スイスの連邦州を意味する「カントン」について
目次
過去の記事でスイスの州についてお話した際に何度か「カントン」(Kanton)という言葉が登場しましたよね?
州は様々な国で行政管区のひとつで、司法管区や選挙区を指す場合もあります。既にご存知だと思いますが、州はアメリカ合衆国で「ステイト」(State)、ドイツやオーストリアでは「ブンデスラント」(Bundesland)と呼ばれ、国よっては様々な単語が用いられます。
そして、スイスではそれぞれの州を「カントン」と言いますが、それは日本だけでなく実はドイツ語圏でも本来あまり馴染みのない言葉なのです。
したがって、今回はスイスで州を何故「カントン」と呼ぶようになったのかについてのお話をさせていただきます。
州の最初の呼び名は「ヴァルトシュテッテ」
「カントン」は元々イタリア語の「カントーネ」(Cantone)をドイツ語化したもので、本来は「角」や「隅」もしくは「端」を指します。
イタリア北部ではそれが古くから「国の一部」を表す言葉として使われ、遅くとも11世紀には一般的に用いられていたことが確認されています。
その後、フランス語圏でも同様な言葉が公文書で使用されていることから、フランス語経由でスイスのドイツ語圏でも広まったと思われます。しかし、スイスでカントンが州を意味する言葉として定着したのは数百年後のことですので、アイトゲノッセンシャフトが設立された当初は存在しませんでした。
スイスを建国したウーリ(Uri)、シュヴィーツ(Schwyz)、ウンターヴァルデン(Unterwalden)の原三州は自らを「ヴァルトシュテッテ」(Waldstätte)と呼び、当時の三州の総称も数字の3を足して「ドライ・ヴァルトシュテッテン」(Drei Waldstätten)でした。
直訳しますとヴァルトシュテッテは「森の場所」となりますが、この場合の「森」は開拓可能な沃地(よくち)を指しますので、原三州が元々森林や草原などの沃地を開拓してできた里であることを意味しています。
また、13世紀後半以降は神聖ローマ帝国でもその呼び名が認識されており、複数の記録や文書で原三州の住民を「森の民」(Waldleute)として挙げています。
しかし、ヴァルトシュテッテはあくまで原三州を表す言葉であるため、スイスの他の州に適用されることはありませんでした。
ただし、現在も原三州の地域名としては残っており、それに因んだホテルやレストランなど様々なものが現存します。中でも代表的なものが、原三州ならびに4つ目のヴァルトシュテッテとされるルツェルン(Luzern)に囲まれた中央スイスの湖「フィアヴァルトシュテッターセー」(Vierwaldstättersee)です。
「ヴァルトシュテッテ」に因んだシュヴィーツ州ブルンネン市(Brunnen)にあるホテル・ヴァルトシュテッターホーフ(Hotel Waldstätterhof)
「シュタット」および「ラント」から「オルト」や「シュタント」へ
14世紀後半になるとアイトゲノッセンシャフトに加盟する州が徐々に増え、原三州のような広範囲な地域から構成される国家に加え、ベルン(Bern)やチューリッヒ(Zürich)といった都市国家も存在したことを踏まえ、それぞれの州を国家形態に応じて地方を意味するラント(Land)および都市を指すシュタット(Stadt)と呼ぶようになります。
しかし、シュタットはその人口の多さから、経済力や軍事力がラントよりも高かったため、それらの間には次第に格差が生じました。中にはシュタットがラントを見下すなど、お互いに争うことも度々あったので、1426年にそれぞれの州に対して中立な表現で単に「箇所」を指す「オルト」(Ort)を使うことが決まりました。
しかも、「オルト」はアイトゲノッセンシャフトと友好関係を持っていた同盟国に対しても適用され、それらを「味方についている箇所」(Zugewandte Orte)と称していました。
ほぼ同時期に、「身分」に由来し、「国家」を意味するもうひとつの中立な言葉として「シュタント」(Stand)も普及します。これは各州の国家体制に係わらず、それらがそれぞれ独立国家であることを表していたこともあり、18世紀末までは最も頻繁に使用されました。
その名残から、スイスの国会を構成する二院のひとつである全州議会を現在も「シュテンデラート」(Ständerat)と呼んでいます。使う頻度は少なかったものの、他の呼び名が消えていた訳ではありません。
特に「ラント」は以前アッペンツェル(Appenzell)をご紹介した際に採り上げた青空投票の「ランツゲマインデ」(Landsgemeinde)などで今日まで現存し、複数の州では今も州知事に匹敵する州政府の長を「ラントアマン」(Landamman)と言います。
「シュタント」を用いたグラウビュンデン州(Kanton Graubünden)の表記
「カントン」
このように、スイスの州に関しては時代や地域によって様々な呼び名が用いられたことが窺えますが、現在正式名となっている「カントン」は一体いつ頃から現れたのでしょう?
