ガレンの名前は612年に現在の旧市街に当たる場所に僧院を建てた聖ガルス(Gallus)に由来します。ガルスは元々アイルランドからやってきた宣教師で、旅の途中に足が茨に絡まったことを神のお告げと解釈し、深い森に覆われていた当該地域を開拓してキリスト教の普及に努めた人物です。

ガルスは多くの弟子を抱え、地域住民からも熱い信頼を得た指導者でした。その功績を讃えるため、オトマール(Otmar)という神父が719年にガルスが築いた僧院の跡地に修道院を創建し、それを「サンクト・ガレン修道院」(Kloster St. Gallen)と命名したのです。

当初、この修道院は単なる巡礼地に過ぎなかったのですが、次第にそれを囲むように住宅地が広がり、10世紀にはなんと城郭や監視塔を有する都市にまで発展しました。

また、周辺地域の取得によって一大勢力となった修道院長にはその後、神聖ローマ帝国の「領主」の称号が与えられ、市民に対しても自治権が保障されたことでサンクト・ガレンは1180年に帝国直轄領の地位を獲得します。しかし、この一連の出来事によって修道院と市民の間に亀裂が生じ、市民への支配権を維持しようとする「サンクト・ガレン領主修道院」(Fürstabtei St. Gallen)と、修道院からの完全な独立を目指す市民率いる「サンクト・ガレン市」(Stadt St. Gallen)への分裂を引き起こすことになったのです。

両者はそれぞれ帝国の援護を受ける努力をしながら、なんと帝国の敵であったアイトゲノッセンシャフトとも個別の同盟を結び、内政だけでなく、外交においても互いに一歩も譲らないにらみ合いを繰り広げました。

さらに、その後の宗教改革で市民がプロテスタント派になったことでカトリック派の修道院との溝は深まる一方で、同じ城郭内で意見の合わない2つの独立国家が共存する状況となったのです。しかも、両者は結局和解することなく、1798年に当時の修道院長が侵略してきたフランス軍を恐れてウィーン(Wien)に亡命し、領主修道院を放棄したことでサンクト・ガレンの全支配権が事実上市民の手に渡りました。

そして、数百年にわたってアイトゲノッセンシャフトの同盟国であったものの、対等なメンバーとして認められていなかったサンクト・ガレン市は修道院の支配下に置かれていた市町村や隣接する地域と共に1803年にサンクト・ガレン州(Kanton St. Gallen)を結成し、スイスの正式な一員となったのです。

 

 

学問の中心でもあったサンクト・ガレンの修道院

 

市民と対立していたとは言え、サンクト・ガレン修道院はかつて強大な影響力を持っていたこともあって、市の繁栄と発展に大きく貢献してきました。

したがって、修道院は現在も町を代表するシンボルとして親しまれています。既に申し上げたように、修道院の創建は8世紀ですが、火災や老朽化によって度々再建や修復が行われたので、現存する大部分は18世紀に建て替えられたものです。

そのため、全体的にバロック様式を帯びており、外観にはさほど驚かない一方、内装に関してはロココ様式の傑作が多く取り入れられていて、そのインパクトに圧倒されます。

また、修道院だけあって教会がその主役と思われがちですが、サンクト・ガレンの修道院においては併設されている図書館と資料館が最大の見どころであると言えます。

というのも、当該修道院は独立国家の地位を活かし、その富で古くから文学作品、各種学問の書物、図面や記録などの収集を行ってきたため、中世にはヨーロッパで最大級のコレクションを誇りました。

しかも、これらの資料を目当てに各国から人々が集まり、サンクト・ガレンの修道院は数世紀に及んで学問の中心だっただけでなく、現在もその貴重な古文書の数々を求めて世界中から研究者が訪れるほどです。蔵書は計17万点を数え、その歴史的・文化的価値も高いことから、教会、図書館、ならびに資料館を含む旧修道院区域全体が1983年にユネスコ世界文化遺産に登録されたのです。

 

旧サンクト・ガレン修道院の教会

 

 

繊維産業で隆盛を極めたことを現在も物語る旧市街

 

このように、サンクト・ガレンを語る上では修道院が真っ先に挙げられますが、それを覆う旧市街もまたそれに負けないぐらいの魅力を持っています。

赤みのある石畳が敷き詰められた大小の路地を歩くと風情ある街並みのみならず、中世情緒溢れる民家に魅了されます。しかも、大半の民家の1階部分にはカフェや様々なショップが入っており、地元の人で活気溢れて、観光客もつい時間を忘れてしまうほどです。

また、旧市街の建物をじっくり眺めてみるとその殆どが5階建てで、民家とは呼びづらい屋敷のような規模と豪華な外観を持っていることに気付きます。さらに、石造りの家にも拘らず、その多くには路地に飛び出ている木彫りの装飾出窓が付いているのも特徴的です。

市内観光を楽しまれる方はそのような光景に違和感を抱くことはないのですが、鋭い人は城下町や豪族中心の町でもなかったサンクト・ガレンにここまで立派な旧市街があることを不自然に思うことでしょう。

実は、サンクト・ガレン市は市政の誕生と同時に産業を立ち上げ、貿易を営みました。中でも力を入れていたのが繊維産業で、その主力製品となっていたのはリネンでしたが、18世紀以降は徐々に綿織物、刺繡ならびにレースへのシフトが見受けられます。

