ドイツ生まれ クリスマスツリー
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クリスマスが近づき、街もイルミネーションが綺麗な季節になりました。クリスマスに欠かせないアイテムといえばクリスマスツリー。ドイツでは本物の木を飾るのが一般的ですが、近年は人工の木で間に合わせる家庭も多いそうです。
さて、このクリスマスツリー、キリスト教文化のひとつ…と思いきや、元々はキリスト教とは無関係であったのをご存じでしたか?そして最初にツリーの風習が根付いたのはドイツ(当時の神聖ローマ帝国)においてでした。
クリスマスツリーの起源
そもそも、イエス・キリストの誕生日とされる12月25日は、紀元後4世紀頃、太陽神を崇める古代ローマ帝国のミトラ教の祝祭日が12月25日であり、コンスタンティヌス大帝がキリスト教化を進めるために、太陽崇拝とキリスト崇拝を融合させ、この日付をクリスマスとしたというのが現代の定説になっています。また一説には、北ヨーロッパの古代ケルト人たちの冬至祭である『ユール』にも起源があり、同様に文化が融合しているといわれています。
クリスマスツリーに関しても、元来、樹木信仰をしていたゲルマン民族の風習を取り入れ、キリスト教の布教のため取り込まれた文化のひとつです。当初は、異教の風習や祭儀を取り込むこのようなキリスト教の戦略は、伝道師や説教師から異教の風習として批判され、書物にも残されています。
16世紀頃から民衆へと広がりを見せ、ストラスブールやシュレットシュタット(仏名:セレスタ)などの現フランス・アルザス地方(当時はローマ神聖帝国の領地)をはじめ、ライン川沿いの町々の商人たちの集会所などで飾られ始めました。当時のツリーは現代のようなオーナメントは飾り付けられておらず、家庭内で飾ることもありませんでした。現代の原型になるような飾り付けられたツリーは、17世紀頃からの比較的新しい習慣といわれています。
クリスマスツリーのオーナメント
こうしてキリスト教的な意味付けがされ始めたクリスマスツリー。常緑樹である青々とした樹木は、キリスト教以前から永遠の生命の象徴とされていましたが、そのオーナメントひとつひとつには、キリスト教特有の意味があります。
旧約聖書の創世記にあるアダムとイブの物語に出てくるリンゴとその木は、禁断の実、そして知恵の実とされており、中世の頃、主にライン川沿いでクリスマス時期に行われていた神秘劇では、この時期に手に入りやすいモミの木がリンゴの木として見立てられていました。そして現代の定番のオーナメントである煌めくボールはリンゴを模しており、クッキーやロウソクもキリスト教思想に基づいて、時代と共に形を変えながら根付いてきました。
ドイツ生まれのクリスマスツリーの風習は、17世紀末から19世紀にかけて、王室同士の婚姻関係によってヨーロッパ中に広まりました。フランス・オルレアン公に嫁いだプファルツ王女リーゼロッテ、イギリス王室に嫁いだシャルロット妃やアルバート公などが、ドイツを懐かしんでツリーを飾り、各々の国々でも習慣化していったそうです。
クリスマスの象徴として世界中で飾られるようになったクリスマスツリー。今日ではその意味が顧みられることは多くありませんが、様々な文化の融合を垣間見ることができますね。
参考HP
- Weihnachtsbaum Wikipedia
- O・クルマン著 『クリスマスツリーの起源』 土岐健治 湯川郁子訳 教文館 1996
- デズモント・モリス著 『クリスマス・ウォッチング』屋代通子訳 1994
これまで【日本人からみると不思議なドイツ事情】、【ものづくりの国ドイツ】を担当してまいりました、HHです。京都生まれ。ドイツ・フライブルク大学卒。留学中に得た経験をもとに、独自のアンテナを張って様々な側面からみたドイツをお伝えしていきたいと思います!皆さまのドイツ文化に関する興味・関心、ブログの感想もぜひ聞かせて下さいね。
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