ドイツの国旗
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国家の一番の象徴である国旗。日の丸、星条旗、ユニオンフラッグ、五星紅旗などがありますが、さてドイツの国旗は、黒赤金旗-Schwarz-Rot-Goldという愛称があります。今回は、ドイツの国旗についてお伝えします。
黒・赤・金
現在のドイツの国旗は、黒、赤、金色のラインが入った三色旗ですが、一番下の色は、実は黄色ではなく金色。よく間違われるのでご注意を。この三色の由来は諸説ありますが、ナポレオン戦争(1799~1815)の最中でのプロイセン軍の解放戦争(1813‐1814)におけるリュッツォウ義勇部隊の制服の色に基づいているとの説が有力です。ドイツのほぼ全域から集まった志願兵のみで構成されたこの部隊は、自前で制服を準備し、部隊のカラーを統一する必要があったため、どんな色にも染まる黒が採用され、襟、袖口、肩章には赤、そして金色の真鍮製ボタンが用いられていました。
後にこの義勇軍の制服は、ドイツ諸邦統一へ向けた19世紀の国民運動を起こした『古ブルシェンシャフト』という学生連合に引き継がれ、自由と統一の象徴として確立し、1848年に国旗として公的に制定され、その後のヴァイマール共和国時代(1919-1933)、そしてドイツ連邦共和国(西ドイツ)の国旗に制定され、東西統一後の現在に引き継がれました。色の意味合いは、名誉(黒)、自由(赤)、祖国(黄金)の象徴という説や、隷属状態(黒)から、血をかけた戦い(赤)を経て、輝く自由(黄金)を手に入れる―という、一連の自由主義運動が象徴されているともいわれています。
国家の激動の歴史を経て
ドイツの歴史上、諸邦国家であった背景に加えて、近代から現代にかけての激動期には、プロイセン王国(1701-1918)、北ドイツ連邦(1867-1871)そして、ドイツ帝国(1871-1918)、ワイマール共和国(1919-1933)、ナチス・ドイツ時代(1933-1945)、ドイツ連邦共和国と旧東ドイツであるドイツ民主共和国(1949-1990)と、幾度にもわたり国家が移り変わったため、国旗の変遷もそれに伴っています。
プロイセン王国の国旗
北ドイツ連邦及びドイツ帝国、初期ナチス・ドイツの国旗
ワイマール共和国、ドイツ連邦共和国
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Flag_of_Germany.svg#/media/ファイル:Flag_of_Germany.svg)
ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)
黒・赤・金の三色旗が国旗として制定されたのは、共和制であったワイマール共和国においてですが、北ドイツ連邦、ドイツ帝国時代を経てドイツ・ナチス時代へと引き継がれた国旗のカラーは、黒・白・赤の三色が基調色となっており、黒と白はプロイセン王国の色で武威を示し、赤と白はハンザ同盟加盟自由都市旗の色を用い通商の繁栄を表し、ドイツ帝国時代には、黒は勤勉と労働、白は栄光と休息、赤は愛国心を表していました。ナチス時代には赤は、社会主義、白は民族主義を意味し、白い円の中には黒い鍵十字が描かれていました。
第二次世界大戦後は再び黒・赤・金の三色旗が使用されましたが、旧東ドイツでは、この三色旗の中央に、工業労働者を示すハンマーと知識層を表すコンパスが交差して描かれ、ライ麦穂のリースは農民を表し、これを社会主義国としての国章に使用していました。
その国の指針と歴史を語る国旗。改めてその変遷を見てみると興味深いですね。
参考HP
- Die Bundesflagge Deutscher Bundestag
https://www.bundestag.de/parlament/symbole/flagge/flagge-199334
- ドイツの国旗 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%97%97
- リュッツォウ義勇部隊 Wikipedia
参考文献
- ドイツ文化史入門 16世紀から現代まで 若尾裕司・井上茂子編 昭和堂 2011
- 大図鑑 旗章の世界史 苅安望 山川出版社
これまで【日本人からみると不思議なドイツ事情】、【ものづくりの国ドイツ】を担当してまいりました、HHです。京都生まれ。ドイツ・フライブルク大学卒。留学中に得た経験をもとに、独自のアンテナを張って様々な側面からみたドイツをお伝えしていきたいと思います!皆さまのドイツ文化に関する興味・関心、ブログの感想もぜひ聞かせて下さいね。
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