スイスの方言文学
~スイス方言文学作家ドミニク・ブルン氏へのインタビュー
目次
皆様は「方言文学」という言葉をご存知でしょうか?
方言文学とは限られた特定の地域でのみ使われる方言または言語で執筆された文章を指し、世界各国で様々なものがあります。
スイスにおいてもスイス固有のスイスドイツ語を用いた、標準ドイツ語とは異なる作品の数々が存在し、ドイツ文学内で個別の分野となっているのです。
実は、一年以上前に本ブログの読者様がベルン出身の作家さんによる絵本を入手したものの、それが全く読めなかったという体験談を寄せていただき、方言文学もまたスイスの独特な文化のひとつであることを改めて認識するきかっけとなりました。
また、方言文学を本ブログでも取り上げてみたら面白いのではないか考え、記事の作成を進めることにしました。あれからかなりの時間が経過してしまいましたが、当時の思いをやっと形にすることができましたので、今回はスイスの方言文学についてのお話をさせていただきます。
方言文学の定義
既に申し上げたように方言文学は特定の地域における方言で書かれた文学を指します。したがって、その国や地域の標準語ではなく、話し言葉として使用されている方言または言語を用いた文章を意味するので、差別化を図るための分類であると言えます。
当然のことながら、多くの国々では標準語または公用語が定められた以前にそれぞれの地域で民謡を始め、詩や昔話など様々な内容が話し言葉で文書化されたことが確認されています。
ドイツ語圏においても高地ドイツ語(Hochdeutsch)が標準語となったのは18世紀後半のことで、それ以前の文章は各地域の話し言葉、即ち方言で作成されていました。
そのため、それらは方言で書かれているものの、比較対象である標準語がなかったことから、その土地の一般的な文学に過ぎず、方言文学には当たりません。
このような経緯から方言文学は、異なる方言を有し、共通の標準語を話す一定の空間内で文章を作成する際、あえて方言を言葉として選択した作品と理解する必要があります。
日本に例えると、琉球文学がそれに該当します。沖縄語で書かれた琉球文学は琉球王国の唯一の言語でしたので、そもそも方言という概念が当てはまりません。
しかし、明治時代に南西諸島を含む日本全国で標準語が定められたことで沖縄語が初めて「方言」と認識できるようになったので、それ以降に誕生した沖縄語の作品を方言文学と呼べます。
ドイツ語圏では同様な例としてバイエルン方言文学(bairische Dialektliteratur)、シレジア方言文学(schlesische Dialektliteratur)、そしてスイスの方言文学(schweizerische Mundartliteratur)などがあります。
スイスの方言文学の歴史
スイスで様々な話し言葉に代わってドイツ語が、文章で使用される標準語として普及したのは17世紀初頭と言われていますので、スイスにおいて方言文学と呼ばれる作品が誕生したのもそれ以降でした。
スイスの方言文学で最も古いものとしては18世紀後半にルツェルン(Luzern)で作成された民謡や歴史的な出来事を題材にした逸話が確認されています。
その後、ベルンやその他の地域でも方言で書かれた作品が登場しますが、スイスのドイツ語圏全域で方言文学が広まったのは産業革命が加速した19世紀に入ってからのことでした。
農業国だったスイスでは近代化に伴う技術的発展が従来の生活様式に大きな変化をもたらし、古き良きスイスの伝統が失われるのではないかという危機感が生まれました。
そこで多くの作家は次々とスイスの田舎暮らしを描いた作品を執筆し、スイスらしさを強調するために作品自体をスイスドイツ語で書くという一大ブームが巻き起こったのです。
20世紀前半になると2度にわたる世界大戦の影響を受け、国防意識の高まりによって文学界においてもスイス独自の文化を保持することに着目した「精神的国防」(geistige Landesverteidigung)と呼ばれる運動が全国で見られ、それが方言文学にも新たな波をもたらしました。
しかしこの時代の作品は偏向教育の特色が強く、特定の内容や形式にとらわれていたこともあり、1960年代にはそれらに対抗するかの如く、現実社会に目を向けたり、近代的な発想を取り込んだりする新しい風が吹き荒れます。
また、文学的にも新たな試みを行う方言作家が続出し、今日まで続くポピュラー音楽やロックにスイスドイツ語を取り入れるアーティストが出始めたのもこの時期でした。
その後、方言文学の人気は一時的に低下傾向にありましたが、21世紀以降は特に「スポークン・ワード」(Spoken Word)の形で再び上昇傾向を示しています。
方言文学の位置づけ
このように、スイスの方言文学は200年余りの歴史を誇り、現在もスイス文学のみならず、ドイツ語文学でも独立した分野を成しています。
とはいえ、今まで国境を越えて著名になった方言作家はほぼ皆無で、スイスの方言文学は国外でほとんど認知されていないのが現状です。
特定の言語圏に住む人にしか理解できない文章がそれ以外の地域で読まれないのは当たり前だと言えばそうなのですが、方言を用いた作品は必ずしも限られた読者を対象にしている訳ではありません。
例えば、皆様もご存知の文豪ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)は、スイスの方言文学にも多大な影響を与えたとされるアレマン方言で書かれたヨハン・ペーター・へーベル(Johann Peter Hebel)の「アレマン詩集」(Alemannische Gedichte)を高く評価したことで知られています。
さらに、ゲーテは当該作品をより多くの読者に読んでもらうために標準ドイツ語に翻訳する依頼を受けますが「このような詩人はオリジナルで読まなくてはならい!そうするには、その言語を覚えるしかない。」1と、激しく反発したのです。
したがって、標準語で書かれた文学と比較すると方言文学は「限定的」や「マイナー」なイメージがありますが、ゲーテの言葉からも分かるように、内容によっては著者が特定の方言を選択することで本人の作品に込めた魂を忠実に反映し、その内容に朴訥な性質を付与するといった極めて重要な役割を果たしています。
そして、それが最終的に文学作品としての価値を大きく左右する要素にもなりますので方言文学は決して「限定的」や「マイナー」なものであるとは言えないのです。
現役のスイス人方言作家
本来であればここで記事を締めくくるところですが、スイスの方言文学に関しては現在も数々の作家さんがご活躍されておられます。
そして、偶然にも私の中学時代の恩師に当たる人物がそのひとりということもあり、本人に本ブログをご愛読いただいている読者の皆様のために自身の執筆活動について語っていただけないかとお願いしたところ、それを喜んで引き受けてくださいました。
したがって、今回は特別に現役の方言文学作家さんにインタビューを行い、生の声をいただくことができましたので、それを皆様にお届けしたいと思います。その前にまず、作家さん本人を簡単にご紹介させていただきます。
今回、ご協力くださったのは1948年生まれのドミニク・ブルン(Dominik Brun)氏で、私の国語(ドイツ語)の教師を務めておられた方です。
したがって、学校の先生である傍ら、長年にわたって著者としてもご活躍されておられました。また、定年退職後は執筆を本職とし、自身の故郷であるルツェルン州西部に位置するエントレブーフ(Entlebuch)方言を用いた短編や詩を始め、標準ドイツ語で小説、さらに戯曲なども書いておられます。
また、長年にわたってお住まいになっておられる自治体の市議会議員でもあり、これまで教育・文化・政治といった社会の様々な分野で尽力されてこられた方です。
それでは、方言文学作家ドミニク・ブルン氏とのインタビューをお楽しみください。
スイス方言文学の作家としてもご活躍されているドミニク・ブルン氏(写真提供:Dominik Brun)
──こんにちは、ブルンさん。我々は教師と教え子という関係にあるとはいえ、今回現役の作家さんとスイスの方言文学についてのインタビューを行えることをとても光栄に思っております。したがって、ブルンさんがご協力してくださること、そして非常にニッチではありますが、実に興味深いこの文学の分野についてのお話をお聞きすることができることに心から感謝申し上げます。では、早速始めたいと思います。
──まず、あなたが作家になりたかった経緯や理由を教えてください。
ブルン氏:私は本にさほど縁のない労働者の家庭で育ちましたが、高校生になると本の素晴らしさを知り、読書が好きになりました。
高校2年生の時、任意で20ページの作文を提出したことがあります。これが後に私の趣味となる執筆活動の原点だったと思います。
お絵描きや音楽など他の創造的な活動にはあまり関心がありませんでした。そのせいか、大学に進学した際もそれに関連するドイツ文学を専攻にしました。
──あなたは標準ドイツ語だけでなく方言も用いる作家さんとして知られていますが、標準ドイツ語以外に方言でも作品を書かれている理由は何ですか?
ブルン氏:学生の頃から私にとって文章による表現(作文、報告書、申請書、手紙など)は基本的に標準語で行うものと決まっていました。
当時、まだ知られていなかった携帯電話とメールが存在していれば、もっと早い段階で方言を用いることに目覚めていたかもしれません。
最初に方言で文章を書いたのはラブレターでした。そして、後に方言で初めてラジオドラマを書きましたが、その際に方言の使用を決断したのは、標準語よりも方言の方が似合う題材だったからです。作品の登場人物は私の身の周りの人々でしたので、そのような人物が標準語を話していたら違和感しか残らないものになっていたと思います。
また、私が書いたラジオドラマはベルン州の「ラジオ・ベルン」で放送されたのですが、その時、私は方言を用いた作品の難しさも知ることになったのです。当該作品はベルンから僅か数10キロしか離れていないエントレブーフの方言で書かれていたにもかかわらず、ベルンの人はその内容を理解できなかったので、全文をベルン方言に翻訳する必要がありました。
──文学における表現方法の一種としての方言の魅力はどこにありますか?
ブルン氏:方言は多くの感情や動作に関して表現力が標準語よりも豊富です。
例を挙げますと、「行く」は標準語で「ゲーエン」(gehen)ですが、方言ではそれを「ガー」(gaa)、「チャウペ」(tschaupe)、「チルケ」(tschirgge)、「シュテンプフェレ」(stämpfele)、「シュルルペ」(schlurpe)や「クワックレ」(gwaggle)などの言葉で表せます。また、「ナンパする」に関しても「エス・エーリ・ゲー」(äs Ääli gää)、「チューデルレ」(chüüderle)、「ヘシュペルレ」(chäschperle)、「スュエスホウツ・ラシュプレ」(Süesshouz raschple)、「シュムーセ」(schmuuse)や「シュミューセレ」(schmüüsele)、もしくは「シェーケレ」(schäkere)など様々な言い方があります。
さらに、方言で外来語を使用することも可能ではないのかとの疑問もあります。方言は生きていますので、当然ながら可能だと考えます。
したがって、先ほどの「ナンパする」において英語の「トゥー・フラート」(to flirt)を使って「フレルテ」(flörte)という言葉も利用できます。「プンテネーリ」(Puntenööri)が元々フランス語の「ポワン・ドヌール」(Point d’honneur)から由来したことからも窺えるように、外来語は我々の祖先の代から既に幅広く応用されていました。
──文学言語としての標準ドイツ語と方言の最大の違いは何ですか?方言には標準ドイツ語にない可能性がありますか?
ブルン氏:まず、最初に思い浮かぶのは響きです。さらに、親しみやすさ、そしてより真正であることです。
しかし、方言は記述よりも会話での使用に適していますし、叙情詩や言葉遊びにも向いているのではないでしょうか。
標準ドイツ語はより達筆な構文(多くのダッシュを挿入して複文や当て付けの追加)を可能にするので、私は元々標準ドイツ語を優先的に使用してきました。しかし、方言は標準語ほど多くの過去形を持っていないことが残念に思う点です。
例えば、「彼は噓を付いた」を意味する「エール・ヘット・クロゲ」(är het ggloge)は標準語で3つの異なる過去形、即ち「エア・ローク」 (er log)、「エア・ハット・ゲローゲン」(er hat gelogen)、もしくは「エア・ハッテ・ゲローゲン」(er hatte gelogen)で表すことができます。
──あなたの場合、方言という言葉はルツェルン州西部の「エントレブーフ方言」を指すことを考慮する必要があります。生まれ育った故郷の方言とはいえ、あなたは長い人生経験の中でそれ以外の方言とも深い関りを持っていました。それでも「エントレブーフ方言」に拘り、他の方言を作品に取り入れない理由は何ですか?
ブルン氏:運と自信がその理由かもしれませんね。何故なら、最初のラジオドラマを作成した際、私は家庭で喋っていた方言を忠実に再現したことに自分でも驚きました。
異なる方言を喋る様々な地域のクラスメイトと共に寮生活を送りながら学生時代を過ごしてきた私は、不思議と故郷の方言を忘れることはありませんでした。
複数のお笑い芸人(現代ドイツ語で言うコメディアン)がやっているように、地元以外の方言をものまね芸として使うことは可能でしょう。
しかし、私自身は他の方言を自身の方言のように喋ることはできません。
以前オブヴァルデン州のエンゲルベルク地方の昔話や詩を集めた作品の出版に携わり、当該地方の住民から様々な話を聞く機会がありました。
私は個人的にその地方の方言に興味があったので編集への参加を決意しましたし、他人が話す言葉を再現しただけです。もし、自分自身が喋る方言以外のいわゆる「他人の方言」で文章を書けば、それは恥を晒すような行為以外の何ものでもないと思います。
──人間にとって生まれ育った故郷の方言とは一般的にどのような意味を持っていると思いますか?