スイスで「カントン」が記載されている最古の文書は1475年のフリブール(Fribourg)の記録です。その後、スイスのフランス語圏やイタリア語圏を中心に度々登場することが確認されていますが、オルトやシュタントと同等に使用されるようになったのは17世紀後半以降です。
それでも、各州から好んで使われたシュタントには及ばず、全国的な普及はなかなか進みませんでした。しかし、フランス革命後、スイスはフランスに共和制を押し付けられただけでなく、過去の国家体制を打ち砕くために「シュタント」という言葉を廃止し、その代わりに「カントン」を導入することを命じられます。
しかし、共和制は僅か数年で崩壊し、スイスは以前の体制を復旧し、それぞれの州も再びシュタントと呼ばれるようになります。とはいえ、1848年にスイス連邦憲法が発足すると、州はその独立性を失ったこともあり、それぞれの州が「カントン」であることが正式に定められました。
その際、アイトゲノッセンシャフトに加盟した後に分裂した州を準州、即ち「ハルプカントン」(Halbkanton)と呼ぶことも決まりましたが、準州はそれぞれ独自の議会と行政機関を持っており、共有している役職などもいない点で他の州と同一であることから、1999年の憲法改正ではその呼び名が廃止され、現在は使用されていません。
過去にハルプカントンと称されたオブヴァルデン州(Kanton Obwalden)の現在の表記
数百年にわたって加盟国を増やしてきたアイトゲノッセンシャフトは現在26のカントンから構成されており、1979年にジュラ州(Canton du JuraまたはKanton Jura)がベルンから独立して誕生したことを除けば、1815年以降は新たな加盟はありませんでした。しかし、アイトゲノッセンシャフトは同じ志と価値観を持ち、加盟を希望する国または地域がある場合、それを基本的に拒否せず審議を行うとしています。
したがって、1919年にオーストリアのフォアアールベルク州(Vorarlberg)が加盟を希望する意志を表明し、アイトゲノッセンシャフトへの加盟に関する賛否を問う住民投票を行った結果、なんと住民の8割以上が賛成しました。
スイスの政治家でもフォアアールベルクの加盟に賛成する者がいたのですが、当該地域の加盟によってカトリック派が優勢になることを恐れたり、フランス語圏ではドイツ語圏のさらなる拡張を快く思わなかったりする人も多かったため、スイスの否定的な態度で加盟は最終的に実現に至りませんでした。
しかし、近年ではイタリアのロンバルディア州(Lombardia)を始め、複数の地方でスイスへの加盟を希望する声が上がっています。
もちろん、これは一部の住民の意見に過ぎず、政治レベルで正式に話が進められているものではありませんが、少なくともスイスの連邦議会は2010年に隣接する地域の加盟を目的とした法整備は諸外国に対する挑発行為になりかねないと表現しただけあって、実際にそういった動きがあることを認めています。
そのため、将来的に新たなカントンが誕生する可能性がないとも言い切れませんので、近隣諸国の状況にも注目したいところです。
では
Bis zum nöchschte mal!
Birewegge
今回の対訳用語集
日本語 | 標準ドイツ語 | スイスドイツ語 |
オーストリア | Österreich
(エーステライヒ) |
Öschtriich
(エーシュトリーヒ) |
開拓する | erschließen
(エアシュリーッセン) |
erschlüsse
(エルシュリューッセ) |
経済力 | Wirtschaftskraft
(ヴィルトシャフツクラフト) |
Wirtschaftschraft
(ヴィルトシャフツフラフト) |
軍事力 | Militärische Stärke
(ミリテーリシェ・シュテアケ) |
Militärischi Schtärchi
(ミリテーリシ・シュテルヒ) |
役職名 | Amtsbezeichnung
(アムツベツァイヒヌング) |
Amtsbezeichnig
(アムツベツァイヒニク) |
連邦憲法 | Bundesverfassung
(ブンデスフェアファッスング) |
Bundesverfassig
(ブンデスフェルファッスィク) |
優勢になる | Oberhand gewinnen
(オーバーハント・ゲヴィンネン) |
Oberhand gwünne
(オベルハント・クヴュンネ) |
最終的に | schließlich
(シュリーッスリヒ) |
schliässlich
(シュリエスリヒ) |
意見 | Meinung
(マイヌング) |
Meinig
(マイニク) |
誕生する | entstehen
(エントシュテーエン) |
entschtah
(エントシュター) |
参考ホームページ
スイス歴史辞典:ヴァルトシュテッテ
https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/007465/2014-12-27/
スイス歴史辞典:カントン
https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/026414/2016-04-13/
スイス歴史辞典:ツーゲヴァンテ・オルテ
https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/009815/2014-02-26/
スイス国立博物館ブログ:「フォアアールベルクによるアイトゲノッセンシャフトへの加盟」
https://blog.nationalmuseum.ch/2019/05/kanton-uebrig-und-die-schweiz/
スイス生まれスイス育ち。チューリッヒ大学卒業後、日本を訪れた際に心を打たれ、日本に移住。趣味は観光地巡りとグルメツアー。好きな食べ物はラーメンとスイーツ。「ちょっと知りたいスイス」のブログを担当することになり、スイスの魅力をお伝えできればと思っておりますので皆様のご感想やご意見などをいただければ嬉しいです。
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