森鴎外とドイツ

明治・大正時代の文豪、そして陸軍軍医でもあった森鴎外(1862-1922)。1884年から4年間のドイツ留学を経て、自身の経験をもとにした小説は、今日では近代日本文学の代表作にもなっています。ドイツと縁深く、翻訳家、評論家としても名声を上げ、日本へ西洋文化と西洋文学を広めた第一人者のひとりでもある森鴎外についてお伝えします。

Wikipediaから引用
Wikipediaから引用

 

森鴎外のドイツ留学

鴎外が陸軍省の派遣留学生として、ドイツ留学をしていたのは1884年から1888年の4年間でした。滞在していたのは、ライプツィヒに1年(1884~1885)、ドレスデンに5か月(1885~1886)、ミュンヘンに1年(1886~1887)、そしてベルリン(1987~1988)で過ごしました。近代国家として成長する日本を背負うため、西洋列強国へと多くの官費留学生が送り込まれた時代に、鴎外は、軍陣医学の研究と陸軍衛生制度調査、衛生学、栄養学、細菌学を、第一線で活躍する研究者から学んでいました。

鴎外のドイツ留学での経験は、陸軍医としてのキャリアだけでなく、近代日本文学を代表する小説家として大成する糧ともなりました。かの有名な『舞姫』(1890)はベルリンを舞台に、『文づかい』(1890)はドレスデン、『うたかたの記』(1891)はミュンヘンを舞台にしており、「ドイツ三部作」ともいわれています。それぞれの物語では、鴎外自身や、留学時代の友や周りの人間がモデルになっており、西洋社会の描写も、発表された当時においては、まだ見知らぬ西洋文化の息吹を感じられる貴重な作品だったようです。

翻訳家としての森鴎外

陸軍医、小説家としてだけでなく、鴎外は翻訳家としても功績を遺しています。デンマークの作家・アンデルセン原作『即興詩人』、文豪ゲーテの『ファウスト』、ドイツでは一家に一冊あるとまで言われていたアドルフ・クニッゲによる生活の処世術を記した『智恵袋』(『Über den Umgang mit Menschen』)も新聞連載で翻訳しており、さらにはノルウェーの劇作家イプセンの『ヨーン・ガブリエル・ボルクマン』、『人形の家』といった戯曲、までも翻訳しています。ちなみに、アンデルセンやイプセンの作品は、ドイツ語訳からの重訳でした。鴎外は、西洋文学の翻訳作業において、日本にはない物や事柄、そして近代的自己や、自由恋愛の概念をどうにか日本化し、試行錯誤しながら様々な文体、語彙で翻訳することで、西洋理解を広めました。

鴎外は、西洋文学の翻訳作業において、日本にはない物や事柄、そして近代的自己や、自由恋愛の概念をどうにか日本化し、試行錯誤しながら様々な文体、語彙で翻訳することで、西洋理解を広めました。作家としてだけでなく、西洋文学の紹介者でありつつ、文学作品を通じて西洋文明を日本へと輸入した鴎外は、日本と西洋の懸け橋であり、文化の翻訳者とも称されています。21世紀の今日、当時の西洋文化とドイツへの視線を、今一度、鴎外のことばを通じて体験してみるのも一興かもしれませんね。


参考HP

参考文献

  • 森鴎外 『鴎外・ドイツみやげ三部作』 現代語訳 萩原雄一 未知谷 2018
  • 森鴎外 『独逸日記/小倉日記』森鴎外全集13 ちくま文庫 1996
  • 美留町義雄『軍服を脱いだ鴎外 青年森林太郎のミュンヘン』大修館書店 2018
  • 長島要一 『森鴎外 文化の翻訳者』岩波新書 2005

 

Comments

(0 Comments)

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA