リュトリ盟約から始まったスイスの建国

スイス国民は毎年8月1日に建国記念日を祝います。

といっても、大規模なパレードや特別なイベントが開催される訳ではなく、ほとんどの人は家族や少人数で祝うのが一般的です。

それはスイスの建国記念日が他の国と異なって革命を起こした日や終戦を祝うものではなく、スイスが独立国となる過程の中でその出発点を指す祝日だからです。したがって、今回はスイス連邦が如何にして誕生したかをご紹介させていただきます。

 

「スイス連邦」は正式名ではない?

 

スイスの建国を理解するためにはまず「アイトゲノッセン」(Eidgenossenという言葉についてご説明する必要があります。

アイトゲノッセンは直訳すると「盟約同志」という意味を持っており、ドイツ語圏ではアイトゲノッセンという言葉をシュヴァイツァー(Schweizer)と同様に、スイス人を指す場合に用いますが同意語ではありません。

また、ほとんどの言語でスイスの正式名が「スイス連邦」ですがドイツ語でのみその正式名称がシュヴァイツェリシェ・アイトゲノッセンシャフト(Schweizerische Eidgenossenschaftとなっており、「スイス連邦」ではなく「スイス盟約同盟」と表現している点で他の言語と大きく異なります。

 

スイスの公用語であるドイツ語、フランス語、イタリア語とロマンシュ語のそれぞれの「スイス連邦」の表記
スイスの公用語であるドイツ語、フランス語、イタリア語とロマンシュ語のそれぞれの「スイス連邦」の表記

 

全ての始まりはハプスブルク家との対立

 

先ほどから度々登場している「盟約」の言葉ですが、これこそが現在のスイス連邦と呼ばれるものの原点であり、現在も国家としてのスイスを構成する最も重要な要素であると言っても過言ではありません。

スイスの建国は1291年8月1日とされていますが、この日付は上記でも述べたように革命を起こした日や終戦の日ではなく、盟約同盟が結ばれたと思われる日を指します。

当時のスイスは神聖ローマ帝国の一部でありながらも、複数の都市や地域には代官職のいない帝国直轄領の地位が与えられており、ある程度の自由と自治権を有していました。

そんなある日、ハプスブルク家はスイスの一部を含む地域の代官職に任命され、隣接する要地を購入することで、現在のスイス中部から東部を自身の管理下に置くことになります。

しかも、一部の地域では帝国直轄領としての法的自治権を認めましたが、他の地域ではそれを完全に無視し、勢力を拡大して住民を武力で支配し始めたのです。ある程度の自治権を有していた住民としては自由を奪い、力ずくで民を従わせようとする暴君を到底受け入れられるものではありませんでした。

 

アイトゲノッセンシャフトの誕生

 

これ以上ハプスブルク家による身勝手な行動を許さないと決意した一部の住民は同じ志を持った仲間を集め、時折「リュトリ」(Rütliと呼ばれる野原で密かに会合するようになりました。

しかし、メンバーが増えるにつれて会合の場所がハプスブルク家に知られてしまうことが時間の問題であると悟った参加者は、同盟を結んでハプスブルク家による支配から独立し、互いに協力しながら命懸けでその独立性を守ることを誓い合いました。

この出来事は一般的にリュトリ盟約(Rütlischwur、そしてリュトリ盟約に参加した者を「盟約同志」、即ちアイトゲノッセンと呼んでいます。

上に書いたとおり、この同盟を結んだのは当時帝国直轄領であった現在の中央スイスに当たる地域のみで、皆様が知っている今日のスイス連邦のほんの一部に過ぎませんでした。

正確に言いますと、当該同盟を指すアイトゲノッセンシャフトはウーリ州(Kanton Uri)、シュヴィーツ州(Kanton Schwyz)および現在のオブヴァルデン準州(Kanton Obwalden)とニトヴァルデン準州(Kanton Nidwalden)に当たるウンターヴァルデン(Unterwalden)の僅か3地域間で結ばれた百姓一揆程度のものでしかなかったのです。

しかし、強い意志でハプスブルク家に対抗し、繰り返し戦争を行って勝利したアイトゲノッセンは徐々にその存在感を近隣地域にも示し始めます。

それ以降、次々とアイトゲノッセンシャフトに賛同し、当該同盟に加盟する地域が増えて現在の計26州(20の州と6つの準州)から構成されるスイス連邦を形成することになります。

 

アイトゲノッセンシャフト発祥の地とされているリュトリ(3つのベンチはウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの3地域がこの場所で会合したことを表現しています)
アイトゲノッセンシャフト発祥の地とされているリュトリ(3つのベンチはウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの3地域がこの場所で会合したことを表現しています)

 

このように、アイトゲノッセンシャフトはハプスブルク家に対抗することを誓った者による同盟を意味しますが、実はスイス国民のアイデンティティの重要な要素でもあるのです。

過去の記事でも既に説明があったと思いますが、スイスには4つの公用語があり、最初の3州を除けばそれぞれの地域がスイス連邦に加盟した時代や背景も異なります。

スイスは同じ言語や同じ歴史もしくは文化を共有する1つの民族によって構成されている国ではなく、同じ志を持った者による盟約を基に成立している多言語ならびに多文化国家なのです。

したがって、スイスの建国記念日でスイス国民がその日に祝っているのは独立国となることを決意したアイトゲノッセンシャフトの誕生なのです。

さらに、アイトゲノッセンシャフトは単にスイス連邦の起源であるだけでなく、「お互いに協力し、助け合うこと」「自由で平和な暮らしを守ること」などスイスの伝統的価値観の象徴でもあると言えます。

日本にもこのような日本人ならではの価値観を象徴する概念が存在すると思いますが、それは「詫び寂び」でしょうか?それとも「(武士の)情け」でしょうか?はたまた「お・も・て・な・し」でしょうか?ご存じの方は是非教えてください。

では

Bis zum nöchschte mal!

Birewegge


今回の対訳用語集

 

日本語 標準ドイツ語 スイスドイツ語
スイス Schweiz

(シュヴァイツ)

Schwiiz

(シュヴィーツ)

祝日 Feiertag

(ファイヤーターク)

Fiirtig

(フィールティク)

8月1日 Erster August

(エルスター・アウグスト)

Erscht Auguscht

(エルシュト・アウグシュト)

スイス人 Schweizer

(シュヴァイツァー)

Schwiizer

(シュヴィーツェル)

スイス連邦 Schweizerische Eidgenossenschaft

(シュヴァイツェリシェ・アイトゲノッセンシャフト)

Schwiizerischi Eidgnosseschaft

(シュヴィーツェリシ・アイトグノッセシャフト)

神聖ローマ帝国 Heiliges Römisches Reich

(ハイリゲス・レーミシェス・ライヒ)

Heiligs rönischs riich

(ハイリクス・レーミシュス・リーヒ)

会合 Versammlung

(フェアサンムルング)

Versammlig

(フェルサンムリク)

百姓一揆 Bauernaufstand

(バウアーンアウフシュタント)

Puureuufschtand

(プーレウーフシュタント)

加盟 Beitritt

(バイトリット)

Biitritt

(ビートリット)

公用語 Amtssprache

(アムツシュプラーヘ)

Amtssprach                   

(アムツシュプラーハ)


参考ホームページ

 

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