ドイツの城 ノイシュヴァンシュタイン城
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ドイツに旅行しよう!じゃあどこに行こう?ドイツの名所というと、どこが思いつきますか?お城は欠かせない観光スポットではないでしょうか。ライン川沿いの古城、ハイデルベルク城、エルツ城など有名なお城は多くありますが、ドイツのイメージシンボルといえば、ノイシュヴァンシュタイン城をおいて他に考えらえないのではないでしょうか。
Burg, Schloss 違いは?
ドイツ各地に存在する城ですが、Burg(ブルグ)とSchloss(シュロス)の二種類に分類できます。まずブルグとは、6世紀から15世紀の中世の時期に建てられて、防御施設としての役割を果たしていた建築物を指しており、強固な城壁に囲まれているような、いわゆる城塞(城砦)のことですね。ライン川沿いに見られる古城などは、ブルグにあたります。
一方シュロスと呼ばれるものは、ルネッサンスから15,16世紀の間に、貴族のための居城として建てられたものを指しています。ブルグとして建てられた城塞もこの時代にシュロスとして建て直されたものも存在します。煌びやかな内装と外装で、豪華な見た目な城館がシュロスです。ノイシュヴァンシュタイン城は、19世紀、ルードヴィヒ2世によって建てられたロマネスク様式のまさにシュロスですね。でもこのノイシュヴァンシュタイン城は、どのような経緯で、世界的に有名になったのでしょうか。
ノイシュヴァンシュタイン城はどのようにして有名になった?
ノイシュヴァンシュタイン城は、狂王とも言われるルードヴィヒ2世が、ゲルマン神話や中世の騎士伝説に憧れを抱いて建てた城です。
今日では、1日に7000人もの観光客が世界中から訪れていますが、皮肉なことに、元来の城主であったルードヴィヒ2世は、自分の死後は城を潰せと命じていたそうです。彼のすべての夢が詰まったこの城を自分一人だけのものにするのが彼の望みであり、もともと外部の人間は出入りできない城館だったのですが、奇行のせいで精神の病とみなされ、王座を奪われたルードヴィヒ2世は、廃位の翌日、近隣の湖で溺死してしまいました。しかし、彼の死後、城が取り壊されることはなく、数週間後には既に見物客が訪れていたそうです。…なんだか切ないですね。
写真技術の誕生とポストカードの普及、そしてなんといってもそのフォトジェニックな外観の魅力が相まって、ノイシュヴァンシュタイン城は徐々に有名になっていきました。世界的に有名となった決定的なきっかけは第二次大戦後です。アメリカによってバイエルンが占領され、1946年にはバイエルン観光機関が設立されました。さらにはウォルト・ディズニーも城を訪れ、映画『シンデレラ』の中のシンデレラ城のモデルとした事で世界的に有名となりました。
ドイツのアイコンともいえるノイシュヴァンシュタイン城ですが、ルードヴィヒ2世の悲劇、そしてアメリカ的なマーケティングによって世界中の人々の目に触れることになった経緯を思うと何だかものすごく皮肉な物語とも思えますね。
参考HP
- Burg und Schloss: Das sind die Unterschiede. Focus
- Liste von Burgen und Schlösser. Wikipedia
- Warum Neuschwanstein weltberühmt geworden ist
- ノイシュバンシュタイン城、ロマンチストな城主の何とも悲しい物語
これまで【日本人からみると不思議なドイツ事情】、【ものづくりの国ドイツ】を担当してまいりました、HHです。京都生まれ。ドイツ・フライブルク大学卒。留学中に得た経験をもとに、独自のアンテナを張って様々な側面からみたドイツをお伝えしていきたいと思います!皆さまのドイツ文化に関する興味・関心、ブログの感想もぜひ聞かせて下さいね。
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