ドイツの美術② ドイツ・ロマン主義
目次
前回に引き続き、ドイツ美術についてお届けします。ドイツ美術は、フランス、イタリアから大きな影響を受けました。中世、近世のドイツ美術はあまり活発ではありませんでしたが、近現代では芸術運動も盛んとなり、独自性と芸術的価値も認められていきます。今回は、ドイツ美術②として18世紀後半から19世紀前半に興ったロマン主義についてお伝えします。
ドイツ・ロマン主義の真髄
ドイツ・ルネサンスといわれた16世紀、デューラー、クラナハ、グリューネバルトの時代を経て、17世紀にはバロック、18世紀にはロココという芸術様式が興隆しましたが、主にフランス、イタリアで盛り上がりをみせ、この時代のドイツは30年戦争(1618~1648)による影響で、国土は荒廃し、才能のある芸術家の国外流出も引き起こしました。その後、18世紀末から19世紀にかけて、フランスを発祥地として、ロマン主義が盛り上がりを見せました。(ロマン主義の起源はドイツであるという説もある)
ドイツのロマン主義はというと、文学、音楽、哲学、絵画、政治等、広い領域に及んだ、芸術様式にとどまらないひとつの運動であり、ドイツ史全体においても重要なキーワードとなっています。そしてその根本的精神とは、調和と規律と合理性、ギリシア・ローマ的な美を追求しようとした同時代に栄えた新古典主義へのアンチテーゼを主軸にしており、様式美からの解放と自由、主観性、情熱、想像力、中世への郷愁と自然への回帰などが表現され、その背景には、封建社会の崩壊、フランス革命の影響と急速に進む工業化などの時代の変動があります。
ドレスデンを拠点に―フリードリヒ、ルンゲ
さて、ドイツ・ロマン主義の拠点となったのはドイツ北東部のドレスデンでした。当時のロマン派の文学者、哲学者、音楽家、画家ら(ノヴァーリス、シェリング、シュレーゲル兄弟、クライスト、シューベルト、ヴァーグナー、シューマン等)が集い、交流を重ねながら芸術活動に勤しみました。
ドイツ・ロマン主義の代表的画家とされるカスパー・ダビッド・フリードリヒ(1774-1840)も、ドレスデンを拠点とした芸術家のひとりで、主に北ドイツの風景画をモティーフとしました。彼の作品は、伝統的芸術観から離反し、自然の中の崇高さに宗教性を見出し、新しい風景画の在り方を切り拓きました。そのほか、フィリップ・オットー・ルンゲ(1777-1810)も、ドレスデンを拠点とし、フリードリヒと合わせて「北方ロマン主義」とも呼ばれるようになりました。彼の作品は人物像を中心とし、あの文豪ゲーテとも交流を持ち、ゲーテの『色彩論』に影響を受けて、「色球体」という三次元の色彩体系を作り出しました。
一方、ローマを拠点とし、宗教的人物画を描いたナザレ派もドイツ・ロマン主義絵画と見なされています。ドイツ・ロマン主義は文学、音楽を端緒としながらも、絵画においても大きく独自性を創造し、西洋美術史に名を刻む芸術性を生み出しました。
ドイツ・ロマン主義絵画はドイツでもその真価が長らく見落とされ続け、1970年代に入ってようやく国際的にも評価され始めた領域ではありますが、しかし、自然への敬愛や憧憬という、今日でも感じ取れるドイツ的な精神性は、ドイツ・ロマン主義絵画においてこそ優れて表現されているのではないでしょうか。
参考HP
参考文献
- J. ナイトハルト/相良憲一訳 ドイツ・ロマン主義絵画 フリードリヒとその周辺
講談社 1984
- 神林恒道編 ドイツ・ロマン主義の世界 フリードリヒからヴァーグナーへ 法律文化社 1990
これまで【日本人からみると不思議なドイツ事情】、【ものづくりの国ドイツ】を担当してまいりました、HHです。京都生まれ。ドイツ・フライブルク大学卒。留学中に得た経験をもとに、独自のアンテナを張って様々な側面からみたドイツをお伝えしていきたいと思います!皆さまのドイツ文化に関する興味・関心、ブログの感想もぜひ聞かせて下さいね。
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