ブルン氏:難しい質問ですね。方言は故郷や自信という意味を持つ場合があります。私が常に大切にしているのは、物事をどのように表現するかを自身に問いかけることです。
何かを言う場合、それは自然に聞こえるのだろうか?
政治家として活動していた際、私は度々言語がもたらすジレンマに遭遇してきました。
スイス人は学校教育で標準ドイツ語を学ぶため、スイスの政治家は演説の原稿を標準語で書いて、実際の演説を方言で行うことが多いです。
そのような演説に耳を傾けると実に酷いと感じます。方言本来の響きやリズムが崩れますし、スイスドイツ語には存在しない関係代名詞などがいきなり登場してとにかく変です。
──では、社会またはコミュニティにおいて方言はどのように位置づけるべきでしょう?
ブルン氏:前の質問よりも答えを見つけるのが難しいですね。方言は凝集性を表すことがあります。
また、方言は本当に持っているもの、そしてただ身に付けたものを区別するためにあるのかもしれません。つまり、真実と自称の真実を区別するためのものです。
そして、残念ながら方言は経済界との共通点も持っています:より小さいもの(山奥に位置する谷で喋られている方言)は衰退し、より大きなもの(ベルン方言やチューリッヒ方言)は拡張する。
──次の質問は本ブログの読者からいただいた疑問です:「スイスの作家であれば、標準ドイツ語で作品を書いてドイツ語圏全域の読者を対象にできますが、方言で作品を書く際、特に子供向けの絵本となるとマーケットが狭すぎるのではないでしょうか?」この疑問についてどのようにお考えですか?
ブルン氏:それは残念ながら事実ですね。
それでもあまり知られていない方言で物語を伝えたり、それらを書面で後世に残したりする試みは実に素晴らしいし、文化的にも意義のある行為だと思います。
先進的な政府としては、このような文化の推進、そして技術の高い翻訳に対して助成金を支給すべきだと考えます。
何故なら、方言文学のみで生計を立てられる作家はいないからです。
もちろん、グリム童話のように一般的な内容であれば標準語で出版しても大差はないと思います。しかし、南スイスのヴァリス州東部やベルン州東部の怪談話を標準ドイツ語にすれば、少なくとも私自身は違和感を抱きます。
これは子供向けの歌や言葉遊びに関しても同様です。因みに、私は執筆活動において自分でも少々不思議に感じる経験をしたことがあります。
自身の小説「洞窟の女」(Die Höhlenfrau)は私の全ての小説と同様に標準ドイツ語で書かれていますが、その中でアルプスの高原に住む農家が昔話を述べているシーンがあります。この昔話は言語学的に方言に近い構造になっているため、私はそれを後に標準語からエントレブーフ方言に訳して、単独作品としてラジオドラマ化させたのです。
──次の質問は特に方言に関するものですが、あなたの作家としての活動そのものも含みます。あなたは執筆を通じて成し遂げたいことやチャレンジしてみたいことはありますか?
ブルン氏:私は今まで常に言語に携わる仕事がしたかっただけでなく、書いた内容に両義性と暗喩があることを重視してきました。そして、それに文化活動の一面を持つことにも重点を置きました。
私がこの道を歩み始めた当初は、口数が少ない人や多くの出来事に対して無言でいる人々に代わって言葉を発したかったのです(この点に関しては文学評論家からもそれなりに厳しい言葉でバッシングを受けました)。
その後、自分自身をより批判的な目で見つめ直せるようになり、自身の文章には危険な要素が含まれていることに気付かされました。
私の文章は物事に対して「指で示す言葉」やあからさまな意味を覗かせる表現を含んでいました。
多くの教師、政治家、および聖職者は「世直しのつもりで人に説教をしている」と批判されていますが、私の作品にも同様な傾向があったのです。
完全に防ぐことはできていませんでしたが、自身が書いた内容が読者に対して世直しの印象を与えないように気を付けています。
──最後に、あなたの作家以外の活動についてお聞きします。あなたは作家である傍ら、教師でもありましたし、政治家としてもご活躍されておられます。あなたにとって教育や政治とは文学とは全く関係のない分野でしょうか?それとも少なからず共通するものがありますか?参考までに、日本では作家さんが国会議員や知事になることも珍しくありません。特に、東京に関しては過去40年間にわたって都知事の半分が作家でした。
ブルン氏:日本ではヨーロッパの平均と違って、作家がより認められているようで嬉しいです(ヨーロッパでは政治家のための原稿を作成するライターとなった作家さんなら結構いますけどね)。
私は様々な分野の人間が政治に参加して、それぞれの異なる視点によって今や各国で確認されているロビーイングに歯止めが掛かるのはいいことだと思います。スイスに関しては学校で教師として勤務することは作家にとって理想的な職業です。
