ドイツの国章 アドラー!
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国章とは、国家を象徴する紋章のこと。国旗よりも複雑なデザインで、その国の風土、歴史、文化が象徴的に印されています。日本では法令上の明確な国章は定められていませんが、慣習的に、天皇家の家紋である「十六八重菊紋」がそれに準じた扱いをされています。
ではドイツの国章はご存じですか?
左上:ドイツの国章 Bundesadler 右上:ドイツの国旗 Schwarz-Rot-Gold
ブンデスアドラー
日本の国章はシンプルですが、世界各国の国章は、色彩豊かで、その国にゆかりのある動植物や建築物などが詳細に描かれているものも多いです。ドイツの国章(独:Bundeswappen)に描かれているのは、盾形の枠内に、黄金の背景、そして黒い鷲(Bundesadler)のシンボルです。この鷲のシンボルは、公官庁や商船旗などで掲げられることはもちろん、ドイツの日常生活においてよく見かけます。例えばユーロ硬貨には、導入国が各国独自のデザインを施していますが、ドイツでは1ユーロ硬貨と2ユーロ硬貨にこの国章が描かれています。
国章における鷲は、最も古いシンボルのひとつともいわれ、紀元前3800年のシュメールにおいても見られているほどで、古代ローマ帝国でも採用されていました。
ドイツの伝統的シンボルとして
現代において、鷲が国章に用いられている国は、ドイツのみならず、アメリカ、ロシア、エジプト、オーストリア、アラブ諸国など多くありますが、鷲のデザインは、国ごと、そしてドイツ国内においても時代ごとに、その色や形のバリエーションは様々です。ドイツにおいては、近代、現代における激動の国家の変遷にも拘わらず、神聖ローマ帝国時代から一貫して鷲のシンボルが使われています。鷲は、強さや勇気の象徴、太陽、空の王者、または最高神の遣いとして、ギリシア神話やユダヤ教、キリスト教の聖書で扱われており、復活、救済、永遠の命などの意味も持っています。
ドイツにおいては、8世紀半ば、初代神聖ローマ帝国皇帝とされるカール大帝の時代から使用されていました。13世紀には現在の配色及びデザインと近いものが、神聖ローマ帝国の紋章として成立しますが、当初は神聖ローマ帝国の普遍性と帝国的な統一が示されており、時代の変遷とともに、ドイツという概念と結びつき、国の象徴として成熟していったといわれています。15世紀以降は双頭の鷲が皇帝のシンボルとして使用され、オーストリア帝国の国章、およびハプスブルク家の紋章にも描かれるようになります。
神聖ローマ帝国の崩壊(1806)を経て、プロイセン王国、ドイツ連邦、北ドイツ連邦、ドイツ帝国、ヴァイマール共和国、ナチス・ドイツ、そしてドイツ連邦共和国と、ドイツの内政は目まぐるしく変動しましたが、鷲のシンボルは一貫して保持されてきました。
今日でも、神聖ローマ帝国直属の帝国自由都市であった町々(ブレーメン、アーヘンなど多数)の紋章には鷲のモチーフが見られ、ブランデンブルク州とザクセン=アンハルト州の州章にも鷲の紋章が用いられています。
ドイツのシンボルそのものである鷲。いつか旅することがあったら、街中で探してみて下さい。
参考HP
- Bundesadler Deutscher Bundestag
https://www.bundestag.de/parlament/symbole/adler/adler-198402
- Bundeswappen Protokoll der Inland Bundesregierung
- Adler(Wappentier)Wikipedia
- ドイツの国章 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E5%9B%BD%E7%AB%A0
これまで【日本人からみると不思議なドイツ事情】、【ものづくりの国ドイツ】を担当してまいりました、HHです。京都生まれ。ドイツ・フライブルク大学卒。留学中に得た経験をもとに、独自のアンテナを張って様々な側面からみたドイツをお伝えしていきたいと思います!皆さまのドイツ文化に関する興味・関心、ブログの感想もぜひ聞かせて下さいね。
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