こうして、サンクト・ガレンは時代や流行の波に乗り、常に最高品質の生地の生産と販売で大いに潤ったのです。

しかし、20世紀に入ると安価で機能的な衣類が求められるようになったため、需要は激減し、繊維産業は次第に衰退します。経済力を失いつつも、サンクト・ガレンは現在もその高い技術力で世界を股に掛けた一大産地を築いたことで知られています。

そして、当時の繁栄を今も色濃く残しているのが旧市街なのです。特に出窓はリネンの貿易が最盛期を迎えた17世紀に商人達が富の象徴として増築したことから、町の発展を支えてきた繊維産業が如何に大きな存在であったかを表しています。

 

装飾出窓を持つ民家が多く立ち並ぶ旧市街の「ガルス広場」(Gallusplatz)

 

 

様々な顔を持つバラエティー豊かな都市

 

1000年以上もの歴史を誇るサンクト・ガレン市は一見こぢんまりした古都のようなイメージがありますが、それは市の中心部に位置する旧市街のみに当てはまり、それ以外の大半の区域は概ね近代的な雰囲気を漂わせています。

近世以降、サンクト・ガレン市は市町村合併を経て、鉄道や高速道路などのインフラ整備が行われたこともあり、元々修道院を囲む小さな町から広範囲な都市へと姿を大きく変えました。

また、繊維産業衰退後は主に金融業が急成長したせいか、複数の銀行や保険会社などの本社が点在し、今となっては中世の古民家が並んでいる旧市街の隣に全面ガラス張りのビルが目立つモダンなビジネス街が広がっています。そして、サンクト・ガレンは都市でありながらも都会と田舎の要素が複雑に入り乱れている点でも目を引きます。

例えば、市の南端の高台に位置するサンクト・ゲオルゲン地区(St. Georgen)には、夏は遊泳場で冬はスケート場としても利用される複数の池があり、市民の娯楽地として親しまれていることで有名です。しかも、当該地区はケーブルカーで旧市街に直結しているので、世界遺産とレジャー施設が隣り合わせになっている都市は極めて珍しいと言えます。

さらに、市内観光を楽しまれる方の殆どは気付くことがないのですが、実は市の面積の約3割が農地として利用されているのもスイスの他の都市と大きく異なる点です。

そのため、スイスで開催される見本市の中で毎年最大の来客数を誇る「東スイス農業酪農物産展」(OLMA)の開催地がサンクト・ガレンであるのも不思議ではありません。特に、開催期間中に会場で販売される焼きソーセージ(通称:オルマソーセージ)を食べるのは来客者の間で伝統行事となっているだけでなく、今やサンクト・ガレン市を代表するB級グルメとして農業以外の関係者や多くの観光客にも大人気です。

 

サンクト・ガレン市内にある複数の牧草地のひとつ「ブルクヴァイアー」(Burgweiher)

 

 

サンクト・ガレンのご紹介は以上になりますが如何でしたか?

ご説明したように、サンクト・ガレンは世界遺産を始め、文化・繊維・金融・レジャー、そして農業といった異なる要素が凝縮されている都市ですので、例え皆様が求めているものが違っても必ず興味を引くものがあります。

また、私自身が特に好きなのは、ごちゃごちゃした都会の雰囲気が全くないことと、どこを歩いても漂う落ち着きと大らかさです。これは東スイスの特徴のひとつとも言えますが、サンクト・ガレンに関しては地域住民の包容力と穏やかな性格が町のあらゆる場所に現れているように感じられます。

さらに、貿易によって世界との繋がりを築いた実績もあるせいか、他人に対しても常に親切で礼儀正しくおもてなしをしてくれます。

そういう理由からスイス観光には欠かせない場所であり、素晴らしい思い出も増やしてくれることは間違いありませんので、皆様も是非一度サンクト・ガレンに行かれてみてはどうですか?

 

では

Bis zum nöchschte mal!

Birewegge

 


今回の対訳用語集

日本語 標準ドイツ語 スイスドイツ語
弟子 Schüler

(シューラー)

Schüeler

(シュエレル)

領主 Fürst

(フュルスト)

Fürscht

(フュルシュト)

分裂 Spaltung

(シュパルトゥング)

Schpaltig

(シュパルティク)

内政 Innenpolitik

(インネンポリティク)

Innepolitik

(インネンポリティク)

外交 Außenpolitik

(アウッセンポリティク)

Ussepolitik

(ウッセポリティク)

Reichtum

(ライヒトゥーム)

Riichtum

(リーフトゥム)

情緒 Atmosphäre

(アトモスフェーレ)

Atmosphäri

(アトモスフェーリ)

リネン Leinen

(ライネン)

Liine

(リーネ)

綿織物 Baumwollgewebe

(バウムヴォルゲヴェーベ)

Baumwullgweb

(バウムヴルクヴェープ)

住居 Wohnung

(ヴォーヌング)

Wonig

(ヴォニク)

 

参考ホームページ

サンクト・ガレン市オフィシャルサイト

https://www.stadt.sg.ch/home.html

サンクト・ガレン/ボーデン湖観光オフィシャルサイト

https://st.gallen-bodensee.ch/de/

東スイス観光オフィシャルサイト:サンクト・ガレン/ボーデン湖

http://ostschweiz.ch/de/destinationen/st-gallen-bodensee.html

スイス歴史辞典:サンクト・ガレン市

https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/001321/2012-01-06/

サンクト・ガレン司教座区域オフィシャルサイト

https://www.stiftsbezirk.ch/de/

OLMA(東スイス農業酪農物産展)オフィシャルサイト

https://www.olma-messen.ch/de/messen/olma/fuer-besucher/uebersicht

 

 

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