何故なら、執筆による収入がなくても飯を食べていけるからです。
教師をやっていることで安定した収入があったので、作品を出版する義務もなかったですし、執筆活動を「自由」に行うことができました。
多くの学校、特に高等学校は作家や芸術家が掛け持ちしていることに配慮し、パートでの雇用も可能にしています。
さらに、私にとって教師という職業は作家として孤立することを避ける他、「原点」とも呼べるチャレンジ精神に溢れた批判的で若い世代との繋がりを持つためのものでもありました。しかも、その繋がりはBirewegge君が今回のインタビューで示してくれているように、学校を卒業した後も続くことも少なくありません。
──本日はスイスの方言文学およびあなた自身の執筆活動についてのお話をするために貴重なお時間をいただき、どうもありがとうございました。今後も作家さんとしてのご活動を継続できるよう、あなたがご健康であり続けることを願うと共に、これからもどのような作品を出版されるかを楽しみにしております。本当にありがとうございます。そして、今後もよろしくお願いいたします。
盲目のピアニストへの取材を題材にしたドミニク・ブルン氏の最新作:
「本当に何も見えていないのですか?」(Sehen Sie wirklich gar nichts ?)(写真提供:Dominik Brun)
少々特殊な内容でしたがスイスの方言文学に関するご紹介は如何でしたか?
また、現役の作家さんとのインタビューもお気に召していただけたでしょうか?今回は偶然にも私の恩師がこのような職業に携わっているということでご協力をお願いすることができました。
したがって、毎回ご協力してくださる人物を確保するのは難しいと考えますが、皆様からのご要望があれば今後も様々な方の生の声をいただけるようにしたいと思いますので、ご感想やご意見の他、いろいろな話題に関するコメントなどを寄せていただければ幸いです。
では
Bis zum nöchschte mal!
Birewegge
1出典:バイエルン放送教育チャンネル「アルファフォーラム」:hausen.pcom.de/jphebel/sonstiges/alphaforum/br_alpha-forum_j.p.hebel.htm
今回の対訳用語集
日本語 | 標準ドイツ語 | スイスドイツ語 |
絵本 | Bilderbuch
(ビルダーブーフ) |
Bilderbuech
(ビルデルブエフ) |
体験談 | Erfahrungsbericht
(エアファールングスベリヒト) |
Erfahrigspricht
(エルファーリクスプリヒト) |
話し言葉 | gesprochene Sprache
(ゲシュプロヘネ・シュプラーヘ) |
gschprocheni Sprach
(クシュプロヘニ・シュプラーハ) |
民謡 | Volkslied
(フォルクスリート) |
Volksliäd
(フォルクスリエト) |
文書化 | Verschriftlichung
(フェアシュリフトリヒュング) |
Verschriftlichig
(フェルシュリフトリヒク) |
高地ドイツ語 | Hochdeutsch
(ホーホドイチュ) |
Hochtüütsch
(ホーホテューチュ) |
空間 | Raum
(ラウム) |
Ruum
(ルーム) |
危機感 | Krisenbewusstsein
(クリーセンベヴストサイン) |
Krisebewuschtsii
(クリーセベヴシュトスィー) |
田舎暮らし | Landleben
(ラントレーベン) |
Landläbä
(ラントレベ) |
対抗する | entgegentreten
(エントゲーゲントレーテン) |
entgägäträtä
(エントゲゲトレテ) |
参考ホームページ
スイス歴史辞典:方言文学
https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/011206/2016-07-11/
スイス連邦文化庁:生きた伝統:「ベルンの方言音楽と方言文学」
スイス作家協会オフィシャルサイト
スイス方言統括組織「ムンドアルトフォールム」ウェブサイト
https://mundartforum.ch/kontakt/
作家ドミニク・ブルン氏のオフィシャルサイト
スイス生まれスイス育ち。チューリッヒ大学卒業後、日本を訪れた際に心を打たれ、日本に移住。趣味は観光地巡りとグルメツアー。好きな食べ物はラーメンとスイーツ。「ちょっと知りたいスイス」のブログを担当することになり、スイスの魅力をお伝えできればと思っておりますので皆様のご感想やご意見などをいただければ嬉しいです。
Comments
(0 Comments)